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『三四郎』論5:漱石はラカンの鏡像をすでに知っていた ?

はじめに

『三四郎』を読んでいるとラカンの本を読んでいるのかと錯覚を覚えます。

三四郎と美禰子がおたがいの心を知り合うのが鏡の中だったのです。

さらに「ラカンの三人の囚人」は三四郎の大きな三つの夢をおもいだします。

「ラカンの三人の囚人」はよく知られている確率とか統計の「三人の囚人」では有りません。

「ラカンの三人の囚人」は説明すれば長くとても複雑なので横へ置いときます。

超簡単にいえば三人の囚人の内の一人の決断と実行が他の二人の判断に影響を与えるという心理的な問題なのです。

『三四郎』でいえば与次郎の行動が無関係な三四郎と美禰子の意思決定に重大な影響をあたえる要因なのです。

これも三人の関係が織りなす心理です。



三四郎には大きな三つの夢がありました。

第一の世界は母の居る世界

第二の世界は学問の世界

第三の世界は恋愛の世界


ところが与次郎の個人的な借金が三四郎と美禰子の間に大きな変化が生じます。

その元は広田先生が借家を引っ越すにあたり、敷金に困り足らない分を野々宮さんから借りた金に始まります。

ところが、その金は野々宮さんが妹さんにバイオリンを買う為に国元の親父さんから送金されたものだったのです。

広田先生が直ぐに返せば済んだ事ですが、少し遅れました。

それでも高等学校の特別手当が入り、与次郎がその金を返す事を頼まれたのですが、与次郎が馬券を買うのに使ってしまうのです。

そして与次郎は金策に困り三四郎に借りる事に成ります。

二週間後には文芸時評社から原稿料が入って来る予定だから、貸して欲しいと言うことであった。

ところが原稿料は前借して使ってしまったから、入る予定が無く返せないと言う。

そこで与次郎は美禰子から借りることになるが、美禰子は与次郎には渡せないと言い、三四郎に直接手渡したいと言い出したのです。

そこで三四郎は美禰子に借りに行く事になります。


ここでまた三四郎は自分に都合の良い光景を想像をします。

美禰子は自分を信用してくれていると考えると同時に、愚弄しているのかとも考えるのです。

それでも、思い切って美禰子の家を訪ね部屋え通され待っています。


「三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。」


ここで三四郎が美禰子を見たのはじかに見たのでは無く、鏡の中の美禰子を見るのです。

また美禰子が三四郎を見るのが、鏡の中の三四郎を見るのです。

この鏡像は自己の姿を映し出す鏡に成るのです。

これこそラカンの鏡像です。

これからの進展は美禰子の決心に依って展開して行きます。

三四郎は美禰子の決断に依って美禰子の心を知るのであり、美禰子は美禰子の心を知った三四郎の態度により三四郎の心を知って行きます。

 与次郎の浪費借金問題に始まる飛び火は、三四郎の思わぬ美禰子との接近を呼び込みます。

三四郎と美禰子の形勢の再逆転は三四郎が美禰子からお金を借りる事から、思わぬ方向へ動き始めます。

其の関係は、此れまでのものと逆転して「可哀想」なのが三四郎であり、援助するのが美禰子になります。

菊人形見物に於いては「可哀想」な美禰子を助けたのが、三四郎でありました。

そして三四郎は美禰子に恋愛感情を持ちます。

広田先生が言った翻訳の言葉を思い出して下さい。

 三四郎にとって、美禰子の心が分かりさえすれば、「自分の態度も判然きめることができる。」と考えていた様に美禰子の心が分かった結果、三四郎の心は逆の意味で明らかに成って行きます。

ところが与次郎によって美禰子の夫たる資格の無い事を指摘されたことと、

お金を返す為に国元の母親に三十円を学資とは別に求めた為に、

三四郎の恋愛状況が不利なものに進行して行くのです。

お金を返さ無い事は三四郎のプライドに拘わる問題であった。

三四郎にとってお金を借りている事は不愉快あった。

お金を返す事によって気分を一新しない限り、愛情が生まれて来なかったのです。

ところが、お金を母からの送金によって返す事は、美禰子との関係改善には成らないのです。

与次郎は「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」と言う。

此の与次郎の忠告には三つの重要な要件が含まれています。

先ず第一にお金を返す事によって、美禰子の愛情を失うことです。

第二に母からお金を借りる事で、母の居る世界に問題が生じる事です。

第三に宗八さんを含めた友人関係も問題になります。

この様に三四郎の理想とする三つの世界の調和ある進展の全てに問題が発生して、

それが美禰子との結婚を阻害する要因に成ると与次郎は指摘します。

もちろん、この様な阻害要因は当初から存在していました。

だからこそ三四郎の美禰子に対する態度に中途半端な所があったのです。

所が美禰子の三四郎に対する態度の決断によって、三四郎にも慎重な決断の責任が生じます。

三四郎は美禰子に恋心を持ち、美禰子も三四郎に愛情をほぼ確実に表明しています。

なのに何故、恋愛は成就しなかったのか。

不思議な事に結論から言えば借りたお金を美禰子に返すことが、大きな要因に成ったのです。

損得の問題ではなく、金銭のもつれでは無いのです。

むしろ、母からお金を借りず、与次郎は美禰子から「だからいつまでも借りておいてやれと言」うのです。

しかし三四郎にはそれが出来ない理由が有りました。

美禰子の決断により三四郎は三つの世界を統一すると言う思いが改めて自覚されたのです。

三四郎の初心、地方から出てきた時の生涯の理想が、失恋事件の真相なのです。

事件の内幕は要するに、三つの夢が前提条件になります。


辛く苦しい失恋では有りましたが、大きな目標、理想から見れば合目的な選択だった事が分かります。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

引用参照は青空文庫です

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