障害と特性と努力について
100点じゃなきゃ、0点と一緒だと思った。
これは私のこだわり。
白黒思考と完璧主義と障害のせいでできないことに、私は長年苦しめられてきたと思う。
小学校、中学校はできなかったし、教えてくれる人が居なかったから、諦めてた。0点を目指すわけじゃないけど、100点は無理だからって自分のできる範囲でしかやらなかった。
高校生になって、新しいスタートを切って、自分の可能性が広がった気がした。100点を目指せるような気がして、がむしゃらだった。
でも、相変わらずできないことは多かった。できないからって諦めてるわけじゃない。ただ、いつまで経ってもできないことを直向きに、そういう自分と真摯に向き合うのはしんどいから、たまに甘えたくなる。だから、頑張ってはいるけど「できないものはできない」「頑張ってもできない」って言いたくなる時もある。
マニュアルがないと行動できない。臨機応変な対応ができない。算数が苦手。人とコミュニケーションを取るのが苦手。そんな私が、やりたくて周りの人や先生に止められるのも聞かずに、営業職に就いた。
数字は伸びているし、成果も上がっている。
視野が狭くて周りを見れない。運動神経が悪い。不注意が多い。操作が苦手。そんな私が、スーパーカブに乗りたくてバイクの免許を取った。
できないことが悔しくて泣いたこともたくさんあるし、何度「もうやめてやろうか」って思ったか分からないくらい数え切れないくらい諦めたくなったけど、諦めずに最後までやり切って卒業できた。
自動車免許だってそう。初めは運転姿勢すら5回も6回も直されて、視野は狭いし、ミラーは見れないし、ミラーを見たら目視ができないし、右も左も分からないし、耳で聴き取るのが苦手だから何度も同じことを聞くし、車体の間隔とか幅も分からないし、一つのことしかできなくて一つを気を付けたらもう一つができなくなる。そんな私が、第二段階の見極めで、一番お世話になった教官に「成長を感じる」「寝れるくらい安心して見てられる」だったり、検定を担当する教官に「特に言うことないかな」「よく走れてたと思うよ」って言ってもらえるくらい上達するなんて、思ってもみなかった。
悪い想像は具体的にイメージするけど、良い想像は具体的にイメージできないんだ。
私は努力が障害や弊害を乗り越えていけることを証明したんだと思う。
だから、今はできなくて「どれだけやってもできないよ」って言いたくなっても、ずっとずっといっぱいいっぱいになるくらい頑張って、疲れちゃったらたまに休憩して、甘えたりなんかもしちゃって、そうしたらいつかできるようになる日が来るかもな、なんて思って頑張ってみたらいいと思う。
絶対に努力は実る、なんてことは言えないし、絶対に結果に繋がるとも限らないけど、完全に諦める必要はないよね。
これは自分への言葉。