見出し画像

『無門関』第四則 胡子無鬚

無門禅師の本則口語訳

或庵は言った。

「西から来た胡人にはなぜ鬚がない。」

解説

本則は大変短いですね。

まず「西から来た胡人」とはインドからやってきた達磨大師のことを言います。

達磨大師は鬚をはやした有名なお坊さんで中国で禅宗の開祖と言われています。

その誰もが達磨大師は鬚をはやしているのを知っていました。

それなのに達磨大師に鬚が無いのは何故かと問たのでした。

達磨大師に鬚が無ったら達磨大師では有りません。

例によって達磨大師の否定ですね。

達磨大師を有難いお坊さんと思ってはいけないと言うのです。

元々伝説の人であって居たかどうかも解らない人を立派なお坊さんなどと崇めてはいけないと言います。

仏性ならあなたの心そのままが達磨大師ではないかというのです。

達磨大師とあなたは二つであって一つであるのです。

二元論に落ちいっては真実が見えません。

架空の人物を崇拝することは煩悩に煩悩を加えることになります。

自己究明とは自己探求であって他人と比較するものではありません。

達磨大師と比較すれば自己否定に成ります。

しかしそれも又良いかも知れません何故なら自己否定は自己肯定になります。

否定するなら達磨大師と共に徹底的に否定すれば、それが有無を超えると言うのです。

自己が無ければ他者も居ない世界には差別も無ければ煩悩に悩むこともありません。

これが真実なのですが、なかなか信じられません。

この事実を妄想と考えること自体が妄想なのです。

無門禅師の評語口語訳

禅修行は実践であるべし。

悟は真正の悟でなければならない。

胡人とは正面にみすえて対面しなければならない。

平等の接見にして初めて彼を知るだろう。

しかし言葉に出しては二元論に迷うだろう。

説明

禅修行は座禅瞑想を真面目にしなければならない。

悟は禅師に接見して証明されなければ真正ではありません。

ときには師に遭えば師を殺して対等平等の関係に成らなければ師を知ることはできません。

生易しいことではありませんがこの無門を通らなければならないのです。

無門禅師の頌の口語訳

痴人に向かって夢を語ってはいけない。

胡人髭はない、明瞭であることに妄想を助けてはならない。

説明

痴人とは煩悩にまみれた我々凡夫のことです。

他人の言うことを真面に信じてしまう人に広大な理想を話してはいけません。

足元が危ないのに安心をしてしまいます。

歩いてゆくには自ら足元を確認しなければなりません。


参考引用
『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#読書感想文

190,092件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?