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人のために生きるということ|48

noteをみててHSPは誰かのためにと思って書かれている思いが多い、ほんと根っからの優しい人だなと思ってしまう。

「人のため」←→「自分のため」を最近行き来しているけど、なんでかなと思いを回らしていた。

昨日のいじめっ子についてのnoteのこれだ。

1)人々→ → → → ||| ←(←←←)私を好いて(または従わせる)
2)人々→ → → → ||| 私好き→ → → →好きなもの・こと
1)もともとなんなら誰かのためにという思いが強いHSPも誰かに好いてほしくて何かをすると拗らせる。
2)純粋になにかに向かって得た知識を誰かに届けばいいなとカタチにしてるとなかなか清々しい。

1)は過程よりも結果を求めて、大事な事を失ってる状態。
2)はその過程すら何得ようと頑張った結果を役立てようとしてる。

余裕があって人に気遣いするのはいい印象を持たれるけど、一生懸命人に好かれよとするのは、ろくなことがねぇ。(お金もまた然り)

やっぱり、自己肯定感の低さから何かを歪めているな。

人に好かれようとしないためには、自分に自信を持ってないと無理なんだよね。そうしないといつまでも「寂しい」からとか、みんながそうだから、きっとこれは反対されると思うことがデフォルト化して、自分のしたいことができない状態になる。もっとひどいと気づけない。気づけないのに息苦しい。生きながら死んでる。

HSPが優しいのは「人」全部なんだと最近思う、自分をも含んだ。やさしいHSPは私が私にフェアじゃないことに抗議しているのが「生きづらさ」のような気がする。

今日の行動|「情けは人の為ならず」=「情けは人のため(で)ならず」=「情けは人(←→自分)のため(で)はない」=「情けは自分のためである」こっちもむずい。とて、今日も明日も人と自分に「やわらかく」くらいはしよう。






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