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「みるとす」ガザ・イスラエル戦争特集

 終わりの見えないガザ・イスラエル戦争。隔月刊誌「みるとす」12月号は、連載中の各筆者がこの度の戦争について、それぞれの専門分野から分析・検証する記事を投稿された。ここに各記事の抜粋を紹介する。


▼雑誌「みるとす」について

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▼「富士山マガジンサービス」(試し読み可能、デジタル版もあり)

https://www.fujisan.co.jp/product/2610/new/


ミルトスはイスラエルと共に:谷内意咲

 ミルトス編集代表である谷内意咲の巻頭記事。メディアの映像翻訳に携わりつつ、今回のテロ攻撃を日本からウォッチしてきた。

 日本のメディアでは到底放映できないテロの残虐なシーンが数多くイスラエルから届いていた。ハマスが自ら撮影したもので、テレグラムというSNSのページにアップされたものだった。当初メディアの論調は、ハマスのテロ攻撃は許せないというものだった。
 イスラエル国防軍(IDF)はすぐに反撃に出た。ガザへの空爆が始まると、ガザ市民を人間の盾に使うハマスの戦法が「奏功」し、ガザ市民の死者数は一気に「数百人」レベルに達した。ちなみに死者数を発表する「ガザの保健当局」はハマスの傘下にある。数字の真偽を確かめることもなく世界のメディアはこれを一斉に報じ、国際世論は一気に逆転した。「ハマスのやったことは許されないがイスラエルもやり過ぎだ」という論調へと一変した。

《谷内意咲》

 そしてテロ攻撃とはどういうことか、自身の体験を踏まえて論じる。

 無差別に一般市民を殺傷することによって恐怖(テロール)を植え付け、自らの政治目的を達成しようとする試みがテロリズムである。ハマスが行なっているテロ行為と、イスラエルが自国民を守るための攻撃は決して並列して論じられるものではない。
 テロの恐怖について、私の小さな体験談がある。イスラエルに留学していた1990年代、オスロ合意が結ばれた直後から自爆テロが頻発した時期があった。私は通学でバスを利用していたが、その恐怖は計り知れないものがあった。主に市内循環バスがターゲットになっていたからだ。不審者と思しき人物が乗車してきた際、怖くなって途中で降りたことが何度かあった。……
 無差別テロの恐怖は体験した者でないと分からないのかも知れない。安全な場所から声高に停戦だけを叫ぶ人は、テロの現場を体験してみるといい。テロリストにはどんな理屈も通じないことが分かるだろう。

《谷内意咲》

 最後に、今後のイスラエル・パレスチナ問題について、エジプトのサダト大統領の例を出しつつ、一筋の希望を紹介している。これについては、本誌を参照いただきたい。

ハマスによるイスラエル攻撃:佐藤優

 日本のマスコミは感情に流されて冷静な分析がなされていないとして某紙の社説を紹介。その問題を2点指摘する。

 第1は、ハマスがテロ組織であるという認識が稀薄なことです。イスラエルがテロ組織と共存することは不可能であるという現実をこの社説を書いた論説委員は理解していません。
 第2は、イスラエルの生存権が脅かされているという認識の欠如です。ナチス・ドイツによって、600万の無辜の人々がユダヤ人であるという理由だけで殺害されたホロコーストのような事態を二度と繰り返さないようにするためにイスラエル国家が再建されたという歴史的経緯に対する認識が欠如しています。ハマスのテロは、ユダヤ人であるというだけの理由で殺害を認めるという属性排除の論理に基づくものです。ハマスは、ナチスと同じ発想をし、行動しているのです。

《佐藤優》

 その上で、ロシアの高級紙「イズヴェスチヤ」を引用しつつ、イスラエルの立場を分析する。

 この記事からイスラエルの意図があくまでもハマスのテロ掃討で、ガザ地区にユダヤ人を入植させることが目的でないという国家方針がよくわかります。親パレスチナの感情的な日本の報道と比べると、ロシアの新聞は情勢分析に必要となるデータを提供しています。

《佐藤優》

 最後に、日本の中東に対する立場は「中立」であるという某紙に対して、上川外相の言葉を引用しつつ反論する。

 日本政府の基本的立場はハマスによるテロ攻撃を弾劾し、イスラエル軍によるテロ掃討作戦を理解するが、作戦遂行にあたっては民間人犠牲者を極少にしてほしいと要望しているに過ぎません。こういう姿勢を中立とは言いません。私は、イスラエルの軍事作戦をハマスによるテロとの戦いであると捉える日本政府の判断は正しいと考えます。

《佐藤優》

10月7日 暗黒の安息日:齋藤真言

 イスラエル在住の筆者による現地からのリポート。筆者は当日、自宅から離れたミツペラモンという場所に滞在していたが、そこでこの度のテロに遭遇する。

 安息日の早朝6時半、静寂に包まれたミツペラモンに響くサイレンで目を覚ました。低い音から始まって音程が上下する通常のサイレンとは違っていたため、当初は何が起きたのか理解できなかったが、しばらくして上空でボンボンと爆発音が鳴り響き始めた。ロケット弾を迎撃するアイアンドームミサイルの爆発音だった。数年に1度くらいの頻度でガザ地区からの攻撃があるので、今回もその類いだろうと思ったのだが、この時間に想像を絶する惨事が起きているとは夢想だにしなかった。
 ガザ地区周辺ならまだしもネゲブ地域が攻撃対象になることはまずないはずだが、ミツペラモンのサイレンは鳴り続けている。今までとは違う事態であることを直感してテレビをつけると、イスラエル南部からテルアビブを含んだ中央部に渡る広範囲に警報が発されていた。

《齋藤真言》

 齋藤氏のご子息は兵役従軍中で、この日は特別に休みをもらっていたが、すぐに近くの基地へ帰隊するよう緊急指示が入った。

 ミツペラモンから最も近い基地は車で30分ほどのところにあるエジプト国境沿いの基地だ。その基地に行く交通機関がない上に安息日のため、取るものも取りあえず私は息子を車に乗せ、エジプト国境に向かう荒野の1本道をひたすら走った。
 途中でスマホの電波が届かなくなり、ミサイル攻撃を知らせるアラートアプリが利用できなくなった。今も断続的に攻撃は続いている。ここにロケット弾が飛んできても、認識できないどころか身を隠す場所すらない。緊張の数十分間を過ごし、ようやく荒野の高台に位置する基地の入り口にたどり着いた。息子と短いハグを交わし、「無事に帰ってきてくれ」と言って別れた。

《齋藤真言》

 この日以来、夜中に何度も目が覚める緊張の日々が始まった。そして徐々に明らかになっていくテロ攻撃の全容に触れる。その中で、ハマスはかなり長い時間をかけて、今回のテロを計画していたことが明らかになる。

 奇襲攻撃の3週間前にハマスは年次軍事演習を行なっている。毎年12月に実施されていたが、今年は3カ月早い9月に実施されている。演習内容はロケット弾攻撃と同時に境界線を突破し、小型トラックでガザ地区周辺のイスラエル居住地を襲撃するというもので、10月7日の攻撃と同じ内容である。しかしイスラエル側はこの演習は単なるハマスの威嚇行為であり、イスラエルの軍事抑止力は有効であると考えていた。

《齋藤真言》

 これが「コンセプツィア」(固定観念)と呼ばれるイスラエル側の油断だという。ハマスの攻撃は想定をはるかに上回っていた。

人間を盾に使うハマス:滝川義人

 文化人と呼ばれる日本の学者たちがガザの「人道の危機」として停戦を呼びかけるが、人質解放について触れることがない矛盾を突く。

 イスラエル政府は、国民の安全を守る義務と責任がある。人質救出作戦の中止はあり得ない。今回の問題は、多数の一般民を殺害し、200人を超える人質を取ったことに起因しているのであるから、人質全員の即時無条件解放を何故叫ばないのか。ハマスの犯罪行為の追求は別問題だが、全員解放で、人道上の危機と決めつける人質救出作戦は一段落するのである。

《滝川義人》

 ハマスの政治局員がテレビのインタビューで「ハマスはガザ住民の安全を考慮しない」と公言したことを紹介する。

 インタビュー者が「500㎞に及ぶトンネルを掘ったのに、爆撃の時民間人が身を隠せるトンネルは何故つくらなかったのか」と問うた。するとこの政治局員は、「爆撃のターゲットになることを避け、殺されないように身を守るには、こうするより方法がない。トンネルは空爆から我々(ハマス)を守るためのものである。我々はトンネル内から戦っている。ガザ住民の安全を守るのは、我々ではない。それは国連とイスラエルの仕事である。誰もが知っているように、ガザ回廊住民の75%は難民である。難民を守るのは国連の責任である。ジュネーブ協定によると、占領下の住民にすべてのサービスを提供するのは、占領者の責任である」と言った。

《滝川義人》

 味方であるはずの存在に見捨てられているのがガザ市民の実態である。

イスラエルのレジリエンス:新井均

 イスラエルは建国以来、数々の戦争を経験してきたが、経済的な影響はどうだったのか。「テルアビブ株式市場のTA-35インデックス推移」「海外からの直接投資額」「四半期ごとの輸出額」「日本・イスラエル企業の協業数」という具体的な数字を示し、今までの大きな戦争時にもイスラエルはレジリエンス(回復力)を見せてきたことを検証する。
 その上で、日本企業は今後イスラエルとどのように付き合っていくのか。すでに動いているプロジェクトは継続されるだろう。しかしこれから始めようとする動きはどのように変化するのか。

 一方で、新規の投資・協業は減少するのではないかと考えている。考えられる理由は次の3つである。
1.事態の収拾、和平への道のりが長そうであること
2.安全・安心に対する日本人・日本企業のメンタリティー
3.国際世論の影響、特に「自社が世界にどのように見られるか」への懸念

《新井均》

 この中で最も厄介なのは、「自社が世界にどのように見られるか」への懸念だという。一部の活動家によるBDSというイスラエル・ボイコット運動もあり、イスラエルとのビジネスに二の足を踏む企業も考えられるからだ。

 従って、イスラエル企業側が回復力を見せ、持続的にイノベーションを起こし続けたとしても、日本の企業や投資家側がそれについて行けない可能性も考えられる。すなわち、日・イコラボレーションの今後は主に日本側の姿勢にボールがあるのではないだろうか。

《新井均》

 最後に、イスラエルと協業する企業が増えた今、日本の企業に求められるのは何かを提言する。これについては、本誌を参照いただきたい。

風に吹かれて:池田裕

 筆者は50年前のヨムキプール戦争時、エルサレムにいた。自身の体験を踏まえて、ユダヤ人であるボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」からコヘレトの言葉を引用しつつ、ヨムキプール戦争の体験を述懐する。

 1973年10月6日土曜午後2時を少し過ぎた頃、突如、町中にサイレンが鳴り渡った。何事か。驚いてラジオのスイッチをひねった。(当時わたしたちは東エルサレムの旧市街の見えるオリーブ山中腹にたつマンションの一角を借りて住んでいたが、家にはテレビも電話もなかった。)……
 灯火管制で、夜9時には家々の明かりはすべて消され、わが家から見える城壁に囲まれた旧市街のモスクだけはまだ明るく照らされていたが、それも9時半になるとすっかり消えていた。妻とふたりで家の屋上に出てみると、真っ暗な闇の中にあって星空だけは素晴らしく美しく輝いていた。

《池田裕》

 50年前と同様、今回の戦争もイスラエル側の油断を突かれた形になり、多大な犠牲を払うことになった。

 今回も、ガザのハマスは用意周到に準備し、イスラエルや米国の諜報機関を油断させる「パフォーマンス」は少なくとも緒戦ではうまく働いたと言えよう。イスラエルとしては50年前の失敗の繰り返しである。背景にイスラエル人自身が認める油断・慢心があったのも、責任を問われた首相が当初、軍と諜報機関に責任のすべてを押しつけようとしたと伝えられるところも、1973年の場合と同じである。

《池田裕》

 「ナイーブの極み」としつつも、人間の永遠の課題、戦争をなくすにはどうしたらよいか。筆者は聖書の言葉を引用し、結論を述べる。これについては、本誌を参照いただきたい。

ハマスが企てる「フドナ」の意味:光永光翼

 フドナとは通常「停戦」と訳されるアラビア語である。

 フドナは11月の「一時休戦」にも用いられることがあったが、一般的には「停戦」を意味する言葉である。停戦と言えば戦っている双方が戦闘を停止した上で負傷者が救出され、何らかの条約が結ばれ、やがて平和に向かっていくというイメージがある。例えば国連が目指す停戦とは、当事者の合意が成立した後、安全保障理事会の決議に基づき、双方の間に立って軍の撤退を監視することで再び紛争が発生することを防ぎ、対話を通じた紛争解決が平和に実行されていくという流れである。

《光永光翼》

 この「フドナ」について、筆者は注意を呼びかける。

 「フドナ」はもともと「穏やか、静か」などの意味を持つ単語である。しかし「停戦」の文脈で使われる時、私たちの描く停戦とは意味が全く違う。フドナは、イスラムの歴史と法に精通しているハマスなどのイスラム原理主義者にとっては、明確に違う意味を持つのである。その起源は、イスラム教を創始した預言者ムハンマドの出来事に遡る。

《光永光翼》

 そして「フダイビヤの和議」と呼ばれるムハンマドの故事を引きつつ、その真意に迫る。「フドナ」が意味するところは何なのか。これについては、本誌を参照いただきたい。

聖戦かジハードか:塩尻和子

 イスラム世界においてテロや武装闘争に訴える戦闘的集団の動きが世界の耳目を惹いているが、彼らは少数派であり、一般信徒からも批判の対象になっていると述べる。

 過激な武装集団がその行動を正当化するために掲げる「ジハード」とは、本来はアラビア語で「努力」を意味しており、精神的努力や修養を指すものは「大ジハード」と呼ばれる。古典的なイスラーム法の下では、戦闘的なジハードは「小ジハード」と呼ばれ、この「小ジハード」が対外的な正戦として発効するためには、以下のような厳格な規定に従わなければならない。

《塩尻和子》

 そして3つの規定を提示するが、正しい小ジハードが実施されたことは1度もないという。そしてこのジハードがどのような変遷を辿ってきたのか、キリスト教の「聖戦」(Holy War)イスラム教の「正戦」(Just War)との違いに触れる。その後、原理主義について言及する。

 「原理主義」とは「ファンダメンタリズムfundamentalism」の訳語で、近年ではイスラームの強硬派を指すことが多いが、どの宗教にもみられる伝統回帰運動の諸現象を指す。当初は、特にプロテスタントのキリスト教神学の用語として認められていた。

《塩尻和子》

 最後に、3つのアブラハムの宗教が平和的に共存できる方法は何かを提言する。これについては、本誌を参照いただきたい。

ガザの海鮮料理:越出水月

 毎回、イスラエルやパレスチナの料理を紹介するこのコーナーでは、『お皿の上のパレスチナ』(Palestine on a Plate)という本を元に、ガザでよく食されている海鮮料理を紹介する。
 ガザの海岸沿いで採れた海産物は、テルアビブ等の市場でも普通に並んでいた時代がある。今もそれを懐かしむイスラエル人も多いという。
 パレスチナ人もイスラエル人も、ガザの海の幸に舌鼓を打つ平和な日が来ることを、願わされる一品である。


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