#1 叱る行為に効果はあるのか問題について

【声優 佐原誠って?】

●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役
●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役
●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役
●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役
●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役
●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役
●真心が届く「チェユンヒョク」役
等のボイスを担当しております。
宜しくお願いいたします!

*この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。
*動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。
*あるいはテロップがわりとしてどうぞ。

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どうも、佐原です。
【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます!
ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら

「叱る行為に効果はあるのか問題について」

今回はですね、もう佐原さんの趣味120%のお話をさせていただこうかと思います。

佐原さんは日頃、今回の様な「人間の根幹に関わりそうな雰囲気のある事」について調べたり考えたりするのが、それはもう、めっちゃ、すごく、好きです。

語彙力なくてすんません(

そんなわけでかれこれ10年以上この手の事について調べていたりするんですけど……そもそもなぜこういう事について調べようかと思ったかと言うと、大きな理由のひとつとしては「自分が声優だから」ですね。

声優というのは「演じるお仕事」なわけですが、演じるにあたってそもそも人間の構造を知らないと演じられないわけで。いや演じられない事もないかもしんないけど、少なくとも僕はどうにもやりづらく感じてしまうわけでね。

なので自分的には、そこらへんをつまびらかにしていくと、なんか声優を続けていく上でよさそうな感じがするぞと。そんなわけで、ある時期から専門家の話を聞いたり、本を読んだり、ネットで調べたりするようになりましたよと。そういう経緯がございます。

んで。

今回のテーマ「叱る行為に効果はあるのか問題」はですね、佐原メモを見ると…およそ6年ほど前に、一度自分なりに仮説を立てたテーマでございまして。

で、そのテーマを最近「とある番組」が議題として取り上げていたのを受けて、自分もそのお話をさせていただこうと思ったわけです。

というのも、その番組に出演されている心理士の方がいらっしゃるのですが…その方がお話していたことがですね、ことごとく自分が昔たてた仮説と一致しておりましてね?

「おぉ、ド素人の自分が専門家と同じ仮説立てられたんだ、うれしいいいい」となりまして、そんでその喜びを今回表現しよう、とそういう回になっております。つまり「わし凄くない!?」という自慢話です。なんじゃそりゃ。いつもすんません(

んでですね、その番組では
●【叱る依存。自分の欲求を満たすだけ。叱る=愛情の裏返しはウソ?ストレスや負の感情が増えるだけ?これからの子育てや人材育成を考える】
というタイトルで、「有識者」や「過去叱る依存だった方」を交えて議論をかわしていたんですね。

ちなみにですね、先ほどから「依存(いそん)」といってますが、「依存(いぞん)じゃないの?」と思われた方いらっしゃると思います。

実はこれ、正しくは「いそん」なんですね。依存の「存」の字って、存在の「存」ですから、つまりそういうことです。でも世間をみてみると「いぞん」が一般化しているように思えますから、今は「いそん」でも「いぞん」でもどっちでもいいらしいです。でも今回は「いそん」でいきますね、という事を最初にお伝えしておきます(

で、その番組では一貫して
●「叱る行為は利己的な行為」である事と
●「そもそも叱る事は効果があんまない」というお話をされておりました。

その番組に出演されていた心理士、村中直人(むらなかなおと)先生いわく。
●「叱る行為には、叱る側のニーズを強く満たす効果があるため、依存症になりやすい。その結果(番組タイトルにもありました)𠮟る依存」になると。

「叱る依存」…あまり馴染みのない言葉ですね。

依存症といえば、「ギャンブル」とか「アルコール」とか「薬物」というイメージがありますが……どうも近年それらに加えて「叱るという行為も、これらと同じく依存効果がある」事がわかった(科学的には証明されていない?)と、そういう事なんだそうです。

●なぜ「叱る」が依存につながる恐れがあるかというと、「叱るは気持ちがいい」からである。
●そして気持ちがいいがゆえに、もっともっと、となり「エスカレートしていく」事があると。
●その結果いつのまにか叱る事が習慣となり、依存症になっている……
ということだそうです。

もともと「叱る」の一番最初の動機は「相手に改善してほしい」という素直な欲求だったかもしれない。というかきっと、多くの人がそうなんだと思います。だが始まりはそれでも、叱るを続ける事により、いつのまにか目的が「気持ちよくなりたいから」にスライドしてしまっている場合があると。その結果、気づけば「叱らずにいられない人」になってしまっていた……。こと「依存のように叱る事が常習化してしまっている人」にはそういう可能性が多くある、というお話でした。

なるほど。
叱る依存の人は「叱る事でいい気分になりたいから、叱る機会を求めている。だから叱れる状況を見つけたら率先して、盛大に叱りたがる」わけですね。
理解しました。

また村中先生いわく、叱る行為の最大の問題点は「相手の学びや成長という側面において、そもそも効果がない」事であるそうです。ただ正確には、叱る行為には1つだけ「学び」があって、それは叱られた側が「叱られた時にどうすればいいかを学べる」という事があげられると。だがそれは言い換えると「叱られ慣れるだけ」または「叱られた時の対処法が上手くなる」だけなわけで。

ここで思い出したいのはそもそもの叱る側の大義名分。なんだったかというと「相手に改善してほしい」です。つまり「叱られ慣れる」事は求めていないわけですね。

なのに叱る行為には「叱られ慣れるという効果しか出ない」のであれば、それは「叱る側が意図したものと全く違う効果」であるため、つまり、「叱る事に意味はあんまない」という事になる。そういう事を、村中先生はおっしゃっておりました。

なるほど、専門家の方がそうおっしゃられるのですから、説得力がありますね。

でですね、専門家の方が仰る「叱る事は無意味なのであんまやる意味ないよ」という言葉を受けて
●「じゃあ、相手に注意する時はどうすればいいんだ」
●「他人に何も言えない社会になってしまったら、それはそれで問題なのではないか」
そういう風に思う方がいるかもしれません。

これもまったく自然な疑問ですよね。
どうすりゃいいの?と。

実際に「これは言わねばならない」「伝えなければならない」そういうシチュエーション、あるわけじゃないですか。「他人になにも指摘しちゃいけないという事になれば、そもそも教育というものを否定しかねない」そういうお話です。

ここで先ほどから佐原さんがちらりちらりと言っていた「叱る行為は あんま 意味ないよ」の「あんまの部分」についてお話したいと思います。

叱るという行為は実は限定的な効果があって…それは村中先生いわく「危機介入」と「抑止力」の2つには効果があるそうです。

「危機介入」というのは、例えば目の前で子供が道路に飛び出そうとしていた時。この時は「だめ!!」と声を出して叱る事は、一定の効果がある。日頃そのような言われ方に子供がなれていなければ、びっくりして思わず立ち止まるわけですね。

そして「抑止力」というのは、「この前これをして叱られたな。叱られるの嫌だからそれはしないでおこう」と、無意識的にそれを避けるようになる事です。

なんだ、叱るにもちゃんと効果あるじゃん!!

でもこれはあくまでメリットの部分。「デメリットは何か、」という事もきちんと考えなくてはなりません。

そのデメリットは何か。それは、叱る行為を受け続ける事で「思考力や主体性、クリエイティビティが失われる」という事です。

この「危機介入」や「抑止力」というのは、基本的に「それはダメ」と伝える行為であって「じゃあどうするのがいいのか」まで踏み込んでいない。ですからこれを繰り返していくと、された側はどんどん「ダメな事」が増えていくわけです。その結果「あれもダメこれもダメそれもダメ、もうダメな事だらけだからわけわかんない」と、やがて「チャレンジする事」も「思考する事」もやめてしまう。

また「否定」という事をされると人は自尊心が大いに傷つきます。叱られ続けた結果どんどん自信がなくなり、何をするにも力を出せなくなる。その結果、「低スペックの言いなり人間の出来上がり」とそういう事です。

そもそも論。

チャレンジする事と失敗する事ってセットじゃないですか。チャレンジした結果いちいち叱られていたのでは、それに嫌気がさしてやがてチャレンジしなくなるのは自然な事です。

これが、叱る行為のデメリットですね。

そうならないようにするためには、叱った事で相手がそれをやめたら、例えば子供が道路に飛び出すのをやめたら、そこで叱りはぴたっと終了。なぜ今叱ったのかを説明したり、やめてくれた事に感謝するなど、アフターケアが必要です。

つまりいずれにせよ、叱るだけでは不十分という事です。

きちんとアフターケアする事で、気持ちを前向きに治してあげる。そうする事で、思考力や主体性や自尊心の損失を最小限におさえられます。

プロのスポーツ選手…例えばダルビッシュさんをみてみるとわかりやすいですが、一流になる人は、絶えず考えています。

より良い結果を出すためにはどうすればいいか、思考しては試してみての、トライアル&エラーを繰り返している。つまりチャレンジし続けてるわけですね。

その結果、実力に自然と波(調子がいい時と悪い時)ができます。チャレンジが上手くいって成果が出る時もあれば、上手くいかなくて成績が落ちる事もあると。でもそのような失敗も、大きな成功を得るためには必要なプロセスであるわけです。

また、プラスチック、火薬、コーンフレーク…失敗からうまれた偉大な発明はたくさんあります。つまり失敗が意図しない成功を導く事がある。これもまた、チャレンジの醍醐味といえます。その可能性の芽をつむのは、シンプルに損です。

そう考えて、一流の人は常に思考しチャレンジし続けているわけですね。そういう人の頭の中は、非常にクリエイティブなんです。

叱る怒るを繰り返す事で相手を委縮させ「ダメの数」をひたすら増やすだけでは、このような一流の人間は育ちません。ですから他人を成長させたいと願うならば、ある程度自由に、主体的にやらせる事が大切なのです。

そのためには、「ダメの枷」から解き放って心と思考を自由にさせてあげる、つまり「引き算」が重要なのです。

ある研究で、「成功者が生まれ育った家庭」と「一般家庭」では何が違うのかを調べた研究があります。その結果「成功者が生まれ育った家庭では、ルールがほぼない。1つか2つくらいである」のに対して、「一般家庭では非常にたくさんのルール(数十から数百)が存在した」という事がわかったそうです。

ルールが少ないという事は、つまり「ダメの数が少ない」という事です。この事からわかるのは、成功者の共通点は「自由に育てられた」という事であり、そうした環境が「主体性」や「思考力」、そして「チャレンジ精神」を育むことが読み取れます。

人間にとっての一番の成長の原動力は「やる気」です。それをどう引き出し、高く維持させるのかは重要な問題です。その答えは簡単で「主体性」です。その主体性を引き出すためには、「ダメ」の数は少なければ少ないほどいいのです。

この研究からも、引き算の大切さがわかると思います。

また、この「叱る」というものの限定効果をうまく引き出すためには、そもそもの前提条件が必要となります。それは「信頼」です。叱られる側が叱る側に強い信頼があれば、「叱る行為」をした時、受け取る側は「自分のために言ってくれてるんだ。」と感じる事もあるでしょう。しかし、受け取り手に信頼されていなければ、むしろ逆効果になるでしょう。

そんなわけで、結局「叱る行為には効果がある場合」はあるにはあるが、強いデメリットもあるし、効果を引き出すには条件がつくし、多用はできないし、また叱るだけでは不十分でケアもセットという、非常に取り扱いが難しいものなのです。

なるほど、「叱る」事のメリットとデメリットはわかった。
「叱る行為は信頼関係の元、ここぞという時以外使えない」わけですねと。

じゃあそれ以外の時、例えば信頼関係がまだ構築できていない時とか、「危機介入」以外の時はどうすりゃいいの?っていう話になりますね。

それは「諭す」です。

この話を続ける前に明らかにしておきたいのは、「怒る」「叱る」「諭す」この3つの「言葉の意味」です。

広辞苑いわく
●「怒る」とは、腹を立てる事。叱る事。
●「叱る」とは、声をあらだてて欠点をとがめる事。
●「諭す」とは、言いきかせて納得させる。おしえみちびく事。

「怒ると叱る」は意味として重複している部分があるので、「叱る」に統一します。

そうなると「叱ると諭すの違いとはなんぞや」という話になるのですが…どちらも「相手に物申す状態」なんですけども、その実ニュアンスが明確に違う事が、言葉の説明からわかります。

この言葉の意味を考えていくと「相手に何かしらの改善要求をする時に、そもそも怒りの感情は必要あるの?」という疑問にたどり着く。

じゃあ何が必要なのかというと……

この話は長くなりそうなので、次回にまわしたいと思います。

「次回にまわす」というのはサハラジオはじめての試み。
こんな回があってもいいよね…!?

というわけで、途中になってすみませんが、今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!

それでは、またね!!



【了】



佐原誠のTwitter
https://twitter.com/this_is_makotoS

佐原誠のYouTube
https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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