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わたしに足りないのは"他者を助ける"ことかもしれない | 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読んで

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、みなさんは読んだことがありますか?私はもともと本を読む習慣がありませんでした。そんなやつが純文学なぞ学校の授業以外で触れてきたわけもなく。お恥ずかしながら初めて読んだ宮沢賢治作品です。



この作品のなかで読者に問いかけられる「ほんとうのさいわいとは何だろう」という疑問。この作品が生まれてから100年くらいは経とうとしているけど、いまだに正解は見つかっていないし、正解は人によって違います。


銀河鉄道は死者をあの世へ送るための列車です。主人公ジョバンニとその友達カムパネルラがこの列車に乗り、一緒に銀河をめぐる物語。結局ジョバンニはそのまま銀河鉄道に乗ってあの世へ行くことはなく、もといた世界に戻ってきます。一方カムパネルラは川で溺れた友達を助けて、亡くなってしまいます。


この文庫本には銀河鉄道の夜以外の作品もいくつか入っているのですが、一貫して感じたことは宮沢賢治が非常に自己犠牲的な考えがあるということ。というより、自己を犠牲にしても他者を助けることに幸せがあると考えているのではないかと私は読み取りました。


だから読み終わったあと、わたしはなんだか納得がいかず数日モヤモヤした気持ちになりました。おそらく私と同じような世代の方、つまり20代・30代の方の多くは「自分のために人生を送る。自分軸で物事を考えよう」という意見を持っているのではないでしょうか。それは私も全く同じです。


数年前、仕事の閉塞感と人間関係で適応障害を患ってからは特にその考えが強くなりました。「私の人生は私のもの。自分を一番可愛がってあげないと」。文字に起こすのも恥ずかしいですが、本気でそんな風に思っていました。


でもそれだけでは、自分だけ幸せにするのでは、不思議なことに心が満たされてくれません。むしろ自分のためだけだったら「なにがどうなってもいい」と自暴自棄になってしまう瞬間すらありました。



「じゃあ自分が好きなこと、やりたいことを思いっきりやることができれば幸せになれるかも」と、いろんな自己啓発本を読んで自己分析してみたり、キャリアスクールに入って副業・起業するためのスキルを学んだりしてみました。それでも結局「なんか違う」でどれも中途半端に終わってしまうのです。


その原因をずっと考えてきたのですが、この本を読んで「足りなかったもの」に気付かされました。このカムパネルラの、宮沢賢治の「自己犠牲」こそ幸福のカギなのかもしれないと。私に足りなかったのは、「報いを求めず、純粋に誰かを助ける」ことだったのだと。


思えば、私が最近仕事以外で誰かのために何かをしたことがあっただろうか?何もしてない、ということはあまり考えたくないが、恥ずかしながらこれと言って思いつきません。お金のためでもなく、自分が得するためでもなく、純粋に「この人のために何かをしてあげたい!」という気持ちが失われていたのでしょう。


カムパネルラのように自分の命まで犠牲にせずとも、他人を思いやり、行動できる人生を送りたい。最終的にはそんな風に思わせてくれた『銀河鉄道の夜』をみなさんもぜひ読んでみてください。





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