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HSPの処方箋|自己肯定感の低さはどこからくるのか|06

今日は、人間関係シリーズ。01)-05)で自分を無条件でよくする良い習慣をまとめたのは、つまり自分で完結できることにフォーカスした。

でも私たちはひとりでは生きていない。

他人がかかわると急に複雑さを増す。

もともとあるはず?なのか自己肯定感。HSPの自肯定感の低さはどこからくるんのだろう。

何はどもわれググるのが入り口な私。

自己肯定感の低さはどこからくるのか。

これも調べていて、「理由」より「どうすればいいのか」の記事の方が多い。HOW TOは活用的でいいけど、自分に「理由」がないと継続しない。

話は戻って。記事に戻って事例が出ていた。自分に当てはめたいと思う。

<繊細な気質が影響して幼少時からネガティブな経験が多く、自分に負のレッテルを貼ってしまう>
・両親を困惑させた
・環境になじめない
・自分はトラブルの元凶と思い込んできた
・誰かが不幸になるのは自分のせい
・兄弟・姉妹間で公平に扱われなかった
・いじめられていた
・集団の中に入ると「変わった子」として扱われる

”繊細な気質が影響して幼少時からネガティブな経験が多く”と書かれているところで「愛着障害」を疑ってしまう。普通の感覚値の子供よりも傷つくなら、普通の感覚値の子供よりいっぱい愛さないといけないのだろうか?

悩んだら、分解、分解。

・両親を困惑させた
あるある。親が感情的なだけで心身に異常を来たしていた。熱を出したり咳が止まらなかったり。終いには「弱い」とどやされていた。
・環境になじめない
「なじめない」難しい表現だ。そもそも団体が苦手で一対一の少数が好き。雑談より本質的な会話を好む気質だと言われているHSPからすると、突然いろんな価値観のいる人の中(学校、職場)はきついだろう。幼い頃は初めてとつくだけで心臓が飛び出るほどドキドキしたし。
・自分はトラブルの元凶と思い込んできた
私の家は、2回の離婚に極貧貧乏時代があった。今はただ環境のせいだと思えるが、確かにいろんな要因で起こる親の酒乱など自分のせいだと思わざるおえない時代があった(ちなみに子供にとって「酒乱」という概念も曖昧だ謎の現象)。陰湿な家庭環境が続く毎日で、その理由を自分のせいと納得させるだけでもほっとするものがあった。
・誰かが不幸になるのは自分のせい
そんな訳ないじゃん。と今は思えるけど、確かに思ったことがある(私の場合は家庭環境が大きいだろうけど、それでも今では謎だ)。世の中の悲しいことに「理由」が欲しかったんだと思う。でも、バカだったから1番身近な自分のせいにした。
・兄弟・姉妹間で公平に扱われなかった
んー。これまた難しい。まわりにもこれはあるあるだけど。また、私は義理の妹、義理の弟がいる。母方、父方各々にいるので複雑だ。
・いじめられていた
おもいかえすといじめられてたなと「過去の状況」を思い出してそう思う。小学校のころは、ませた女の子の標的になったけどからかわれてる程度。中学校に入っても「過去の状況」から、あれいじめグレーゾーンだと思うこともあったが、家庭環境が大変だったからそれどころでなかった。
・集団の中に入ると「変わった子」として扱われる
まさに。変わってるねと言われたことを覚えているけど、どうゆう点でそう言われたのか今思い返そうとしたが、思い出せない。ただ、この件に関しては、変わってるは私にとって褒め言葉と積極的に受け入れていたのを思い出す。

「分解」は面白い。また新しい発見があった。note書くだけで発見ってお得だ。細かいところを即興で書き出し、全体をみると私の幼少期は小学生、中学生を私は主に指している。しかもどれもこれもどうにかすることができたかと言われると「NO」と思う。

つまり、もっと前に大事があると思えそうだ。これは全くの持論だが、子供は最低5歳までに住まいの安全、罵倒や暴力なしに不安である時に保護者のいる環境におくのがいいと私の家庭環境から思えた。
その時に自己肯定感を培えれば、小学、中学の不当な対応に自らの考えが言えたと思う。精神の巣立ち、自我の確立に自動的に歩める。

「子供」はと括ったのは本人はHSPかどうかはだれもわからないからだ。

しかし思う。大人は時として、子供がわからないだろうと理由をはぐらかして何かを強行する。HSPである正義心は昔から強かった。道理の通らないことは大っ嫌いだ(ここまでくるとちょっと正確に支障をしたすくらい)。
そう思うとわからない子供にも「理由」を言って欲しかった。
今思うと大人もわからずに生きている。下手すると今も。

HSPと一緒に「生きづらさを感じるのは誰のせいでもない」という言葉が一緒に出回った気がする。

本当にそうであろうか。

私も親になる時が来るそう思った時に、「あの時の自分」が子育てしたら、もしもし環境的に裕福でも二次被害を出していたとしか思えない。

HSPの私が子育てするのに、「生きづらさを感じるのは誰のせいでもない」と自分を無条件で肯定するには酷すぎる。

せめて、私にも相手(社会であったり、未来のこどもであったり)にもWIN-WINでありたいと思った。

すくなからず、過去は知らない。でも「生きづらさを感じるのは誰のせいでもない」は未来のHSPにとって正しい。胸を張って生きて欲しい。

私が自分のままで自分を変えたいと思った、動機の話。



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