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姪の決断

久しぶりに実家に帰った。


昨日は嫁が友人と旅行に行ったため、たまには一人で実家に帰ろうと思い帰省することにした。
三月だというのに肌寒く山には雪がちらついていた。

実家に帰ると両親、祖父母と挨拶を交わし夜飯を食べた。


そして父がある一言を言った。


「うちに四月から家族が一人増えるで」


そう、四月から実家に家族が一人増えるのだ。なにも母のお腹に新しい命が宿ったわけではない。
四月から兄の娘を預かることになったのだ。兄の娘を預かると言ってもそれは悲しい話ではない。兄が離婚するとか言ったそういう類の話ではない。ちょっとした家庭の事情というやつだ。
兄の娘、つまり姪は両親と離れて祖父母と曾祖祖父母と暮らすことになるのだ。これにはびっくりした。何だかホームドラマみたいだな、それが率直な感想だった。

中学三年になる姪は転校して祖父母の田舎で暮らす。ドラマや小説になりそうな設定で面白そうだ。はたから見ればそれは面白そうと言えるのだが、姪からしたらどうだろうか。やはりそれは寂しいものかもしれない。今までと勝手が違うし、環境が違う。海外にホームステイをするよりは親族という意味で安心できるかもしれないが、もし自分がその立場だと考えたら間違いなく嫌だと言うと思う。なのでこの環境を受け入れた姪はたくましいなと心底感心している。

姪が生まれ育った環境は今回ホームステイする私の実家と同じ町内である。近くにスーパーはあり、駅も近い。それに比べて私の実家は海と山に囲まれていて、かろうじて自販機がある程度でコンビニすらない。同じ町内でもドがつくほどの田舎なのだ。しかし、そのド田舎こそが私の生まれ育った環境であり、姪の父である私の兄が育った環境だ。
姪にとっても父親が生まれ育った環境で生活するということはとても意義のある経験だと思う。盆や正月といった限定された季節だけでなく、詩季織々の気候を肌で感じ、外からはわからなかった田舎特有の温かさや面倒くささ、不便さを知った上でここで父も育ったんだなと感じることは貴重な体験になるだろう。


私は実家を離れて十数年が経った。
実家で暮らした時間より多くの時間を外の生活で過ごしてきた。そして家を買ったということもあり、この先この場所で定住することが確定した。
私に子どもができたとする。子どものふるさとは間違いなくこの土地で私の実家ではない。そして自分の父親である私がどんな場所で生まれ育ってどんなことを感じながら生きてきたのだろうかと思う時が来るだろうか。潮の匂い、嫌というほど魚を食べて、周りには遊ぶとこもない環境。それでも何だか誇らしげに思う今の私の気持ちがわかるだろうか。
それでもいいとこなんだぜって思ったり、譲れないと思う景色があるという気持ちはきっと言葉だけじゃ伝わらない。実際に生活をして肌で感じた上で思うことがあるだろう。


姪は四月から一人でその経験をすることになる。両親と離れ、兄と離れ友人と離れたった一人でその経験をすることになる。
たくましいの一言に尽きる。
何かあたたかい言葉をかけたいのだけれど、どんな言葉でも説教じみた言葉になるような気がする。遠く離れた土地から楽しい日々と有意義な経験ができるように見守ろうと思う。

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