#12 「残り3ヶ月でどうか受験レベルまでお願いします?!」【7年間の不登校から大学院へ】
小学3年生から中学卒業までの7年間 不登校だった私が、私立高校のオープンキャンパスに行ったときに「ここなら通えそう」と呟いた前回の記事はこちらから
今回の記事では、オープンキャンパスで「ここなら通えそう」と呟いたものの、3ヶ月後に立ちはだかる高校受験まで、どのように勉強を行ったのかまでを詳細に書いていきます。
「残り3ヶ月でどうか受験レベルまでお願いします……?!」 塾に到着
お昼過ぎぐらいに塾の前に到着すると、まだ開講時間じゃないらしくシャッターが半分ぐらい閉まっていた。
けれど母は物怖じせず、半分開いたシャッターを下から覗き込むようにして「すみませ~ん!」と大きな声を部屋のなかに投げかけた。
2、3回呼んだところで部屋の奥から「はい?」と塾の先生らしき人の返事があった。
返答があって正直、私はホッともしたし不安にも思った。
なぜなら、そこである意味答えが出てしまうような気がしたから。
もし「受験にはもう間に合いません」と言われたらあの高校には通えない。
でも、もし「なんとか頑張ってみましょう」と言ってもらえたら希望が残る。
どっちなんだろう。
私はまだ間に合うのだろうか。
それとももう無理なのだろうか。
「もう受験日まで3ヶ月切ってますよね……?」
「……はい?」という少し不信ががった声とともにシャッターを開けて登場したのは、眼鏡をかけた男性の先生だった。
この先生こそが、私がこの後も大学受験までずっとお世話になる、私の英語人生の基盤を築いてくれたE先生だ。
「塾の体験に申込みたいのですが……」と言う、母と私のあまりの駆け込み寺的な形相に、これは何か事情がありそうだと先生は察してくれたらしかった。
塾を開ける時間のだいぶ前なのにも関わらず、すぐにE先生は塾の面談スペースのような部屋に通してくれた。
そこで母は早速、私が7年間不登校であること、それでも高校受験をしたいと思っていて今その高校のオープンキャンパスに行ってきたこと、数学と国語はなんとかなりそうなのだけれど、英語だけが壊滅的で、どうかあと3ヶ月でアルファベットから高校受験レベルまで教えてもらえないか、と先生にお願いしてくれた。
そんな無理難題を聞いたE先生は、「えぇ~?!」と驚きと戸惑いが混じった難色を示しながら、「もう受験日まで3ヶ月切ってますよね……」とカレンダーを見ながら言い淀んでいた。
するとそんな先生に対して、母は半ば祈るような言い方で「どうにかお願いします、できるところまで……!!」と最後の願いを先生に託した。
母も本当にこれが最後のチャンスと思っていたのか、その勢いは凄まじかった。
その言葉にE先生は覚悟を決めたように、「ちょっと待っててもらえますか」と塾の奥へと行き、今度は大量の参考書を手にして戻ってきた。
さっそく目の前でカリキュラムを組み始め、受験に絞った項目だけを重点的にしていくこと、それ以外の項目は大胆にも省略することなどを説明してくれた。
なによりも残された日数が少ないことから、早くも今日の夕方に入塾用の実力テストを受けてくださいとのこと。
それ以外にも、週に最低3回は来塾して授業を受ける必要があること、そして何よりも自分で予習・復習の地道な努力を続ける必要があると話してくれた。
私は精一杯、勉強を頑張ることをE先生と両親と約束して、私の受験勉強がアルファベットを書くところからスタートした。
このときすでに11月上旬、受験日は約3ヶ月後の2月上旬。
アルファベットからスタートした受験英語への道。
期間も学力も全然違うけれど、まるでビリギャルみたいだった。
まさかこの英語学習がきっかけで大学院にまで進学して、英語の勉強をどんどんと極めていくことになるなんて、この時点では誰も予想していなかった。
またこれは余談だけれど、塾を卒業するとき(高校卒業時、18歳)にE先生から聞いた話だと、あの日だけたまたまシャッターを半分開けていたのだそう。
いつもならシャッターを全部下ろして教室の掃除をしているのに、あの日だけはなぜか空気を入れ替えながら掃除をしようと、シャッターを半分だけ開けていたというのだから、なんとも運命的な瞬間だった。
もしかしたら、直感的な言葉と行動を起こしたあの瞬間こそが、私の7年間という長い不登校生活に一筋の光が差し込んだ瞬間だったのかもしれない。
塾で初めての実力テスト
その同じ夕方、私は実力テストと体験授業を受けるべく塾に向かった。
テストの内容は中学1年生レベルの英単語テストと英文法だった。
もちろんできるわけはなく、英単語テストでは珍回答が続出。
・バス は
bas(正解はbus、ローマ字表記で書いちゃった)
・図書館 は
riburary(正解はlibrary、"L" と "R"の違いが分からなかった)
・水曜日 は
wedunesday(正解はWednesday、ウェデュネスデー?)
・1月 は
one month(正解はJanuary)
・猫 は
cats(正解はcat、なぜかミュージカルの「キャッツ」が頭に残っていて複数形で回答)
・誕生日を英語で書いてください という設問にも全て数字で回答
1990、01、31(正解は、I was born… や My birthday is January 31, 1990 など)
※生年月日は例です
上記のようなパッパラパー状態で回答し、ほぼ当てずっぽうで3割ぐらいの正解率だった。
実力テストの採点と体験授業が終わってから、また面談室で私と母とE先生の三者者面談が始まった。先生の内心では、予想はしていたものの本当にそうなのかという感じだったと思う。
E先生には、プレッシャーがあったにも関わらず見放さずに指導してくださって感謝の気持ちしかない。
また、そんなに沢山の日数を塾に通わせてくれた両親にも本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
塾に通いながらの受験勉強がスタート
実力テストの結果を見ながら、塾としてこちらも精一杯授業をしていくが、それ以上に何よりも本人の努力が必要であること、それを改めて約束した。
そこからは、中学校での週2回の数学の特別授業に加えて、塾で週4回の授業(火、金、土曜日は英語、木曜日は国語というカリキュラム)となった。
塾では毎回、英単語のテストからスタートして、範囲は毎回100単語ずつぐらいだったと思う。塾での英単語テストは毎回必ず8割~9割を取れるように絶対に頑張って覚えていき、覚えきれていなかったところは次回に持ち越ししてドンドンと反復的に覚えていった。
毎回、塾の壁に貼られた忘却曲線のグラフを見ながら、予習と復習がいかに大事かを知った。
そして何よりも復習と予習を完璧にして、授業内容はもちろん、先生が話していた内容までもを全て覚え切る意気込みで頭に詰め込んだ。
7年間のブランクで脳内の空白が多かったからか、スポンジどころかマイクロファイバーのタオル並みに私は知識を吸収していった。
逆に言うと、まっさらな頭でスタートして先生から英語を一からきちんと(だいぶ駆け足だったけれども)学べたことが、大学院まで進学できる土台になっていたと思う。
E先生の英語の教え方が本当にシステマチックな方式できちんとしていたので、私も体系的に土台となる基礎から英語を学ぶことができた。
オープンキャンパスに行ったあの日から、家でも学校でも塾でも、どこででもひたすら受験勉強に勤しんだ。
「そろそろ過去問を解いてみよう」
塾に通い始めて1ヶ月ぐらいが経った頃、そろそろ志望校の過去問を実際に解いてみようとE先生から言われた。
結果は、英語は2割足らず、数学は6割、国語は5割ぐらいだったと思う。
私も先生も覚悟はしていたけれど、内心とても焦っていた。
でもそんな焦る私に対して先生は冷静に「今の時点でこれぐらいなのは想定内だから、変わらず頑張っていこう、大丈夫」と声をかけてくれた。
私はこの言葉に励まされて心強さを感じて、焦りすぎず着実に受験勉強を重ねた。残るは受験日までひたすら頑張るのみだった。
中学校の教室で受ける定期テストの数学では平均点を超え始め、国語もコツを掴んでそこそこできるようになっていた。残りは英語。
年末年始も不規則変化の英単語を必死に覚えて、勉強をしていたら年を越していた。夢中になって私は時間の全てを勉強に費やした。
高校の受験日当日
いよいよ受験の試験当日がやってきた。
前日から降り続いた雪が夜中に積り、試験当日は足元が溶けかけた雪で濡れていた。
雪空のどんよりとした薄暗い天気のなか、高校のロビーには臨時の石油ヒーターが並べられていて暖かかくて、たとえるなら雪山で入った山小屋みたいな雰囲気だった。
受験生と親たちでごった返していて自分の受験番号と該当の教室を探すのに一苦労した。
ペンを持つとペンダコに痛みが走るので、指にバンドエイドとテーピングを巻いて試験に挑んだのも覚えている。
また、久しぶりの「学校」という場に緊張しながら、試験直前までまとめノートを読み込む私に、付き添いの兄が「こういう時は自分がやってきたことだけを見直した方が自信つくよ」と言って、私を落ち着けてくれた。
試験直前
試験時間まであと10分程度。
緊迫した空気が張り詰める教室。そこで試験官の先生がなぜか、自分が受験した日の朝はホームで滑って転んだ、というなんともそぐわない謎のエピソードを話してくれた。
「そんな私でもここに受かったから大丈夫」という話のオチだったのだけれども、教室にいた全員は私含めて苦笑いだったのをなぜかやけに覚えている。
そんな試験官の先生が教壇の上にある時計を見上げて腕時計と見比べ始めて、試験直前の独特の沈黙が訪れる。
いよいよだ。
今日まで3ヶ月、あれだけ頑張ったのだと自分に言い聞かせながら、「大丈夫!」と送り出してくれた塾の先生の顔を思い浮かべて深呼吸をしたとき、試験開始のチャイムが鳴った。
試験の手応え
3科目の筆記試験とは別に面接試験もあった。
面接では、私の情報が中学校からいっていたのか「じゃあ最後の質問です。どう? ここだったら来られそう?」と面接官の先生が聞いてくれた。
いままでの質問とは口調が異なって優しかった。
私はありのままの気持ちで「はい」と大きな声でまっすぐ目を見て答えた。
それで試験は全て終了した。
各教科の手応えとしては、数学はまぁまぁ、国語は模範解答になるのではないかと自画自賛するぐらいの手応え。
そして肝心な英語は、7割はいったんじゃないかなと冷静に思った。
特別その年の試験問題が簡単だったわけでもないようで、やっぱり私の学力がたったの3ヶ月だけれど、その短期間で上がっていたのだと思う。
それから数日後に高校から合格か不合格かを通知する封筒が届いた。
予想もしなかったオマケもついて。
相談室で切磋琢磨し合った親友と送り合った卒業ソング、中学校最後のHRに出席した話、そして高校入学時の詳細はまた次回に。
次回は #13 切磋琢磨した相談室での親友、別々の高校へ【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。
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