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小説を書きたいと思い立った「いきさつ」② 事実を基に作家の想像力で肉付けする「ノンフィクション・ノベル」

情報サイト「プレジデントオンライン」に、日本で最も権威のある美術展の日展と、上下関係が厳しく、金銭体質と言われている書道界の実態を追ったレポートを書きました。お時間のあるときに読んでみてください。

「週刊文春」の取材を受け、宝塚歌劇団を傘下に持つ阪急阪神ホールディングスのコーポレートガバナンス(企業統治)についてコメントさせていただきました(2024年1月4・11日号)。タイトルは「宝塚『闇の金』」です。お時間のあるときに読んでみてください。

「週刊文春」の取材を受け、宝塚歌劇団を傘下に持つ阪急阪神ホールディングスのコーポレートガバナンス(企業統治)についてコメントさせていただきました(2024年1月4・11日号)。タイトルは「宝塚『闇の金』」です。お時間のあるときに読んでみてください。

「プレジデントオンライン」という総合情報サイトで、宝塚歌劇団と阪急阪神ホールディングスが改革すべきこと、急務の問題について記事(第2弾)を書かせていただきました。お時間のあるときに読んでみてください。

「プレジデントオンライン」という総合情報サイトで、女性の社外取締役や女性のアナウンサー、アスリート、タレントとの関わりについて記事を書かせていただきました。お時間のあるときに読んでみてください。

「プレジデントオンライン」という総合情報サイトで、宝塚歌劇団の劇団員の死や宝塚歌劇団の記者会見、阪急阪神ホールディングスの会長や社長の減給処分について記事を書かせていただきました。お時間のあるときに読んでみてください。

大学に進学し、3ヶ月ほど経って、高校時代の友人BとCに手紙で報告した。2人は、連絡を絶っていたこと、言を翻して大学に入ったことを咎めないばかりか、温かく祝福してくれた。裏切ったことに自責の念を抱いていただけに、救われた思いがした。

私が大学に入学したのは、1975(昭和50)年を迎える前だった。その頃、昭和の50年間を振り返るムックや昭和史関連の書籍が数多く出版された。

ムックには社会、風俗を映したさまざまな写真が掲載されており、時代の流れをビジュアルで捉えることができた。

それまで、私の興味の対象は江戸時代末期、幕末までだった。しかし、大学時代に近現代のドロドロした政治や経済に関する事件、世相の裏側を知ることになる。

例えば、松本清張の『昭和史発掘』『日本の黒い霧』『小説帝銀事件』『現代官僚論』や、ジャーナリストで評論家の青地しんの『反骨の系譜』『冤罪の恐怖』などには、現代社会の不条理な一面や、事件の裏側に隠された意外な事実が描かれている。

それから、興味はさらに広がっていく。ニュージャーナリズムの旗手と謳われた沢木耕太郎の『若き実力者たち――現代を疾走する12人』『敗れざる者たち』『人の砂漠』。そして、評論家の立花隆とともに「文藝春秋」の特集「田中角栄研究」に登場し、『淋しき越山会の女王』を書いた児玉隆也に興味を持った。

児玉の『一銭五厘たちの横丁』『この三十年の日本人』『ガン病棟の九十九日』などのルポルタージュを読めば、その観察眼に驚かされるだろう。取材される者に優しい眼差しを注ぎ、たとえ自分の病気が取材対象であっても、冷静に観察し続けている。

自身の目で、先入観なしに事実を見つめ、新たな視点で再検証する。この重要性を強烈に示したのが、朝日新聞社編集委員の疋田桂一郎だ。

1975年、ある銀行の支店長が逮捕された。支店長の娘には障害があったが、その娘を餓死させたという容疑だ。取り調べを受けた支店長は「子殺し」という批判を浴び、判決が出た後、踏切で飛び込み自殺をする。

「冷徹なエリート銀行マンが子どもを殺した」という記事を各社が報じた。しかし、疋田は違和感を覚えたらしい。事実関係を調べ直して提出されたレポートの要旨はこうである。「報道されていた『鬼のような父親像』は警察発表と記者によって作り上げられたものだ」と。

警察発表の内容を疑い、裏付け取材をきちんとすること、警察発表を根拠とするなら、その旨を明記すること。そして取材と調査を続けて続報を書くことが、報道機関として、記者として重要であると、疋田は警鐘を鳴らした。
 

歴史は歴史家が作る。小説は小説家を映す鏡だ



この時期、報道記事に「記者の主観を盛り込むかどうか」「署名を入れるかどうか」という議論が高まっていた。

「自分の視点や主張を入れ、署名で記事を書くべきだ」と、私は考えていた。その考えに至ったのは、イギリスの歴史学者、E・H・カーの『歴史とは何か』を読んでいたからだ。

従来、多くの歴史家は「主観的な歴史解釈に陥ること」を危険視し、「客観的事実の実証」に徹しようとしていた。それに対し、カーは「歴史上の事実」とされるもの自体が、すでにそれを記録した人の判断、意思、思惑を通して表現された主観的なものであると考えた。

例えば、1945年8月15日の日本の出来事をどう捉えるか。東京、大阪、広島、長崎など、各地でさまざまな動きがあっただろう。どの事実をピックアップするかによって、読む者に与える印象、理解は変わってくる。

カーは記録者や歴史家の主観の根深さを重視し、「客観的な事実」「客観的な視点」「客観的な歴史観」はないと主張した。言い換えれば「歴史は歴史家が作る」ということだ。

書くものすべてに、著者、記録者の主観が入る。フィクションである小説にあっては、さらにその要素が大きい。どのようなストーリーにするか、登場人物をどう動かすか。すべて小説家の主観、選択に基づいたもので、小説には作者の姿が「投影」される。
 

「今」を記録する記者


 
「歴史家は、個々の予言ではないにしろ、将来の行動のための正当かつ有効な一般的な指針を与える」。これもカーの主張の一つである。

「現在に生きる我々は、過去を主体的に捉えることなしに、未来への展望を立てることはできない」というわけだ。

歴史を楽しみ、学ぶことで、現在の政治・経済・文化への理解が深まる。これを私が知ったのは学生時代のことだが、後に社会に出て役に立つことになった。

歴史を紐解くには「時間の流れ」が重要だ。物事を見るとき、調べるときに年表を作り、時系列で物を考える習癖が身に付いた。

新聞や雑誌の記事、テレビやラジオの放送、ルポルタージュ。そして歴史的な事件や、作者の個人的経験を作品の核にして、作家の想像力で肉付けしたノンフィクション・ノベル。いずれも事実に基づいて伝えようとしているものの、事実を選択した段階で主観が入っている。

記録者・歴史家と同様に、現代のさまざまな事象を伝える記者やルポライター、作家の役割と責任は大きい。

「今を記録し、多くの人に伝えたい」。学生生活を続けながら、次第にこう考えるようになった。

「歴史の研究をする」「歴史小説を書きたい」。昔から漠然と持っていたその希望を捨てたわけではない。

 それらが「身の回りに起きている現代を記録し、伝える役割を果たしたい」という思いに昇華されたのだ。必然的にそうしたジャンルの本にのめり込んでいった。

例を挙げれば、毎日新聞記者、内藤国夫の『新聞記者として』や、朝日新聞記者、本多勝一の『殺される側の論理』、作家の小田実の『何でも見てやろう』などである。

大学では幕末政治史のゼミに入り、坂本龍馬が操船していた「いろは丸」が衝突・沈没する海難事故とその後の顛末を卒論のテーマにしていた。

だが、研究者としての道を続けるよりも、「ルポルタージュを書きたい」、「そのために記者になって、取材のイロハを身につけたい」と思うようになった。

新聞社と出版社だけを就職先に考えていたので、一般企業の会社訪問をしなかった。大学4年の11月にマスコミを受験したが、某大手新聞社は最終面接で不合格となった。

入社することになる出版社Dは、大学内の就職関連の掲示板に募集要項が張り出されていたため、「試しに」応募した企業だった。

会社名に馴染みはなく、どんな書籍や雑誌を出版しているかも知らなかった。だが、幸運なことに合格通知が届いた。(敬称略)

アマゾンのキンドル出版で、2023年8月、ペーパーバックと電子書籍の小説が発売されました。「権力は腐敗する」「権力の横暴や不正を許さない」をテーマにしており、お時間のある方はお読みください。
『黒い糸とマンティスの斧』 前原進之介著

 2023年9月25日発売の「週刊現代」で『黒い糸とマンティスの斧』が紹介され、9月27日にネットで配信されました。「現代ビジネス 黒い糸とマンティスの斧」で検索すると、記事が出てきます。時間があるときにお読みいただければ幸いです。




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