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瞑想9:雑念は一人喧嘩

瞑想中に呼吸に注意を集中していても何時しか雑念がわいてきます。

その雑念の内容を意識したことがありますか。

すぐに何を考えていたのか思いだそうとしても記憶にのこっていないとおもいます。

雑念の内容に矛盾があると記憶は理路整然としていなければ残らないのです。

漱石はその内容は一人喧嘩だと考えていたようです。

『吾輩は猫である』で不満のない人はいないといいます。

人間の欲求は際限のないもので心の平安はいつまでたっても満たされることはないといいます。

以下は『不動心10煩悩即菩提』の引用です。

「たしかに満足出来ないと不平を言う。
口で呟く、知らぬ間に呟いている。
不平を言っても喧嘩はしないかも知れません。
しかし、漱石の観察では「不平」は戦いの原因であり結果でもあると考えているようです。
珍野苦沙弥の口を借りて「『毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう』」。
と言います。
すると哲学者八木独仙は「『「なるほど一人喧嘩だ。』」と答えています。
無人との無言の喧嘩を日々行い「不平」を製造して自らを苦しめているのが人間の姿だと言えます。
「一人喧嘩」とは戦う相手も居なければ口論さえもする事は無いのです。

 漱石は『吾輩は猫である』の中で、人は人生の貴重な時間を割き絶えず喧嘩をしているのだと言います。
意識せず喧嘩をしているのだと言っているのです。
心当りのない人は多いと思います。
潜在意識の状態で喧嘩をしているのです。
真面目な人、優しい人、友好的な関係にある人、勝気な人、メンツを大切にする人、例外なく人は喧嘩をしており、戦国時代の武将に勝っても負けない程の戦いをイメージしており、二十四時間暇があれば戦いに明け暮れており、それを一般に煩悩と言い、妄想だと漱石は考えているのです。

 この無人との無言の喧嘩、思考形式が特定の人に向けられる事とをフロイドは感情転移と命名しています。
その感情の発生源は父と息子の愛憎の葛藤にあると言います。」


雑念の内容のほとんどは「一人喧嘩」ではないでしょうか。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


引用は青空文庫です。

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