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弟の試合を見に行くことにした。


僕は今日、弟の卓球の試合を見に行って来ました。
今日試合があることは前々から言われていましたし、今朝も母に僕を起こして、来てくれるかどうかを聞くだけでもしてくれ、と頼んでいたらしいです。
中学生なんて、みんな小生意気なものだと思っていましたが、そんなに自分の試合を見て欲しかったんだな、と思うと少し可愛く感じました。

試合会場は、奇しくも僕が中学生の時に部活の練習で使っていたテニスコートのすぐ近くでした。何度も見たのに、結局一度も入ることがなかった建物に弟の試合を見るために赴く。時間の流れと、運命というものの数奇さをこれでもかと感じさせられました。

結局、会場には9時過ぎに着いたのですが、試合が始まるまでにはそれから更に40分ほどかかりました。卓球部の副顧問に僕の中学2,3年生の時の担任が来ていて、また懐かしい気持ちになったりもしながら、ついにその時が訪れました。

思えば、弟の卓球するところを見るのはこれが初めてでした。今弟は中学2年生なので、1年以上卓球部に所属して卓球をしているはずなのに、ここまで全く見ることはなかった。年の離れた兄弟なんてそんなものだ、と言い切るのは簡単なことですが、僕はそんなことが少し悲しくなりました。生まれてからずっと見てきたはずなのに、知らない間に知らない人と仲良くなって、知らないところで色々なことを経験して、その中には僕が経験したことが無く、およそこれから経験しないであろう事も含まれるのでしょう。そして気がついたら、全く別の人生を歩んでいるのでしょう。

僕は知らない間に溜め息をついていました。

試合は、終始相手有利に進みました。相手が3年生だったと言うのもあるでしょうし、そもそもそういう場に慣れていないというのもひとつあったと思います。やりたいことに対して、実力が追いついていないという現実。

そうして僕の初観戦の試合は3対0で苦い結果に終わりました。
劣勢になるにつれ、弟の気が立ってゆくのを見るとえも言われぬ焦燥感に襲われ、胸が苦しくなりました。それはかつての僕が何度も経験し、そして久しく感じていなかったが故に忘れてしまっていた感覚でした。

先にも書いた通り、兄と弟、それも5歳年が離れていて、弟は中学生ともなれば自ずと昔のように近い関係では無くなってきます。
家でいる時間は少なくなり、人間関係は複雑になって、他人には教えられないようなことも増えてきます。
僕はそれを、弟が先輩や友人達に苗字で呼ばれている、たったそれだけのことで痛感させられました。
かつてその苗字は、僕だけを指すものでした。少なくとも、僕から見た世界では。

でも、もう違うのです。
僕から見た世界ですら、その呼び方は僕だけを指すものではなくなってしまった訳です。ファンシーに言い換えるなら、夢から覚めた、とでも言えばいいのでしょうか。
自己満足的な世界はもう終わるのかもしれません。僕がそれに耐えうるのであれば。

私の大切な弟と妹がこれから幸せな人生を過ごせるように願って、今日は終わりにしたいと思います。お疲れ様でした。

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