普通って言葉は時に自分を縛ります
皆さん「普通」という言葉はよく使われますか?
私も特に意識せずよく使っている言葉ですが、時にその言葉は自分を制限してしまうことがあるんです。
「普通」って何だ??
何気なく使う言葉ですよね。
意味としては
「常識」「多数派」「平均的」辺りのニュアンスが含まれると思うのですが、
その中身って全員同じものをイメージ出来ているんだろうか?
そもそも「普通」って誰が決めるんだ?
仮に皆の「普通」のイメージが共通のものだったとして
「普通」=「正しい」ことだといつの間にか決めつけている気がしてなりません。
自然と「普通」であろうとしている
ただ社会で大勢の人と関わり生活していると
「普通」でないものは
「偏見」「非難」「差別」などの対象になりやすいんですよね。
だからそういった負の感情を向けられる側にならないよう、
皆必死で「普通」であることにこだわっているのかもしれません。
皆一緒なら安心、そういう心理ですね。
自分の「普通」は皆の「普通」?
確かに皆同じなら安心感があります。
でもいったん立ち止まって考えると
自分の考えている「普通」と相手が考えている「普通」は全く同じとは限りません。
相手によっては180度異なることだって。
国や地域、性別、年齢、個人…etc
そう考えると「普通」とは、あってないようなものです。
すごくふんわりとした概念だと思います。
「普通」にこだわる意味はあるのか?
このとても抽象的な言葉。
自分が勝手に思い描いている「普通」。
それが皆と同じ「普通」かは定かでないですし、
その「普通」が正しい姿かなんてわからないんですよね。
だから無闇やたら盲目的に「普通」に合わせようとすることは微妙なのではないでしょうか。
「普通」という言葉にいつの間にか縛られて自分の行動や個性を制限してしまっていないでしょうか。
時には「普通」から解放してあげよう
例えば
本当は自分はこうしたいという思いがあるのに、
「こういう場面ならこう答えるのが無難で普通だろう」
とか
「〇〇したら●●するのが普通だからそうしておこう」
なんて自分の意思に反して「普通」を優先してしまう。
それをいつどんな時も繰り返していたら自分の個性がなくなって、自分がわからなくなってしまうかも。
それは寂しいことなので、
何か考える時はいったん「普通」というフィルターを外してみるといいと思います。
知らない間に私たちはいろんなフィルターをかけて物事を見ているんですよね。
それに気付くと今までと違った景色が見えたり新しい発見がありそうです。
皆がちょっとずつそれを出来たら内向型と外向型ももう少しわかり合えるのかな?なんて思います。
ということで今日は以上です!
最後までお読みいただきありがとうございました☺
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