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友達のいないHSPの友達の定義とは。

友達がいないわけじゃないけど、世の中には友達の多い人は多いようで、そう思うと友達とはなんなのか、とまぁ、結構前から気になっていた。

頑張って友達を作っていたとき、なんとなく誘われるパティーピーポーノリのが嫌だった。
かといって、1週間以上先の予定を入れられるのも嫌だった。
|||今日今その時、そんな気分の時誘って欲しいのだ。|||

(とはいえ、自己理解noteを書いていて、自分の生活リズムがすごい大事になってきたら、「予定」を提示された方がいいことがわかってきた。急な予定は次の日響くのだ。)

さて、次の対策としてSNSで「友達」を増やした。なかなかよかった。勝手に自己発信するようにした。誰かの役に立つ情報ではなく、「今週風邪です、お誘いいただいても対応できません」あとご飯報告「どこどこのご飯美味しかったです」あと仕事報告「今回私の携わったお仕事でこんな本出版されました!」とか。

すごい楽だった。コメントとかは私の興味のあることに同意してれる物ばかりだし、仕事の報告はその後そうゆう仕事のお誘いがたまーにあるし、風邪の時は、そうだ、君風邪だったもんね。と理解がある。

たまーに、メッセンジャーで飲みに行こうとか今度空いてる?とかなんの関連性もなく連絡が来る人がいたけど、全部無視❤︎(ちょっとのちのちやりずらいこともあるけど、他の会でもしあえたら、見知らぬ顔でやっと会えましたね😊といえばいい)

中年HSPも神経ズ太くなったものだ。ふふん。

なのでフェイスブック700人は私にとってちょっと宝だったりするのだ。

あれ?で、だから、友達ってなに?という話。ちょっと違う?

話を変えて、「自分を知るには実は、他者と比べる意外にない」というのがある。これはビジネスの繋がりやファンを通してはわからない。利害関係のない人と一緒にいることで、他者との違いを知ることで「自分」がわかるというもの。

友達って利害関係なしに会える関係で、それを通して自分を知るんだよね。

別に自分を知らなくても、一緒にるだけで楽しいなって思える人は、パーティーピーポーも楽しめていいな。と思ったりする。それもあり。

つまり、自分が人と心地よくいられる距離を自分でわかれば、他人の友達の定義なんて無視できるんだよね。きっと。それで、HSPはたぶん、他の人より友達が少なめだけど、全然問題ないんだと思う。

HSPは知識欲が強いから、知識がえられるだけで満足できるそれに紐ついて情緒的共有も他者とできる。通常「友愛」は情緒的共感から入るけど、HSPの私たちは、ただの友達といわれるものもその裏まで読んでしまうから素直に共感できないし居心地が悪い。だから、私たちHSPはまず自分を満たすために「1|情報」から満たして、その後「2|情緒」をおまけのように楽しむのが向いているのだ。

友達探しより、コミュニティー探しの方が近道なのだろう。


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