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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2022年4月の記事一覧

「交換日記の頃」昭和の日にちなんで

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ134枚目 今日は昭和の日にちなんで「僕の昭和スケッチ」をお届けします。 あなたは交換日記を誰かと交わした事がありますか? それは僕ら昭和中高生の憧れの♡♡コミュニケーションツールでした。 大抵は女の子から男子に渡されます。男子から女子というのは相当度胸がいります。男子情け無し!(^。^)💧 勿論、普通のノートなどでもOKなのですが、伝統的な交換日記アイテムはやはり上の絵のようなハードカバーで鍵付きの分厚いものです。 これは恥ず

「暗い場所」昭和の町の下

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ133枚目 昔、岐阜市内は柳ヶ瀬の街のすぐ脇に小さなどぶ川が流れていた。 繁華街の地下に流れ込むその川の暗渠の奥には全てのものを飲み込んでしまうような闇があり、入り口は鉄柵で閉じられていた。それは内部に浮浪者や子供が入って事件や事故など起きぬように設けられたものだった。けれど、僕らはこの真っ暗な闇の奥にはこの世の物ならぬ恐ろしい何かが棲んでいて、それが出て来られないように頑強な鉄柵で閉ざしてあるのだと噂した。 それを大人は笑ったが、

「羽黒蜻蛉」暮らしの周辺にいた虫達

 「僕の昭和スケッチ」132枚目 今日はナメ君の日ですが、ナメ君にちょっとお休み頂いて「僕の昭和スケッチ」をお届けします。 羽黒蜻蛉は昭和の頃には、市街地から郊外へ自転車で20分も走れば田んぼの脇の小川などで見られた昆虫です。岐阜の市街地周辺にも沢山いました。 しかし、今はもういません。 もっと山間部に行けばきっと今でも見る事ができるのでしょうが、、、 生活の周辺からいなくなってしまったそんな昆虫がいっぱいいます。 掌に乗るような小品ですが、今日は皆さんに見て頂こ

「ナップザック大流行」昭和の子供達

 「僕の昭和スケッチ」131枚目 急に流行り始め、皆んながそれを持っている! というものが子供の学校生活に時折現れる。 ナップザックも、その一つ。 何しろペラペラの布やナイロン製の袋に紐をつけたような簡易な作りで、価格も安くあっという間に広まった。(これの良いところは、殆ど貧富の差を問わないという所だった。多少の差こそあれ、それほどに安かったのだ。) 猫も杓子も、、、とは正にこの事。 プールに行くにも遠足に行くにも色とりどりのナップザックだらけ! みんなが持っていた。

故郷を出た朝

 「僕の昭和スケッチ」130枚目 「夢は夢やで、そんなもんで一生ご飯が食べられる訳がないよ、ゆう君」 と仲の良かった義理の姉が私に言った。 「タワケが、自分の人生をどう考えとるんや! 絵が好きやと言うことと、それで飯を食うと言うことは全く別のことや。」 と親戚の叔父に呆れられた。(父親は病気がちで入院生活が続き、家にはいなかった。その父の代役として母が叔父を呼んだのだった) 「タワケやねぇ、あんたみたいなもん、何にも成れへんわ。あんたの学校の友達のM君、S大学へ行きんさ

60'sファッション/ヒッピーとフォークロア

 「僕の昭和スケッチ」129枚目 <フラワームーブメント・ヒッピーブーム> 1960年代後半にアメリカ(サンフランシスコ)で起きたヒッピーブーム。 日本ではフーテンと呼ばれる若者たちが出現しました。 サイケデリックアートやサイケデリックサウンド! カウンターカルチャー(時代の主流に対抗するカルチャー)と呼ばれ一世を風靡しました。懐かしいですね! 彼らは「ラブ&ピース」を提唱し、目指したのは実社会からの離脱/自然回帰。アメリカではベトナム反戦運動の一翼も担いましたが、過激