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赤い魔女が黒猫を蹴り飛ばす

はじめに

ここ数カ月、旧統一教会の問題が取り上げられています。霊感商法や怪しいことをしていた宗教団体であることは確かですが、必要以上に取り上げられている気がします。そして、自民党は決別を宣言しましたが、実効性がないと言われています。はっきり言って、これらの問題はメディアや野党が無駄に騒ぎ立てているだけで、彼らの言い分を素直に受け入れる政府や自民党にも問題があると思います。政教分離の原則や信教の自由があると言われていますが、今のメディアや野党はそれらを一切無視しているようにしか思えません。今回は彼らの言い分がいかにおかしいのかを取り上げていきます。

政教分離は特定の宗教の地位に変動を与えること

政教分離とは政治と宗教が一切かかわってはならないというものではなく、政治が特定の宗教を擁護してはならないというものです。これを見れば、統一教会の問題は政教分離の原則に抵触しているように思われます。しかし、自民党が統一教会を優遇するような政策を行っているわけではありません。政教分離について、最高裁は愛媛県靖国神社玉串料訴訟の判例で「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」と判事しています。つまり、行ったことに宗教的意義があり、その効果が特定の宗教の地位に影響を及ぼすこととしています。社会的に考えられるような一般的な範囲(地鎮祭等)では政教分離の原則に抵触することはありません。
今回の統一教会の問題は取材に応じたり、ボランティアとして参加してもらったりで、それらの行為が宗教的意義を持つ行動とは思えません。おそらく、一般的な社会的行為の一環と捉えられるようなことが大半です。むしろ、これに乗じて、統一教会を締め出そうとしている方が問題だと思います。
統一教会との関わりが政教分離の原則に抵触すると豪語するのであれば、公明党の創価学会や立憲民主党の立正佼成会との関わりも問題視されなければなりません。そして、統一教会とは自民党以外の政党とも関わりがあったことが発覚していますが、自民党と違って、悪いかかわり方をしていないであったり、野党だから政治への影響は大きくないであったりと意味不明な論理で逃げています。統一教会と関わりがあることが悪いのか、自民党を貶めたいのかは一目瞭然です。どこの宗教団体がどの政党を支持しようが自由だと思いますし、特定の宗教を利したり、害したりしない範囲で関わることに問題はないと思います。むしろ、ある政党が特定の宗教団体からの支持を受け付けないと宣言するほうが宗教弾圧に近い気がします。これ以上、騒ぎ立てるようなことでもないですし、単に不毛なものでしかありません。福田さんの言うように何が問題かわからないです。
カルト宗教は嫌いですが、それ以上に今のメディアや野党の姿勢はもっと嫌いです。政教分離は優遇だけでなく、弾圧も含まれます。今、彼らのやっていることこそ、政教分離の原則に抵触する行為ではないかと思います。政教分離の原則について、もう一度、彼らは勉強しなおす必要があります。自民党や統一教会の肩を持つわけではありませんが、これ以上、騒ぎ立てると野党のイメージがますます悪くなり、政党として活動できなくなる危険もあります。彼らは元々活動家ですがね。これ以上、政治的な意味で取り上げることに価値はないと思います。

現代の魔女狩り

今、メディアや野党が行っていることは完全に中世ヨーロッパで行われた魔女狩りに等しいです。中世ヨーロッパでは魔女は悪魔の使いで、魔術を使い、人々を災厄に陥れるものとして、忌み嫌われていました。そして、魔女と思われる女性を片っ端から捕まえ、魔女であると思われるという行動をしただけで、拷問にあったり、処刑されたりしました。魔女狩りは人間だけなく、魔女の使いと言われていた黒猫にまで矛先が向けられ、黒猫のその時期に大量虐殺されたと言われています。魔女狩りの恐ろしいところは、近代法治国家の原則である「疑わしきは罰せず」の推定無罪の原則ではなく、「疑わしきは罰す」という推定有罪の原則で動いていることです。昨今の統一教会問題についても、まさしく疑わしいことを見つけてはバッシングするという風潮になっています。このままいけば、噂が噂を呼び関係のない所に飛び火する可能性があります。魔女狩り時代の黒猫のように。
カルト的な宗教団体の関わりを持つことが良いとは思いませんが、持っているからというだけで政治家としての地位を追われなければならないのかとも同時に思ってしまいます。しかも、その内容が統一教会と密接に関係していると言いきれないことまで取り上げられています。ちょっとでも関わりがあれば、アウトという風潮に違和感を覚えます。彼らがやろうとしていることは完全に宗教弾圧で、前近代的な行動を取っています。宗教弾圧の歴史を踏まえて、信教の自由が存在するにも関わらず、それに逆行するような風潮は近代民主主義国家とは思えません。もはや、異常としか言いようがありません。民主主義であるはず日本が一部の変な人たちのせいで、民主主義と真逆の道を歩もうとしています。
就職の面接で思想信条に関する質問をしてはならないというのが現代の常識です。政治家の秘書についてはその例外が認められるというのも甚だおかしな話です。政治家は公人であり、国家公務員です。公務員は憲法を遵守する義務を負います。その公務員が信教の自由を侵すような質問を採用面接時に行うのは非常に危険なことだと思います。そんなことを強要してはなりませんし、それを政府が認めるようなこともあってはいけません。
普段、人権や憲法を守れと声高に叫び人たちは、自分たちが政治家にさせようとしていることがあなたたちの大好きな憲法を侵すようなことを強要しているに等しいです。信教の自由は憲法でも定められている立派な人権です。その人権を公務員に破らせようとしている彼らに人権や憲法を守れという資格はありません。そして、彼らの言うことを従順に政治家が従う必要はありません。憲法を守るべき存在が憲法を破った途端、日本は法治国家から人治国家になってしまいます。日本が立派な法治国家としての地位を保つために、彼らの言い分に耳を傾ける必要はありません。こんな人たちに負けてはなりません。

最後に

統一教会問題で日本が揺れていると言われますが、小火で済むところにガソリンを撒いて明暦の大火のようにしているのはメディアと野党です。統一教会の信者の子たちは献金で家庭が傾き、可哀想だから、関わりのある人間を殺してもやむを得ないという雰囲気すら漂っています。洗脳され家庭が傾いたことまでは同情できますが、だからと言って、人を殺めることを肯定することにはなりません。普通に考えれば、そんな論理がまかり通るはずがありません。やむにやまれぬ事情があったから罪を犯していいはずがありません。今のメディアや野党を見ていると日本人が大切にしていた倫理観の欠片すらありません。日本人とは思えないことを平気でしています。彼らには憲法以前に人としてのルールも理解できないのかと思ってしまいます。最低限のルールを守ることができないものを擁護する必要はありません。彼らの行為こそ非道徳的で一種のカルト的行動です。
ちなみに僕は黒猫が好きなので、黒猫をいじめるようなことは嫌いですよ。

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