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「好きこそモノの上手なれ」にとらわれた日々

こうしてPCを前にして何を書こうかと考える。


あの話は前にもしたっけなとか、あのネタを書くにはボリュームが少なすぎるとか、逆にあのネタを書くにはかなりの労力を使うなとか。



そんなわけで、書きたいこと×書けることの計算式から導き出す答えがテーマになる。



そして今もあーでもないこーでもないと書きあぐねている。



頭の中でうまく整理できていない様もこうして文章に綴るのには訳がある。




『エッセイストになるための7つの秘訣』でも書いたように書けなくても書くということを行動にうつしているのだ。

この中では書けなくても書くということを推奨しているのだが、肝心なことに触れていない。


それは「なぜ書けなくても書かなければいけないのか?」ということだ。
好きなことを好きなように書いているのだから、何も脅迫めいたことをしなければいいと思うかもしれない。確かにその考えは一理ある。


せっかく、好きなことを好きなように書いているのだから、書きたくないときは書かなくてもいいじゃないかということだ。僕は強制的なことが嫌いだし、面白くない、自分に合わないと思ったらいち早く抜けるタイプだ。
だから、無理のないように物事を取り組むのは大事だと思っている。


しかし、自分の能力を伸ばしたいのなら「書けなくても書く」という行為は重要なことである。



なぜなら自分の能力を伸ばすためには習慣化ということが肝になるからだ。



習慣化というのは、すなわち努力とも取れる。毎日、無理のないようにコツコツ。

しかし、習慣と努力にはニュアンスとして、大きな違いがあると思っている。努力は歯をくいしばるような根性論に対して、習慣とはどこか作業的な要素がある。同じような内容でありながらもどこか違うと思っている。




「好きこそモノの上手なれ」



この言葉は的を射ていると思うのだけれど、意思の弱い僕はときどきこの言葉に自分の無力さを感じる。


好きだと思っていたことでも、長く続かなかったとき、僕はこの「好きこそモノの上手なれ」が頭を駆け巡る。


好きだと思って始めたことでも、毎日続かなかった。誰に言われたわけでもなく、自分で始めたのにまた途中で諦めてしまった。これはきっと僕に好きの熱量が足りなかったのだとなる。


これは一見正解かに見える。


しかし、この考えは明らかな間違いである。





それは脳の作りに由来する。


人間の脳の構造上、新しいことを習慣化するという作りができていないのだ。



脳にはまず、大脳基底核というのがある。
大脳基底核とは生きるために必要な働きを司る部分である。
呼吸をしたり、体温の調節をしたりする場所だ。


続いて、大脳辺縁系というのがある。
これは食欲や、睡眠欲や、人間が生命維持をする上で本能的な働きをする脳である。


そして、大脳皮質というのがある。大脳皮質には前頭葉がある。
この前頭葉とは理性を保つ場所である。人間が人間であるための脳の器官とも呼ばれる。



今、あげた脳の3つの器官は、生命を維持する上で順番に強い働きを持つ。


どういうことかというと、理性を保つ大脳皮質より、本能の大脳辺縁系が強い。そして本能の大脳辺縁系より、生命を維持する上で大きな働きをする大脳基底核の方が強い働きをする。



ではここで先ほどの習慣化の話に戻すと、習慣にしようと前頭葉が働いても、大脳辺縁系が邪魔をしてしまうのだ。だから根性や歯をくいしばって継続しようとしても失敗するケースがあるのは当たり前なのだ。


しかし、周りからすると、やる気がないだの、好きの熱量が足りないなど、根性がないと言われる。僕はそんなことを思われるたび、悲しい気持ちになった。そしてそんなことを自分で思うたび、自分が小さくなっていく気がした。


せっかく見つけた「自分の好きなこと」、やっと出会えた「自分にあっているかもしれないこと」。
少し、続かなかっただけで「好きこそモノの上手なれ」が頭に響いて途方に暮れてしまうのだ。


好きなことに没頭できるタイプの人間がいることも知っている。しかし、それは特性というもので、それに当てはまらないということで自分を責める必要はない。
ましてや、自分の好きな度合いに懐疑心をもつ必要もない。


もっと言うなら、好きかどうかは初めの段階では分からない。上達していってもっと好きになる場合もある。100パーセント好きになってから交際に発展する人ばかりじゃないのと一緒で、いつの間にか好きになるケースの方が大半だ。


なんにしろ、継続できない理由を「好きかどうか」で判断するのは時期尚早というやつだ。






ここで「書けなくても書く」ということに話を戻す。


「書けなくても書く」とはつまり、「書く」という習慣をつけるということだ。
PCを立ち上げてキーボードを叩くというカジュアルな心構えが大事というのがそこにある。


大脳辺縁系にいたずらされないように、少しだけでもいいから「書く」という行動を起こすのだ。


その積み重ねが習慣になる。


脳がその行動に慣れてしまえば、質量を次第に増やすことができる。



これは何も文章に限ったことではない。


僕自身、「好きこそモノの上手なれ」にとらわれていた。

そんなとき、この脳のメカニズムを聞いて救われ、腑に落ちた。

僕がそうだったように誰かの心にも響いたら嬉しい。



最後に、


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