Mystery Tramp

私は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女に惚れた事もある。けれどもみ…

Mystery Tramp

私は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女に惚れた事もある。けれどもみんな失敗、まあ隠者、そう思っていただきたい。大隠は朝市に隠る、と。(太宰治『黄村先生言行録』より)

最近の記事

「デナ物語」――トーマス・マンの描いた神話時代のイスラエルびとによる虐殺行為

旧約の創世記に、ヤコブの娘のデナが古代パレスチナに住んでいたヒビ人(パレスチナ人の祖先の一つか)の青年に手籠めにされ、それに怒ったデナの兄弟たちがヒビ人の街を襲撃して虐殺の限りを尽すという話が書かれている。神話時代のパレスチナで起きた、ユダヤ人の祖先たちによる原住民へのテロリズムみたいなものだけど、トーマス・マンは、創世記に取材した『ヨゼフとその兄弟たち』で、一章を割き「デナ物語」と題して、このデナを巡るヤコブの息子たちの虐殺行為を詳細に描いている。 トーマス・マンが「デナ

    • どうして、マスコミは私に関して大げさな話を書くのだろう――『プーチン、自らを語る』

      2000年、エリツィンの後継指名を受け、一回目の大統領就任間近のプーチンが、ロシア人ジャーナリストの質問に答える体裁で刊行された長編インタビュー。貧しかった少年時代のことから大統領就任までの半生が語られていて、一種の伝記的な性格も持った一冊になっている。 以下、印象的だったプーチンの言葉を引用。 「結婚するのに理由がいるのかね。最大の理由は愛だよ」(P14) 「戦争ではいつも多くのあやまちが犯されるものだ。それは避けられない。しかし、戦いの最中に、まわりの人間すべてがつ

      • 「地下室」に宿る「卑屈な心」――井筒俊彦『ロシア的人間』

        「全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやり出すだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起す。今やロシアは世界中の真只中に怪物のような姿をのっそりと現して来た。為体の知れないこの怪物のまわりに無数の人々が、蝟集して騒ぎ立て狂躁している有様は、まるでスタヴローギンをめぐる「悪霊」の世界がそのまま現実となって出現したようだ。この怪物の姿を仰ぎ見ただけで、ただ

        • ウクライナとロシアの間で――ニコライ・ゴーゴリのいた場所

          ヴラジーミル・ホロヴィッツ、スヴャトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリス、セルゲイ・ブブカ、大鵬幸喜――左に上げた諸氏は、皆ウクライナ・ルーツの人たちになります。 ホロヴィッツやリヒテルは僕もよく聴くけど、「ロシア人ピアニスト」というイメージで聴いていて、彼らがウクライナ出身であることまで思いが及ぶことはほぼなかった。 近代ロシア文学の基礎を築いたとされ、ドストエフスキーに「我々はみなゴーゴリの『外套』から出てきた」と言わしめたニコライ・ゴーゴリもまた、ウクライナ人である。

        「デナ物語」――トーマス・マンの描いた神話時代のイスラエルびとによる虐殺行為

        • どうして、マスコミは私に関して大げさな話を書くのだろう――『プーチン、自らを語る』

        • 「地下室」に宿る「卑屈な心」――井筒俊彦『ロシア的人間』

        • ウクライナとロシアの間で――ニコライ・ゴーゴリのいた場所

          スタインベック『アメリカとアメリカ人』――暴力が授ける「美徳」

          スタインベック最後の作品、『アメリカとアメリカ人』を読む。書かれたのは公民権運動の盛り上がる1966年のこと。当時の世相を踏まえつつ、最後の作品とあってアメリカへの遺言というべき趣がある。『アメリカとアメリカ人』という題名が、アメリカ人にとってもアメリカという国は「一個の謎」なのだということを暗示しているようなのも興味深い。 移民を巡る問題をアメリカの建国にまで遡って描いた箇所や、大統領選における身も蓋もないネガキャン合戦を描いた箇所など、現代でもまったく古びていないどころ

          スタインベック『アメリカとアメリカ人』――暴力が授ける「美徳」

          「明日は明日の風が吹く」

          林芙美子の『放浪記』(新潮文庫)の38頁に、 「明日は明日の風が吹くだろう」 というフレーズが出てくる。いまでは諺レベルで人口に膾炙しているこの言葉、出処はどこだろうと思ってググってみたところ、映画『風と共に去りぬ』のラストの「Tomorrow is another day」を「明日は明日の風が吹く」と高瀬鎮夫が字幕で訳したことで広まったらしい。 しかし、『風と共に去りぬ』の日本公開は1952年で、『放浪記』の単行本が出たのは1930年だから、後者の方が22年も早い。林

          「明日は明日の風が吹く」

          「翻訳家」三島由紀夫

          未読だったゲーテの戯曲を読もうと、図書館で全集を借りてきて読み進めているのだけど、『プロゼルピーナ』という戯曲(独白劇)を三島由紀夫が訳していた。ドイツ文学の専門家でもない三島がなぜこの戯曲を翻訳することになったのか、経緯がちょっと気になる。 このゲーテ全集が刊行されたのは昭和35年なので、三島35歳のときの訳業になる。昭和35年というと、『鏡子の家』や『宴のあと』の頃で、前者の不評や後者の裁判沙汰などで、それまで順風満帆だった三島のキャリアにようやく影が差してきた時期であ

          「翻訳家」三島由紀夫