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野村ノート

こんばんは。Nishiiです。
今回は野球の監督で有名な野村克也さんの「野村ノート」というのを読みました。私は趣味でスポーツのコーチをやっていますが、監督業というは奥深く、難しいものです。応援したり、評論することは責任が伴いませんが、監督というのは一瞬一瞬で判断して責任を取ります。まるで、経営者のようで監督というのは奥深いなとやればやるほど感じています。

そんな監督でも数多くの実績を出した野村さんから学びを得ようと読んでみました。やはりスポーツだけでない社会にも通づるものがあったので書いていきたいと思います。

心が変われば人生が変わる

心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

選手が野球という競技を通じてさまざまなことを考える。これが選手のプレーの質を高め、成績を上げ、チームとして正しい方向に進むことにつながるのであれば、監督の仕事とは、選手たちに考え方のエキスをどう増やすかがその大半を占めるといっても過言ではない。

ただそうはいっても、これまで本能でプレーしてきた選手に突然、「もっと考えてやりなさい」といっても、選手は何をどう考えてやればいいのか迷ってしまう。

そこで常日頃のミーティングが大事になる。野球の話だけでないく人間学や社会学、組織学をたっぷりと時間をかけて勉強してゆっくり意識を変えていけばいい。考え方が取り組み方になる。


チームづくりの終着は「まとまり」

組織というのはチーム全体の意識の方向性(まとまり)がもっとも大切なのであって、すばらしい素質をもった選手を1番から9番まで集める、そうしたことがまとまりを上回るかといえば決してそうではない。

指揮官、つまりリーダーについて以下のことを念頭に置いている。
①リーダーいかんによって組織全体はどうにでも変わる。
②リーダーはその職場の気流にならなくてはならない。
③リーダーの職務とは「壊す・創る・守る」

歴史で言えば、信長は旧価値社会の破壊、秀吉は新価値社会の建設、家康は既存の事業のローリングによる維持管理の3つの作業をしたが、これを組み合わせることができるか。
個々の選手能力の合計がチーム力と考えてしまうと、これだけ選手がいるのに、なぜうちは結果が出ないのだろうというジレンマに襲われる。

まとまりとはわかりやすくいえば、目的意識、達成意欲をみんながもち続けることである。


士は己を知る者のために死す

監督と選手の要求とは常に相反するものである。

例えば、監督の要求とは
①自主性をもってほしい
②何のための試合なのか、その目的、目標を明確にもってほしい
③監督が何をしてほしがっているか知ってほしい
④野球が仕事なのか、それとも勝つことが仕事なのか、自覚してほしい
⑤ファンが何を要求し、何に感動するのか考えてもらいたい

一方、選手の要求とは
①自分の能力を評価してほしい
②自分に何を期待しているか教えてほしい
③結果がだめだったとき、その過程を知ってほしい
④ライバルに比べて自分の評価が低いのはなぜか教えてほしい
⑤自分がいった意見に対し、よいか悪いか、悪いのであれば、何がどう不十分なのか教えてほしい。

監督がチーム優先で考えているのに対し、選手があくまで個人主義である。

だが、選手というのは自分の存在価値を知ってくれる人がいれば「この人のために死んでも構わない」と思えてくるから不思議だ。リーダーのためという思いからチーム優先に変われるのである。

選手を力いっぱい育ててやりたい、立派な人間にしてやりたいと思ったとき、何も褒めたり優しく接することだけが愛情ではない。直言をしてやったり、厳しく接したり、叱ったりということも立派な愛情である。

以上、簡単にまとめましたが「野村ノート」でした。
野村さんもプロ野球選手としてプレーしていましたが、その頃は簡単な選手人生ではなかったようです。しかし、その時代での悩みや苦労が監督に変わった時に考え創意工夫をする指導ができ、ここまでの実績を残すことができたようでした。

悩みや苦労がわかるというのは監督や経営者には大事な要素かもしれません。人を教える側になったときに知識や技術も絶対に大事ですが、気持ちも寄り添える人になりたいなと思いました。

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