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誰に向けられた差別なのか

はじめに

最近、農作物の盗難が多く、農家の方からすると手塩にかけて育てたものを盗まれるのは腹立たしいに違いありません。そして、狙われている農作物は高級品ばかりで、損失額も非常に大きくなっています。その農家さんだけでなく、日本としての損失にもなります。その犯人が外国人であると判明し、それを取り締まろうとすると「差別だ」とか「不当逮捕だ」とかを吹聴する人が多いです。本当に彼らの言っていることが正しいのかを検証していきたいと思います。

人権擁護は金になる

外国人が犯罪行為に走り、逮捕されると不当逮捕であったり、差別であったりと吹聴します。不当逮捕や差別は同じ犯罪行為に対して、国籍や人種で態度を変えることです。例えば、2人で空き巣をして、1人が日本人で、もう1人が外国人だったとします。そして、逮捕されたのが、外国人だけで一緒にいた日本人を逃したというのであれば、差別と言われてもおかしくありません。しかし、今回の場合は、明らかな犯罪行為をしていて、それを取り締まっているだけです。それで外国人であるからというだけで、不当逮捕や差別と吹聴するのは日本人に対する差別と言っても過言ではありません。
外国人の人権は参政権のように一部の権利が制限されるべきですが、人としての権利は守られるべきです。そして、それは外国人だけでなく、日本人も同様です。人として生きる上で、国籍や人種による差別は認められません。悪いことをしたときも同様です。それについても人種や国籍で差別をしてはいけません。悪いことをしたのであれば、国籍や人種に関係なくしっかりと罰を受けなければなりません。
外国人(特にアジア系)は弱い立場であるという認識が日本では根強いです。自国より豊かな日本で働いて自国の家族を養うという理由で日本に来ている外国人はたくさんいます。そういった外国人が地域や職場で、様々な理由で、差別されるようになり、彼らの権利を守るために外国人の人権も守る必要があるという流れが生まれました。そして、近年では外国人の権利を求める運動がさらに活発になり、その結果、外国人は守られるべき存在となり、外国人の待遇は改善されました。そして、自国民の日本人よりも厚遇されています。外国人の地位の向上と日本人への冷遇は似て非なるもので、本来、外国人の地位向上と関係ありません。
そういった活動をすることで、弱者の味方というイメージが付き、スポンサーが付きお金が入ります。そして、さらに活動を広げていきます。人権派と呼ばれる人たちは弱者の味方ではなく、お金を懐に入れる方法しか考えていない人が悪目立ちし、真剣に取り組んでいる人もそういう目で見られてしまい、本来の活動ができなくなってしまっています。
弱者の味方のふりは金になり、弱者からお金を巻き上げる仕組みを作ります。こういうことを平気でするピンク色の政党もあります。彼らは弱者の味方と標榜していますが、実情は貧困ビジネスで儲けている集団です。彼らを信じるのは自由ですが、困ったときに助けてはくれません。お金にならなくなったら、新しい弱者救済ビジネスをし、食い尽くすだけです。本当に弱者や国のことを考えている人はそういったことをしません。弱者に寄り添うことは変に大きな声を上げることでなく、弱者が社会の網の目から落ちないようにサポートすることです。変に大きな声を上げて、彼らが白い目で見られるようなことはしないはずです。真剣に取り組んでいる人たちの迷惑となるようなことをするのが弱者の味方のふりをする人と本気で弱者の味方である人の違いです。


日本じゃなくて、母国に言ってくれ

日本は日本国民のための国であり、外国人のためではないと思うんですよ。外国人を冷遇したり、差別を助長したりするのは間違っていますが、日本人を冷遇するような制度を作り上げるのはおかしな話です。日本人が肩身の狭い思いをし、外国人が悠々自適に暮らすというのはあり得ない話です。ここが日本でなく、外国であれば、日本人は外国人なので肩身の狭い思いをしてもやむを得ません。しかし、ここは日本です。日本人が自由に暮らせる場所です。外国人が悠々自適に暮らせる場所は、本当であれば、日本ではなく、彼らの母国です。
自国での自分たちがいい思いをできないから、他国にそれを求めるのは言語道断です。国籍は他国だけども、住んでいる国の国民と同じ待遇かそれ以上の待遇にしろというのは虫が良すぎます。一時、流行った、会社に対して在宅勤務にしろと言えないから、政府に緊急事態宣言を出せと言っているのと同じです。会社には強く言えないけど、体たらくな政府になら強く言えると考えている人と同じです。相手によって態度を変えているので、こういう人も差別主義者予備軍だと言えます。
日本は日本人のための国で、韓国は韓国人のための国で、中国は中国人のための国で、アメリカはアメリカ人のための国です。つまり、その国はその国の国籍を持つ人のためにあります。どこの国籍を持っていようが、外国へ行けば外国人としての扱いを受けることになります。外国人であるからと言って、そこの自国民より厚遇しろというのは面の皮が厚すぎます。そんなことを求めるぐらいなら、自国で悠々自適に暮らしてほしい限りです。日本はあなたたちの属国ではなく、れっきとした独立国家です。日本に来る以上、外国人であることを弁えて行動をしてほしいです。
日本が犯罪者に甘く、犯罪者が跋扈するような国にはなってほしくありません。不当逮捕や差別と言う前に、彼らの行為が冤罪であることを示す必要があります。犯罪を起こした確たる証拠がある上でそのようなことを言うのは筋違いにもほどがあります。外国人であることを理由に罪を犯しても不起訴になるのは不平等条約のあった明治初期と同じです。今は令和です。罪を犯した者が誰であれ。しっかりと取り締まるべきです。それが法治国家で、決して放置国家になってはいけません。その先に待っているのは北斗の拳のような無秩序な世界です。


最後に

日本人が暮らしやすい社会にしようと言うと差別主義者や排他主義者の誹りを免れません。しかし、日本人が暮らしやすい社会と外国人を冷遇することはイコールではありません。むしろ、外国人を住みやすくする一方で、日本人を差別する意識があるからそういった発想が生まれるのではないかと思います。確かに、外国人であるからといって、暴行を加えてもいいということになりませんし、そんなことは絶対に認めてはなりません。人としての最低限の権利は保障されなければなりません。しかし、自国民は外国人より優先されて保護されるのが、普通です。自国民より外国人が優先されるようなことは、植民地や租借地でもない限り、あり得ません。外国人を自国民以上に優先する必要はどこにもありません。どこの国でも外国人は自国民の次です。家族を幸せにすることはできない人に他人を幸せにすることができないのと同じです。弱者であるという理由だけでなんでも通ると思っている人に嫌気がさします。守るべきところと制限されるべきところの線引きをすることが外国人の人権問題を考えるうえで重要だと思います。平等的な扱いとは、悪いことをすれば、誰であれ罰し、良いことをすれば、誰であれ、ほめたたえることです。

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