【フィクション】霧と幻に愛された世界の話をしよう0

こんばんは、旅人さん。
まさかこんな場所で人に出会えるだなんて、思いもしなかったよ。

私かい? 私はー……お恥ずかしいことにね、道に迷ってしまったんだ。
ひとまず近くの街を目指して歩みを進めてはいたのだけれどね、
たどり着く前にこんな時間になってしまった。

……いやあ、今日はとても冷え込むね。
今ちょうど焚き火を用意しているところなのさ。
そこの薪木を組んで……ほら。完成!
よかったら旅人さんもいっしょに暖を取らないかい。

それにまだ、こんな夜更けだろう。
あたりも静まり返って恐ろしいったらありゃしない。
正直に言うと、ね。1人では少し心細いんだ。
少しだけ私のわがままに付き合ってくれるとうれしいな。

自己紹介がまだだったね。私はしがない記録者さ。
冒険者や旅人とは違うのかって? 
そうだなあ、旅をしているという点では同じだね。

だけど私にはね、冒険心がある訳じゃないんだ。
ほら。旅には危険が付きものだろう?
不測の事態があって、絶体絶命――それでもわくわくが止まらない。
……なんてさ。
悔しいことに私には、どうにもそんな状況がひどく怖くて
たまらないらしくてね。そんな高揚を感じる余裕もない。
本っ当、情けない話さ。

まあでもね、そんな臆病者でも好奇心なら
だれにも後れを取らない自信はあるよ。
そして見知らぬ誰かに知ってほしいんだ。
まだまだ世界には未知と不思議で溢れているのだとね。
だからこそ、この肌で感じたことを記録して残したいと思う。
よかったと思えるものはよかったと。恐ろしいものは恐ろしいのだと。
そう、こんな風に。今旅人さんと話しているこの瞬間も
切り取って、残したい。だから記録者を名乗っている。
もちろん、ただの自称だけれどね。

ああそうだ、こうして出会ったのもなにかの縁。1つ話を聞いておくれ。

旅人さんはこことは異なる遥か遠い世界、
「霧と幻に愛された世界」のことを知っているかい。
……いきなりなにを突拍子もないことを言い出すんだ、
っていう顔をしているね。ああ、待って! 行かないで!

……こほん。頭をおかしくしたやつの戯言かと思うかもしれないけどね、
私は見てきたんだ。なによりこの自分の目でね。
もちろん、ここまで言うからには実体験だよ。
絵本の中のおとぎの国のような話じゃあない。

なんと言えばいいだろう、話せば長くなるのだが昔
旅先で不思議な道を見つけてね。好奇心でつい踏み入ってしまったら、
なんと次第に霧が濃くなっていくじゃないか。
引き返そうと思った時にはもう遅かったみたいでね、
気づけばそれはもう、今まで見たこともない土地だったんだ。

ああ、ただの迷子を憐れむような目でこちらを見ないでおくれ。

違うんだ! 私はこれでも地理には詳しくてね。
数多の国をこの足で渡り歩いてきたんだ。世界地理の文献も
世に出回っているものなら読破していると言っても過言じゃないくらいに。
そんな私でも、その時目にした土地だけは! どこだかわからなかった!
しかもだ。
そんな状況に追い打ちをかけるように頭の中は真っ白になってしまって、
果てはしばらく自分の名前すら思い出せない始末さ。
これでも記憶力には長けている自信があったのだけどね、
その時ばかりはなにが起こったのかすらわからなかったよ。
……そこからはなんやかんやあり、常に手探り状態だったさ。
だが幾年もの旅を経て、つい先ほどようやく!
故郷とも言える今のこの世界に帰ってこれたんだ!
ああ本当に、長かった……。
その生還の確たる証拠に見ておくれ、私の手記に書かれたこの文字を。
これは現地で知り合った友たちに、別れ際の思い出として
書いてもらったんだ。俗にいう、励ましの言葉というやつさ。

……これで少しは信じていただけたかな?
脱線してしまったが、そこでは「濃霧」と呼ばれる
独自の現象が見られてね。どうやら、気象学的によく言われる
一般的な霧とはまるで別物なんだ。
ぱっと見る限り我々もよく知っている白い水蒸気に近いものなのだけどね。
簡単に説明してしまうと、普段は肉眼で捉えることもできない
その世界における生命エネルギーが霧のようになって
見えている状態のことを指すらしい。
まあ、いきなり生命エネルギーが見えるだなんて言われても
信じられないよね。そもそもこの世界には馴染みのない概念だしさ。

でもその「濃霧」が発生するおかげで土地は瘦せることなく、
作物は豊かに実り、人々が疫病に悩まされることもないんだ。
本当想像もつかない話だよ。
でも! でもね、効能も十分すごいのだけど、
私が推したいのはなによりその美しさなんだ!
こうじっと見つめていると、まるでシルクの光沢ような優しい光が
うねりとなって煌めいているんだ。あれは思わず息を呑んだよ。
おっと、つい熱く語ってしまってすまないね。

とはいえ、もちろん良いことばかりではないみたいでね。
どうやら人間をはじめとするありとあらゆる生物の精神に
深く影響を与えてしまうことがあるそうなんだ。
人間だったら時に感情を増幅させ、乱し、
果ては記憶にまで干渉してしまうのだとか。

これは私自身も痛感させられたからわかるよ……。
ほら、こちらの世界から世界を渡ってしまった時に
自分の名前すら思い出せなかったと話しただろう。
その正体が、実はこの「濃霧」の影響だったという訳さ。
記憶がするりと抜け落ちてしまう感覚が、
こうも震えて取り乱すほど怖いものだったとはね……。

その状況からどうやって復帰できたのかって?
いやはや、これもまた話せば長くなるのだが、
現地で初めて出会った友のおかげだよ。
彼女がいなければ、今ごろ誰にも知られず野垂れ死んでいたね。
おお、考えるだけでも恐ろしい……。
こ、この話は一旦置いておこう。
もし旅人さんがその時まだ気になるのなら、
また後で話すとしようか。

とまあ、私の体験を込みにしてもこの「濃霧」という現象は
恵みをもたらすものであると同時に、人々の恐れの対象でもあるんだ。
だからその世界の人々はこの「濃霧」と程よい距離を
保つようにして共存しているのだってね。

そうそう、あとは旅の最中に友人の1人から
教えてもらった話なのだけど、この世界の大部分の国や地域では
どうやら「霧の神」と「幻の神」という二柱を崇め奉っているそうなんだ。
驚くことに、この二柱はあらゆる文献、吟遊詩人の残す歌の中でも
遠い神話の時代から世界そのものの創造主として謳われているのだってね。どれほどすごい存在なのかと後で気になって現地の王立図書館で
調べてみたら、こんな創世神話が残されていたんだ。

「始まりは、総てが『濃霧』で白く塗りつぶされていた。
 『濃霧』の中から原初のものたちが現れた。
 白きものはその霧で『濃霧』を払い、無が生まれた。
 黒きものはその幻で『濃霧』に形を与え、有を作り出した。
 白きものは有に魂を吹き込み、続くものが造られた。
 続くのものが時を刻むと、時間が進み始めた。
 無は膨らみ、空間が広がり始めた。
 さらにその手で弧を描くと、太陽と月が生まれ出でた。
 太陽と月は動き出し、朝と夜をもたらした。
 白きものが祈ると、海が歌い、風が囁き、雷が綻びた。
 黒きものが願うと、炎が舞い、大地が微睡み、草木が寄り添った。
 こうして世界は造られた」

この神話に登場する「白きもの」が霧の神のことで、
「黒きもの」が幻の神のことを指すんだ。どうやら互いの力を
合わせて万物を創造したみたいでね。私たちの住むこちらの世界では
神というと全知全能の神が一柱存在するような話が多いだけに、
珍しいよね。もしかしたら仲が良かったのかな。
そうしたら共同作業みたいで、なんだか微笑ましい話だね。

「続くもの」のことも知りたい? 旅人さんも気になるよね!
私もなのだけど、残念……この話以外の文献が見つからなかったんだ。
でも神話の内容から見るに、霧と幻の神と同じく世界創造の一部担った
大きな存在なんだね。時間と空間を司る神さまか、
一体どんな方だったのか。ああ、思い出したらまたあの世界に
渡りたくなってしまったよ……!

それにしても、ずいぶん長いこと話をしたね。
ここまで聞いてくれてありがとうね旅人さん。
お礼と言ってはなんだが、旅人さんは牛の乳は飲めるかい。
さらに特別に! なんとフォレストビーの蜜をたっぷり入れておいたよ。
はは、砂糖の代わりで使うにしてもこの辺りでは少しばかり
貴重な代物だけれど奮発して買ってみたんだ。
ほのかに香るナッツの香ばしさがたまらないね。
おっと、あっつあつだから気をつけて飲んでおくれ。
寒い夜のおともにはピッタリなんだ……あちち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?