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ことばにならない

若い時が、かなり遠くになってしまった。

いつまでも、その時の気持ちのままというのも、なんだかどうなんだと思うけれど、時々、鮮烈にその時の気持ちが思い出されることがある。私はその時、高校生でまだ15歳だった。

その高校生の頃、私の家は借金だらけで、高校生活を続けられたのも不思議なくらいの貧乏生活だった。父は所得がそもそも底辺の仕事をしていたし、かつ病気がちで、母は半分障害者みたいなものだったから、経済力が本当になかったのだ。

私は一応地元の公立高校普通科で進学校にいたから、みんなと同じように大学には行きたかった。具体的に何になりたいとかなかったんだけれど、ひたすら、今のこのままの生活は嫌だし、逃げ出したかった。そのために大学にどうしても行きたかった。

高校生の時はお金がないことで、やりたかったことを諦めることもあったし、悔しかった。本当に惨めで悔しかったということだけは、鮮烈に覚えている。それでも、どうしても大学に行くのを諦めたくなかった。

普通に考えたら、親から諦めて働いてお金を入れてくれと言われても不思議のない状況だったが、親はいろんな負い目があったようで、どうしても働いてくれとは私に言えなかったみたいだった。

そもそも、大学に行かせるつもりはなかったようだったけれど。(私には弟がいて、弟をどうしても大学に行かせたいようだった。男の子だからと)

私は必死で勉強して、地元の国立大をうけ、金利のない奨学金をもらう手続きもすませ、なんとか合格した。あの時の必死さは、人生で最もすごい必死さだったような気がする。身体を犠牲にするように勉強していた。

親は行かせないとは言わなくて、授業料免除の制度を使い、半額免除とか全額免除とかになって、なんとかかんとか、大学生活は過ごせた。自力で生活できるくらい、バイトで稼いだ。

地元の大学に進んだことで、ラッキーなことに、高校の先生から、割りのいい家庭教師を紹介してもらえた。教育学部だったこともあったけれど、多分、うちが貧乏だったことを知っていたのではないかとも思う。

そんなこともあって、必死で手を伸ばせば、神様は助けてくれるのだとも感じた。いろんなことに恵まれない分、今思えば、他のことで私はすごく恵まれていたのだ。

とにかく、悔しかった時、私は心に誓っていた。

もし、将来自分の子どもが生まれたら、その子にはこんなに惨めな思いはさせない!と。15歳の私は誓ったのだ。

そういう誓いをたてて、私は前に進む糧としたのだ。

時は流れて、
私は結婚して2人の子どもに恵まれたが、育てるのはかなり大変だった。息子は育てにくいタイプだったのだ。

その子どももなんとか大きくなって、社会人になり、、、

その育てるのが大変だった息子から、
将来の目標を聞く時がきた。

「結婚して子どもが欲しい」
「おれは、お金がないから何々できないとか言われず、やりたいことをやらせてもらったから、自分の子どもにもやりたいことをやらせてあげられるようになりたい。お金がないからダメとか言わないように。そのために年収〇〇目指して、〇〇(職場)に行くのを目指している」

明確な目標に向かって、具体的なルートも語っていた。仕事も楽しいらしい。

胸がいっぱいになった。

「自分の子どもには、こんな惨めな思いはさせない」という鮮烈な思いを抱いた高校生の頃の自分を思い出し、あの時抱いた私の人生の大きな目的は果たせたのだ。という思いと、

息子のこれからの目標が、似ているというか、、
世代を超えて重なった、というか、、

いや、重なったのではなく、螺旋を描くように、「自分の子どもにはこんな惨めな思いはさせない」から、「自分はやりたいことをさせてもらったから、自分の子どもにも、やりたいことをさせてあげたい」に進化したのだ、、、。

上手く言えないこみあげるものがあった。

まだ相手も見つけていないのに、まだ見ぬ我が子に思いを馳せるとか、私と一緒じゃないか。

ことばにならない思いに大きくゆさぶられた。ことばにしてしまうと、なんか違う。喜びでも、達成感でも、ぴたっとこない。これまでの人生を肯定されたような。。。それもぴたっとこない。

今まで、よく頑張ったよね、でもない。。。

いろんなことを昇華できたのかなあ。。。それもぴたりとはこない。

なんと言えばいいのかわからない思いにゆさぶられ、説明のつかない涙がとまらない。

さあ、これからの目標はなんだろう。

終活と推し活か(笑)?


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