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「地下室」に宿る「卑屈な心」――井筒俊彦『ロシア的人間』

「全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやり出すだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起す。今やロシアは世界中の真只中に怪物のような姿をのっそりと現して来た。為体の知れないこの怪物のまわりに無数の人々が、蝟集して騒ぎ立て狂躁している有様は、まるでスタヴローギンをめぐる「悪霊」の世界がそのまま現実となって出現したようだ。この怪物の姿を仰ぎ見ただけで、ただもう訳もなく感激し、熱狂し、昂奮している人々がある。顔をしかめ、憎悪と憤懣に充ちたまなざしをそれに注ぎながら、怒罵し、呪詛を投げかけている人々がある。胡散臭そうにじっとそれを見つめている人々もある。こうなるともう誰も黙ってはいられない。誰も無関心ではいられない。好きでも嫌いでも、全ての人が関心を払わずにはいられないのだ。ロシアをめぐる空気は異常に緊張している。今日、ロシアはまさに文字通り一個の全世界史的「問題」として自己を提起した。みんながこの「問題」を解決しようと焦心する。ロシアの正体を誰もが知りたいと念願する。この怪物は一体何者なのか? 彼は何をしようというのか? どんな新しい言葉を我々に向って吐こうとしているのか?」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

蔵書の整理をしていたら目に入ってきた井筒俊彦の『ロシア的人間』。目下の世界情勢を考えるヒントでもあるかと久しぶりに頁を開いたところ、巻頭に書かれていたのが上に引用した文章。まるで今まさに書かれたような生々しさがある。チュチェフの、

 ロシアは普通の秤では量れない、
 ロシアは一種独特な国!

という詩を引用しつつ、ロシアはロシア人自身にとっても「謎」であることを強調し、その「謎」の正体を、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ベリンスキー、チュチェフ、ゴンチャロフ、トゥルゲーネフ、トルストイ、ドストイェフスキー、チェホフといった19世紀ロシア文学を代表する作家たちの世界に分け入りながら若き井筒俊彦は探求していく。

「ロシア人はロシアの自然、ロシアの黒土と血のつながりがある。それがなければ、もうロシア人でも何でもないのだ。西欧的文化に対するロシア人の根強い反逆はそこから来る。文化の必要をひと一倍敏感に感じ、文化を熱望しながら、しかも同時にそれを憎悪しそれに反逆せずにはいられない。この態度はロシア独特のものである。こういう国では西欧的な文化やヒューマニズムは人々に幸福をもたらすことはできない」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

「外から見たロシア人にはどことなく暗い翳りがあり、その印象がどう見ても陰性であるのは恐らくそのためだ。ロシアは暗い。深い恐ろしい底を隠してよどんだ沼のように、それは不気味で陰鬱だ。ドストイェフスキーの『悪霊』を読んで受けるあの暗い印象、魂の深部にまで喰い入って来るあの遣り場のない暗黒は、決してただ『悪霊』という小説だけの暗さではないのである」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

「アンドレ・ジィドやニコライ・ベルジャーイェフが言うように、『地下室の住人』こそドストイェフスキー的文学の出発点をなすものなのだが、こういう意味では、ロシア的人間自体がすでにその本質上、地下室の住人であり、ロシア文学全体が――したがってまたロシアそのものが――一つの巨大な「地下室」と考えられないだろうか。しかしもちろん、この地下室はただ暗くて憂鬱なだけではない。実はこの暗闇の中には、昼の世界が夢にも知らない猛烈な歓喜が、メレシュコフスキーのいわゆる「夜の子供達」だけにわかる暗黒の情熱がどよめき渦巻いているのだ。ガールシンやチェフホに至って絶対的な極限に達するロシア文学のあの特徴ある暗さが、いわばもう取り返しのつかない決定的な様相を帯び出すのは、まず何といってもゴーゴリあたりからだと思うが、一方その同じゴーゴリが、一見すると全くそれと相容れないような凄まじいバッカス的な生の歓喜の代表者であることは、まことに意味深長な事実と言わなければならない」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

『ロシア的人間』は最初、弘文堂から昭和28年に出た本だが、もともとはその5年前に慶応大学の通信教育部の教材用に書かれた文章が元なっているということである。昭和23年というと、井筒俊彦34歳のときになるが、その歳で近代ロシア文学の代表的作家の作品を原文でほぼ読破し、専門でもないのにこのレベルのロシア文学論を書いてしまっているのだから、井筒俊彦はつくづく天才である。井筒自身は、この本について次のように回想している。

「大学を卒業したての未熟な若者が、要するに自分だけのために書いた私記であるにすぎない。学問とはどういうものであるべきかもよくわかっていなかった。ただロシア語を学び、始めてロシア文学に触れた感激を、ひたすら文字にしようと夢中になっていた。だがそれだけに、私個人にとっては、実になつかしい青春の日々の記録ではある」(井筒俊彦『ロシア的人間』後記)

その後、日本におけるイスラム研究の大家となる井筒俊彦が、若き日に強烈なロシア文学体験を経ているというのは、案外重要なトピックかもしれない。

「ロシア的人間」の謎を見究めようという若き日の井筒俊彦の試みは、相手が大きすぎるので、さしもの天才といえど成功しているとは言えないと思えないが、ドストイェフスキーの『未成年』から、ソコーリスキー公爵とアルカージーの次の言葉を取り出してきているのは流石の炯眼と感じる。

「ねえ、アルカージー君、私達は、つまり私も貴方もですよ。お互いに共通なロシア的運命ってやつに襲われてしまったわけですよ。貴方もどうしたらいいかわからない、私もどうしたらいいかわからない。ロシア人という奴はね、習慣がちゃんと制定してくれた公定の軌道から飛び出すやいなや、たちまちどうしたらいいかわからなくなっちまうんです。軌道に乗ってる間は何もかもはっきりしている。ところがちょっとでも何か変ったら最後、さあ大変だ、まるで風にもてあそばれる木の葉同様で、どうしたらいいか途方にくれてしまう」(ドストイェフスキー『未成年』)

「我々は韃靼人侵入を経験し、次に二百年の奴隷状態を経験したわけですが、それというのも実は両方とも我々の好みにかなっていたからなんですよ。今や、自由が与えられています。そしてこの自由をもちこたえて行かねばならない。しかし一体我々にそんなことができるでしょうか。自由も奴隷状態のように我々の好みにぴったりとくるでしょうか、そこが問題です」(ドストイェフスキー『未成年』)

「韃靼の軛」以来の奴隷状態のエトスを、ドストエフスキーはロシア民衆の根底にあるものと見ていたようだが、その「卑屈さ(подлое сердце)」が西欧渡来の「自由」と出会ったときに、ロシア人はどう身を処するのか――これが、シベリア流刑以降のドストエフスキー文学を貫く主題になっていると思う。

「なんて卑屈な心なんだろう! あたしの卑屈な心に乾杯!」(Экое ведь подлое сердце! За подлое сердце мое! )」(『カラマーゾフの兄弟』グルーシェンカの台詞)

そしてその主題は、まさに目下のウクライナ危機でも展開されているように思う。なかなか楽観できない状況が続いているが、

「その政治体制ではなく、トルストイやドストエフスキーを生んだロシアの民衆を私は信じる」

というトーマス・マンの言葉に倣って、厳しい弾圧に遭いながらも反戦の声を挙げているロシア民衆を僕も信じたいと思う。

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