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『今にも削除したくなるような自分語りを:エピソード2 自殺病』

 今から書くことは、フィクションだと思ってほしい。
 いかに熱い海と書けども、6月の熱海は、まだまだ寒い。
 旅館で着替えた浴衣をまとい、竹谷は海に面して立っていた。曇天に眺める海面は、空を反射し灰色に見える。砂の色も暗い。
 孤独にひとりではないし、だれかとしっぽりふたりきり、という浪漫でもない。 
 竹谷の所属する営業部が、先月ものすごく良い成績を出した。その褒美として、会社から与えられた社員旅行だった。
 50人程度の部署で、そのうち新卒は、竹谷を含めて10名くらいだった。4月に入社してまだ2ヶ月であり、上司とも同期とも、そこまで親睦を深めているわけでもない。
 突然、クイズ形式の大喜利を、部長が始めた。テレビ番組『内村プロデュース』を模倣した体のものである。
「この海で、このあと一体なにが起きるでしょうか」
 まさに内村光良のような声色で、部長がお題を出す。ご丁寧に、押せばピコンと音の鳴る小道具も持ってきていた。
 上司や先輩たちが、受けを狙って解答していく。ビーチフラッグをする。全裸で走る。首まで砂に埋まる。虚心坦懐に言えば、とても成人の集まりとは思えないような、くだらない内容ばかりだった。
 なかなか部長を納得させる面白い回答が出ないなか、いかにも思いついたという風で、部のエース営業マンがボタンを押す。回答権を指し示す高い電子音が、竹谷には処刑器具の軋む音に聞こえた。
「新人が全員、脱いで海に飛びこむ」
 もったいぶった間が流れる。そして部長は当然に、数字、換言すれば売上を作ってくれる営業マンに優しい。
「大、正、解」
 叫ぶように声をあげてから、部長はからからと笑った。一拍遅れて、周囲からも笑い声が轟く。部長が笑う内容は、笑っていい内容である。
 新卒社員がずらっと、下着のみで立ち並ぶ。もちろん男性だけであり、つまりは竹谷もマンガ『ドラゴンボールZ』のベジータの息子を穿いているだけだ。
 ありがた迷惑にも、助走に適した堤防が海に面して作られていた。カタパルトの滑走路よろしく、最短の助走で最長の飛距離を稼げるような長さである。
 やるしかない、という空気が、ゲーム『ペルソナ5』のメメントスのように、新卒の集合意識下に流れる。新卒のひとりが、早く終わらせようと言わんばかりに率先して走り、そして跳んだ。部長を始め、先輩たちの笑い声があがる。
 当たり前だが、竹谷はなにひとつ面白くなどなかった。日頃海に行くようなタイプでもなく、真夏でも真珠かと見間違うほどの白き肌を持つ竹谷が、なぜ黒く曇った寒空の下、海に飛びこまねばならないのか。別に禁断の恋をした人魚でもないのに。
 次のひとりが駆ける。
 今思えば、日和らずに竹谷もとっとと続くべきだった。
「竜巻旋風脚」
 跳ぶや否や同期はそう叫び、片脚を大地と平行に上げ、駒のように回転しながら海へ落ちた。
 知る人ぞ知る、ゲーム『ストリートファイター』シリーズで大活躍する格闘技の必殺技である。厳密に言えば、空中で竜巻旋風脚を出せるようになったのは『ストリートファイターIIターボ』からであり、奴の飛んだ軌道はほぼ『ターボ』のそれであった。
 そうだ、この同期は、少し阿呆であった。どうせこの身滅ぶなら面白く、と戦国武将が賛同しそうなことをする。問題なのは、この同期には大義がないことだ。突如後悔が竹谷を巡るが、もはや是非もない。
「おもろいなあ、あいつ。ええやん、次のやつも技をやれ、技を」
 抱腹しながら、部長は言う。
 2008年6月、22歳の竹谷はかくして、熱くない熱海の海にほぼ全裸で落ちた。産声を上げてから常時インドアおよび陰キャである竹谷は、修行でもないのに冷えた水へ潜ることになるとは思ってもみなかった。
 ゲームでは何度出したかわからない技。そして子どものころ、幾度となく真似をした技。技の名は、昇龍拳と言う。ただ、ゲームと違うのは、対戦相手などどこにもおらず、着地点が地面ではなく海面ということだ。
「昇龍拳」
 聞こえ始めた笑い声は、海水の中で遠く響く。
 上司の指示は、王よりも絶対である。嫌な気持ちに襲われても、反抗しようなどとは到底思えない。退職という選択肢も、竹谷の頭には寸毫たりとてなかった。せっかく入社できた会社である。たった数か月でさようならなんて、間違いを認めてしまうようで無理だった。ましてや竹谷は新卒である。「とりあえず3年」という言葉も重くのしかかり、会社を辞めることはそのまま、社会人としての死に繋がる。そう思いこんでしまっていた。
 死ぬのは、だれだって怖い。
 しかしその数年後、対極的に、竹谷は死にたかった。
 社会人としての死を恐れに恐れ、一段また一段と、自殺への階段を踏みあがっていく。
 竹谷の仕事に対するルーツを探るにあたり、新卒として入社した営業会社の話は当然として、まずは大学時代のバイトについて記したい。


 お酒に極めて弱いことは、だいぶ前から知っていた。未成年であるにもかかわらず、なぜ自身のアルコール体質を知っているかは実に摩訶不思議なことであるが、往々にして、ひとはなぜか成年となる前に飲酒の適不適を知っている。きっと酒の神デュオニュソスあたりが枕元に立ち、2型アルデヒド脱水素酵素の有無を夢に織り交ぜ教えてくれているのだろう。
「普段どんな活動されてるんですか」
「みんなで遊んだり飲んだりしてるよ」
 大学生活の特典であり華と言えば、サークル活動である。2つ上の姉は、オールラウンダー系というなんだか格闘家みたいなジャンルのサークルへ入り、日々遊びに飲みに大忙しだった。学生の本分は一にも二にも遊びである、と言わんばかりに。
 竹谷も世の大学生に続けと、いくつかサークルの新入生歓迎会などに顔を出していた。
 旅行、美術、仏像、お笑い。
 たまたま竹谷の行ってみたサークルがそうであったのか、もしくはサークルとはそういうものなのか、活動内容を質問して返ってくる答えは、遊びと飲みだった。
 悲しいことに、どのサークルを体験しても、面白さといったものが竹谷には感じられなかった。お笑いサークルも、普段はみんなでサークル部屋に籠り、ゲーム『スーパーボンバーマン』をしているらしい。せめて『スーパーボンバーマン3』であってほしかった。ルーイに乗りたいのだ。どうせゲームに勤しむのなら、竹谷はさっさと家に帰り、『サイレントヒル4 ザ・ルーム』をやりたかった。話が逸れるが竹谷は『サイレントヒル』シリーズが大好きで、個人制作のホームページが全盛期だった高校生の時は「バイオハザード・サイレントヒルを考える会」というウェブサイトによく出入りしていた。中でも『サイレントヒル2』に出てくるクリーチャー「三角頭」を愛している。
 サークルに入らず家でゲームをする竹谷を、両親は多少なりとも心配していたように覚えている。人生のゴールデンウイークとも呼ばれる大学生の時期に、もっと遊ばないでどうするのか、といった論調だ。竹谷は人生で一度も「勉強しなさい」と言われずに育ったが、ついに親のゆるふわ教育方針は佳境へと到達し「もっと遊ばんか」となった。当時はまだ言葉がなかったが、パーティーピープルな姉と比較していたのだろう。
 そんな矢先、暇そうにしている竹谷をどこからか嗅ぎつけたのか、高校時代の部活の先輩からバイトの誘いが来た。
「なんのバイトですか?」
「塾講師」
 小中高とほぼ通わなかった塾。その講師のバイトを誘ってくるのだから、なんとも皮肉めいた帰結である。ちなみにこの先輩は恋のエースアタッカーだったのだが、その話はエピソード1に譲ってあるので、未読もしくはお忘れの方は、よければご一読願えればと思う。恋のエースアタッカー先輩も、大学生となり晴れて恋の塾講師先輩となったわけであるが、竹谷が講師として働き始めた頃にはすでに、同じく先輩の、古風に言うならマドンナ講師と恋愛関係にあった。神聖な塾でいったいなんの桃色定理を証明しているのか。恋の連立方程式はどうせ解なしである。授業をし給え。
 サークルに入る気が皆無だった竹谷は、なにとはなくその誘いに乗った。実際のところ、講師が新しく講師を紹介すると一万円がもらえるらしく、恋の講師先輩はその紹介料を目当てとしていた。そしてそのお金は、紹介人と被紹介人とで折半するのが通例だったらしいのだが、お前にはやらん、と一言はもらったものの、一円ももらえることはなかった。そんなひどいことがあるの。
 続けてみると不思議なことに、講師は竹谷の性格に合っていたようだ。教えなければならない事項を時間配分しつつ考え、とにかく生徒が笑ってくれるよう努める。言葉遣いに気をつけて、抑揚や高低を意識して話す。竹谷先生の授業は面白い、と評されることが嬉しかった。お笑い芸人になりたかった竹谷のフラストレーションは、面白さを第一に掲げた授業という形で発散された。
 塾講師の仕事を熱心に続けられた理由として、目的や意義の魅力は大きかった。生徒たちの、志望校への合格。塾生それぞれの人生の、岐路に立ち会うのだ。
 最終目標を志望校合格に置き、学校や模試で塾生に良い結果を残してもらう。熱意をもって授業へ取り組み、塾生のモチベーションを上げ、学習に集中できる環境を作る。無形商材であり、且つ出資者はサービスを受ける塾生自身でなく保護者である。難しい仕事ではあるが、その分成果を出し、信頼され、塾生と保護者の双方から喜びの声を聞くことは、とびきり充実感を得られるものだった。
 また、だれかになにかを教える、ということは、想定以上に知識の量を必要とする。中高生対象の英語を担当した竹谷は、単語や文法の知悉は当然として、なぜそうなったかという経緯を探っていった。やわらかく散りやすい知識が、段々と凝り固まっていき、揺るがないものとして結集していく感覚は、なかなかに気持ちがいい。たとえば、腕を意味する英語「arm」は、はるか昔「くっついたもの」といった意味を持っており、つまり体にくっついているものだから腕で、腕にくっつくものだから武器「arms」で、武器を持って声を上げるから警戒を示すアラーム「alarm」となり、全身武装した出で立ちをしているからアルマジロ「armadillo」である。さらに言うなら、高校生の竹谷がまったくモテなかったのはワックスで髪をねじりすぎていたからだ。髪は粘土ではない。どんなことにも理由がある。そして理由は興味を引き、塾生のやる気を少なからず引き出せた。
 週に2日から始まった塾講師のバイトは、気づけば週5日に増えていた。平日皆勤である。小学生と異なり、中高生の授業時間は基本的に夕方以降となる。授業を終えたあとも、事務作業や自習している生徒の質疑応答をするため、塾から退出する時間は日付変更するかしないかというのが常であった。当然ながら、サークル活動をする余裕はなく、バイト三昧の日々となる。土日祝日には模試や保護者説明会等が入ることもあり、週に7日働くこともままあった。地獄のミサワ先生の『惚れさせ男子』のひとり「すなお(27)」からお言葉をいただくなら、「実質1時間」しか寝てない日も割とあった。
 受験のある年次、つまり小六、中三、高三は、塾業界では絢爛の年であり、生徒の入塾数が増大していき、そして生徒数に伴い業務が過酷となっていく年である。
 塾講師となって1年が経過した折、ご指名により中三の学年主任を竹谷は頼まれた。当時の塾では最大規模となる塾生の成績を見、10名前後の先生たちと連携を取りながら、授業や会議を進めていった。チームでことに当たる竹谷の働き方の姿勢、そのベースとなるようなものは、間違いなくここで形成されたと思う。ほかにもいた主任候補のベテラン講師たちから、塾の今後を考えて2年目の竹谷を主任に推してくれたのは、恋の講師先輩であった。経験の浅さを理由とした反対意見もあったようだが、彼の采配あって、竹谷は無事に主任となり、貴重な経験を積ませていただいた。恋だけでなく、仕事もきっちりと考えられる先輩であった。それはモテるわけだ。得べかりし紹介料のことは、もう忘れることにした。
 ゲーム『ファイナルファンタジーV』にたとえて、宿題が「ゴブリン」のような雑魚敵、模試が「ギルガメッシュ」や「ツインタニア」といった中ボスであるなら、受験は大ボス、つまり「エクスデス」である。意図せず手に汗握るほど、緊張で盛りあがるバトルが大ボスであるのと同様に、塾講師のもっとも甲斐ある瞬間のひとつは、受験日である。受験日には、早朝から試験開催地の最寄り駅や学校の門前に立ち、懐炉で手を温めながら塾生が通るのを待つのだ。塾生が来ると、握手とともに激励の言葉をかけて見送る。強張っていた塾生の表情が、講師たちを見つけることで和らぐ。
「いつも通りにね」
「行ってきます」
 勇気を宿した笑顔を見せながら、決戦の地へ挑む塾生の背中に、講師たちは祈る。応援しかできなくとも、応援することだけはできる。だれかの幸を願うことは、それ自体が幸せなことである。
 そして、合格発表の日も、この上なく大切な瞬間だ。朝から講師たちは教室に集まり、電話機の前で待機する。当時はスマートフォンというものがなく、また講師は生徒と私的に繋がることが不文律ながら禁止されているので、携帯電話も使用できなかった。電話が鳴るのを、講師一同固唾を飲んで待ち続ける。会話も少ない。電話が鳴ると、かるたをやっているかのように講師たちは我先にと受話器を取る。塾生が名乗ると、担当している先生に代わる。
「おめでとう」
「そうか」
 およそ講師の第一声は、このふたつに分かれる。言うまでもなく、前者が合格で、後者が不合格である。悲喜は当然入ってしまうが、生徒の努力を労い、電話を終える。中学一年生から見てきた生徒であれば、3年間の記憶の奔流が、心を瑞々しく通るのだ。この経験は、塾講師でなければ体験できない。
 竹谷は結局4年もの間、つまり大学生中ずっと塾講師を続けることになったのだが、辞める時に塾生からもらった手紙や色紙は、今でも大事に保管してある。先日読み返したのだが、まあとにかく妙にこそばゆい。しかし改めて、塾生たちの人生に少しでも良い影響を残せたのなら、講師冥利に尽きると深甚に思った。
 チームで仕事をする面白さと、事業の意義。
 当時はこれといって考えることもなかったが、竹谷が人生を謳歌するにあたり、不可欠なものが塾講師の仕事には明々とあった。


 企業へ電話をかけて、商談の時間設定をすることを、テレフォンアポイントメント、略してテレアポという。
 竹谷が新卒として営業会社を選んだ理由は、苦手分野を克服したいと思ったからだ。元来ヴィブラニウム製筋金入りのひと見知りで、初対面の相手には敵意はなくとも睨むことしかできないような人間である。
 その自分を、なんとかして変えねばと思っていた。そして、営業を仕事にすれば、否が応でもひとと話すわけであるから、ひと見知りだのと駄々をこねる暇もなくなるのではないかと思ったのだ。
 テレフォンを名に含むだけあって、まずは電話で相手に興味を持ってもらう必要がある。確率で話すならおおよそ1%程度、100件かけて1件アポイントが入るかどうかといったものだったが、少しでもその数値を上げたかった。電話する時の話し方の原稿、通称アポトークを作り、さらにはレコーダーを買って、自分の話し方や声を録音し、把握することに努めた。竹谷の喋りの原型は、この頃に築かれたのだろう。多い時には、朝から晩までで400件くらい架電したように覚えている。
 商材はコピー機である。コンビニエンスストア等に置いてあり、10円でモノクロコピーができる、その機械だ。さまざまな会社へ電話をかけ、アポイントを取っては、訪問し購入してもらう。1台大体50万から200万円ほどする代物だ。企業とはいえ高い買い物であり、また毎年壊れるほど脆くもないので、なかなか売れる商品ではない。
 関東圏のあちらこちらへ行き、初対面の社長相手にものを売るという経験は、暗い性格も手伝って正直心労が尋常でなかった。だが、商談を通じて社長と仲良くなり、無事に売れ、社長が契約書に印鑑を押す時の高揚感は軒並みならないものがあった。居座ってしまい怒られたり、門前払いされたりすることも二度三度ではなくあったが、どうすれば社長の気に入ってもらえるかを考え、コミュニケーションを取り、最終的にはコピー機を買ってもらう。商品ではなく、竹谷を買ってもらったのだ、と思える瞬間だった。
 しかし、新卒二年目となった頃に、ある思いが頭を掠める。また1年間、毎日テレアポをするのかと。いつもの弱虫が出た。そして虫は、自らの意思と関係なく算出を始める。1日300件として、1週間の5日稼働で1,500件、ひと月で6,000件、年間で概算すると72,000件。肩と耳の間に受話器を挟みすぎて、あごが曲がって炎症ができていた。70,000件以上、電話をかける人生がまた始まる。体の異常に引かれるように、竹谷の心も参ってしまっていた。
 そんな折、新しく子会社を作るにあたり、新会社の管理部門を募集している旨を、社内報で竹谷は知る。営業と異なり歩合がもらえるようなことはないが、着実にスキルアップができ、年次とともに給料が上がっていくような仕組みがそこにはあった。スキルアップできる環境、という言葉ほど今や胡散臭いものはないが、当時の竹谷はテレアポから逃れたい気持ちに亡霊のごとく憑かれ、新会社の管理部へ可及的速やかに応募し、なんとか所属することとなった。
 とはいえ、テレアポとコピー機を売ること以外、竹谷にできることはなかった。そのため、しばらくは本社の管理部へ赴き、研修漬けとなる。殊更エクセルに関しては厳しく指導され、『神速Excel』には遥か遠く及ばないものの、高速エクセルくらいの速度は会得できた。ゲーム『ドラゴンクエストVI』で言うと、「ばくれつけん」は打ちこめないものの「はやぶさぎり」なら繰り出せるようになった。
 無事に研修も終わり、新会社での管理部も高波あれど楽しく過ごしていたのだが、新会社の損益が良くなかった。新会社の社長は本社に戻り、部長からやり直すという運びとなってしまう。燃え盛る炎のように、急速で激しい人事決定であった。
 そして、火の粉は竹谷にも降りかかる。
「竹谷、俺についてきてくれない?」
 新会社での仕事を楽しんでいた竹谷に、社長はそう誘ってきた。
「そのお誘いは大変ありがたいのですが」
 竹谷は断る。歴史ある本社で、がちがちに踏みしめられた管理業務を歯車のように遂行するより、新しい環境で、最初から管理部として働けていることに価値を見出していた。
「寂しいこと言うなよ。竹谷、俺についてきてくれない?」
 そんなやり取りを、何度かした。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズでは、「いいえ」を選んでも進まないお決まりのパターンがある。それを現実で体験することがあるのだ。
 ドラクエのいいえパターンを覆せなかった竹谷は本社へ戻り、営業本部という営業部と管理部の間に立つ業務に従事する。平たく表現すればマンガ『銀魂』のような万事屋である。数値を作ったり、分析したり、お偉方の秘書役としてゴルフ場や宿を予約したり。また、営業部からの管理部への批判が出ればやんわりと管理部へ申し出をし、逆に管理部から営業部への不満が出た際は、ユーモアを交えつつ営業部へ意見を伝えた。マルチタスクが得意です、などとお洒落に言えるようなものではない。圧力で形成された不快な手に後頭部を力ずくで押さえられ、泥沼へ深々と顔を沈められる。窒息する、と思う寸前にだけ顔を引っ張られ、気まぐれに呼吸を許されているような状況だった。
 ここは墓場で、地獄だった。
 さらに、営業本部では新しい上司のもとに付いたのだが、竹谷はこの上司とまったくそりが合わなかった。ひとつのミスを、30分くらいかけて責められる。その時間でミスを取り戻せるとは思っても、上司は自らの気が済むまでなじってきた。周囲でそれを聞いている人々も、触らぬ神に祟りなしと、傍観を決めこむ。出社する竹谷の足取りはゲーム『DEATH STRANDING』で荷物を持ちすぎたサム・ポーター・ブリッジズのように重く、帰る時間もゲーム『ペルソナ3』の闇時間ほどに遅い。退勤時間を過ぎてから開始された会議では、怒号と罵声が飛び交い、終わるころには帰る電車がなかった。もちろん、宿泊代が経費として認められることもない。
 粘着質な上司。累積を止めない業務。ひとをひととも思わない罵倒。
 今すぐ死ねよ。
 そんな言葉が、挨拶のごとく行き交う。耳は慣れ、やがてなにも感じなくなった。
 しかし、どうやら心は慣れないみたいだ。
 蝸牛のように這いずってくる異常に、竹谷はまったく気づけていなかった。


 人生で初めて、MRAを受けていた。脳血管を立体的な画像として抽出する検査である。
「ストレスですね」
「そうですか」
 右頬を押さえ、蠢く痛みに耐えながら、竹谷は返す。ストレスでなにか発症するのは当然ではないか、と思いながらも、医師へ当たっても仕方ない。
 三叉(さんさ)神経痛。
 そう診断された。聞いたことのない病名だ。竹谷の場合は、右の小鼻の奥。そこの神経と血管の重なり具合に、問題がありそうと言われた。そこを起点に、目や頬の神経を伝うように痛みが走る。形用するのが難しいが、無数の尖ったやすりで顔の内側を削られるような痛さ、とでも言えばいいだろうか。頻度や程度はその都度異なるが、酷い時はあまりの痛さに涙が勝手に出て、顔は大きく歪んでしまう。
「どうすればいいですか」
「環境を変えた方がいいと思います」
 さも簡単そうに言うではないか、と再び当たりたくなっても、医師もそう助言するしかないのだ。
 三叉神経痛は、原因がまだ突き止められていない。とりあえずカルバマゼピンという薬を服用すると症状が和らぐから、それが処方されるといった塩梅だ。多数の罹患者がその薬で改善するらしいのだが、竹谷はいよいよ効果を得ることができなかった。
 薬が駄目なら、次は手術である。首裏から頭蓋骨に穴を開けて、右の小鼻の起点となっていそうな神経と血管が、重ならないよう分けてテープで固定する。脳の近くを手術するので、後遺症が残る可能性もわずかにある。ほかに、ガンマナイフというレーザー手術もあるが、これもなぜ効くのかはわからない。選択肢の少なさと、その選択の不明瞭さに、竹谷はどれも選ぶことができなかった。
 最初に違和感を覚えたのは、2010年秋の25歳、出勤する前にシャワーを浴びていた時だった。洗顔フォームを手にとり、顔を洗う。その時、ずんと重いなにかを、右鼻の奥に感じたのだ。もちろん、原因は皆目わからない。頬を擦っていた手を止め、シャワーの流れをそのままに、ただ困惑していたように覚えている。洗顔が、この日から少し怖くなった。
 次は違和感でなく、もっと明確な熱さのようなものだった。2011年の初夏、体重90キロの巨漢竹谷は毎日ラーメンかカレーライスを食べていたのだが、その日はササミチキンカレーだった。タバスコを適量かけ、ピザっぽく食べるのが好きだった。大口を開けて頬張り咀嚼した時、名著『赤い実はじけた』のように、右鼻に熱さが広がったのだ。痛さとも違った、弾けるような熱さ。洗顔時と同様に、妙な緊張で汗を吹き出しながら、口元へ差し出したスプーンを持つ手が止まる。この時から、食事にも恐怖を覚えるようになった。
 無意味な仮定だが、この時にしっかりと対処していれば、未来は変わったかもしれない。しかし、発症する頻度の低さに、竹谷は危機感を抱くことがなかった。
 熱さはやがて痛みとなり、顔の右側を走った。
 初めて痛みが生じた時は、もう記憶にない。ただただ、焦ったように覚えている。顔が痛くなる、その理由がまったくわからないのだ。口を動かすと、ビキビキとした疼痛が顔の奥から表面へ浮かんでくる。食事や歯磨きはもちろん、くしゃみも、喋ることさえ怖くなった。さらに酷い時には、歩行や立ち上がる動作でさえ痛苦の起点となった。
 もう少し、三叉神経痛を説明することを許してほしい。ゲーマーめいた解説となってしまうが、三叉神経痛はゲージとトリガーで構成される。格闘ゲームやRPGなどでよくある、超必殺技のようなゲージである。時間の経過とともに、ゲージは溜まっていく。その速度は一定ではなく、速く溜まる時もあれば、遅々として進まない場合もある。そしてゲージが満タンになると、本人の意思とは関係なく、超必殺技が発動するのだ。トリガーとなる行為として、飲食や洗顔といった口周辺に刺激を与えるものがあるが、トリガーなしで発動することもある。無論、対象は自身であり、大ダメージを受ける。そうするとゲージは空となるが、また蓄積されていき、ゲーム『ファイナルファンタジーVII』のように、リミットブレイクするのだ。
 程度と頻度も極端で、三叉神経痛の機嫌が良い時は1日に1発でダメージも小さく、「これくらいで許したるわ」と去ってくれるのだが、ご機嫌斜めの時は、過去最高記録でいくと、数秒のインターバルでもって数十秒の激痛が生じる。当然、そんな状況下では眠ること能わず、虚空を見つめて朝を待つ日もあった。
 三叉神経痛の困るところは、特定の難しさに依る。普段生活をしていて、小鼻の奥に痛みが生じたら、ひとはどうするだろうか。竹谷の例を取れば、まず耳鼻科へ行った。鼻の奥が痛いです、と症状を告げたが、医師は首を傾げるだけだった。次に、歯科へ行った。歯茎や神経が良くないのかもしれないと思ったからだ。しかし、異常はないと言われる。とりあえず経過を診たいのでまた来てください、と金づる扱いをされた。痛みの原因がわからない苛立ちも相まって、その後パフェをしこたま食べて歯を汚した。
 インターネットの時代で本当によかったと、心から思う。症状を試行錯誤しながら入力しては検索をかけていたところ、三叉神経痛という病名に到ったのである。その説明を読み、竹谷は大きく首を縦に振った。1万人にひとりの確率で発症するようだ。その少なさでは、検索してもあまり出てこないわけだ。左利きもAB型も割合は10%、そこに三叉神経痛の比率を入れると、竹谷はおおよそ0.0001%しかいない人間である。仕方のないマウンティングができるようになった。
 あまりの痛さに、銃の所持が許されている国では、自ら顔を撃ってしまうらしい。自殺に到る病。竹谷が思うに、痛みは当然として、病名や原因が判然としない不安から、自殺へと進んでしまうのだろう。竹谷はインターネットのお陰で病名に勘所がついたから、とりあえずの不安からは逃れることができた。病気と向き合おうにも、なんの病気がわからなければ向き合うことすらできない。ましてや、発症例が極めて少ないわけであるから、その暗中模索の孤独感たるや想像するに苦しいものがある。三叉神経痛に悩んでいるひとがいたら、どうか竹谷を紹介してほしい。竹谷には、三叉神経痛と付き合ってきた十年間の経験がある。三叉神経痛を専門に研究している医療業界の方も、ご連絡を心からお待ちしている。
 三叉神経痛と診断されてのち、竹谷は丸4年勤めた会社を退職する。とにかく顔が痛いのだ。どれがトリガーとなるかもわからない。ひとと話すことさえ怖かった。遅かれ早かれやってくる痛みに、耐えることしかできない。
 社会的に死ぬとか、どうでもよかった。もう、竹谷は働けない。
 痛みがやってこないことを祈りながら、ゆっくりと静かに、歯を磨く。口を微動だにさせたくない。いつ来るかわからない超必殺技に怯えながら、痛みが誘発されないよう、ひたすらに動かない。動けない。動きたくない。仰向けでも俯せでも、痛みが安眠を妨げに来るが、座椅子に浅く腰をかけると誘発されなかった。座ったままで、ようやくうつらうつらと、眠ることができた。
 治るかわからない、いや、おそらく今生で付き合い続けなければならない病気。いつ竹谷が鬼籍に入るかは知らないが、向こう何十年もこれが続くのか、と思った。
 繰り返すが、三叉神経痛が発症する人数は極めて少ない。ゆえに、発熱や鼻炎といったものと異なり、共感が得られない。顔の奥が痛い、と言われても、家族も知人も、想像しかできない。過剰な心配は、手前勝手ではあるが、しんどいと思う時がある。
 なぜ自分が。という疑念も脳裏を何度かよぎった。悪いことも少なからずしてきたかもしれないが、竹谷よりもっと悪意に満ちた人間はいる。どうしてそういうひとたちが健康体で大手を振って歩いているのに、竹谷は座椅子にうなだれ、恐怖に苛まされているのか。
 わかっている。世界は自分のために存在しない。死に至る病ではないだけ、ありがたいと思うべきだ。世の中には、竹谷など比較できないような大病と向き合うことを余儀なくされた人々がいる。
 そう思っても、理不尽に対して怒りが湧く。そして怒れば怒るほど、やり場のなくなった感情の隙間に、悲嘆が入りこんでくる。
 もう働く気など、一寸たりとてない。頑張ろうという活力もなく、死なないでいるだけだった。
 竹谷は、生きられない。
 死のうか。
 自殺を考えなかったと言えば、嘘となる。恐怖と痛みから手っ取り早く逃れるには、そう感じる自身を消してしまえばいい。
 眠れず、睡眠不足で、思考も覚束ない。食事も、恐怖が勝ち、進まない。口を動かさずに飲めるゼリーやヨーグルトを摂取する。飲み下す際のごくりという動作でさえ、トリガーとなる時もあった。当然、性行為などできるわけもない。恋人の期待に応えることもできなかった。
 三大欲求すべてに、どんよりとした恐怖がまとわりつく。怯えて、欲求を満たそうと思えない。心臓が勝手に動くから、やむを得ず命が保持できているだけ。
 自室の座椅子に座り、動かず、竹谷はただ前方を見つめる。電源の消えたテレビ画面に、無表情かつ無気力で、ぶくぶくと太った自分の顔が反射されていた。
 そのテレビ台に、マンガが数冊置いてあった。元あった場所へ戻さず、部屋の到るところにマンガは散在している。
 ひとつ、手に取った。ぱらぱらとめくる。大好きなマンガ『SKET DANCE』の14巻だった。
 それから、竹谷は笑った。口角を上げたことがトリガーとなって、待っていたと言わんばかりに激痛が顔を走る。右手を頬に当てて、痛みを紛らわすようにさする。左手でマンガをめくる。痛さに、涙が流れた。
 笑い声を立てて、痛くて泣きながら、竹谷は笑う。痛みが引き、やがて涙も止まった。
 まだ俺は、笑えるではないか。
 テレビの電源を点ける。押し入れから、任天堂のゲーム機『Wii』を取り出した。そこに、買ったまま部屋の隅に積んでいた、ゲーム『ゼノブレイド』のディスクを挿入する。オープニングが始まり、途端に竹谷は壮大なファンタジーの世界へ入りこんでいた。月曜日になると近くのコンビニエンスストアへ行き、『週刊少年ジャンプ』の最新号を買った。連載の始まったマンガ『ハイキュー!!』が最高に面白かった。アニメ『這いよれ!ニャル子さん』と『つり球』と、『ヨルムンガンド』が観たかった。
 どれもこれも、続きが気になって仕方がない。
 痛みに眠れない夜は、ゲーム、マンガ、アニメをどこまでも堪能できる贅沢な夜となった。三叉神経痛が間断なく激痛のシグナルを脳に送るが、不思議と怯懦な気持ちは軽減している。
 断言できる。『エンターテインメントという薬』は、確実にそしてしたたかに存在するのだ。人知れず、ひとりで楽しめるエンターテインメントは、多くのひとりを救っている。
 エンターテインメントが、たったひとつの処方箋だった。それにすがり、竹谷は生にしがみつく。激痛に呻き泣いても、笑い続けた。
 エンターテインメントで、竹谷は生きられた。
 1年後、竹谷は気さくな酒豪ファイター杉山と、次いで優しき菜園家シューター寺井と出会う。
 そのエンターテインメントの世界に骨を埋めようと決心したのも、今顧みれば当然の因果に思える。衣食住ではなく、医療でもない。しかし、生きる上で必要だと竹谷は信じている。少なくとも、激痛と恐怖には、大きな効果があるのだ。
 ミリアッシュを設立するまで、あと5年。

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