龍神考(28) ー竜顔の天孫と桜の女神ー
自然現象に神慮を受け取る自然崇拝
春日大社創建は、神護景雲二年戊申一月九日甲寅(768年2月1日、立春・庚申の望月=一月十五日=2月7日の直前の九(竜蛇)日)に、雷神武甕槌命が白鹿に乗って春日の御蓋山の浮雲峰に降臨されたことがきっかけでした。
自然崇拝の観点から、この時の武甕槌命を雲(白鹿)の中の雷に喩えました。
他方春分に地上へ降臨される天孫邇邇芸命(春の日)を雷光で道筋を示された春日の地主神、猿田彦神を申(さる)=雷、特に立春から立夏の間の春雷に喩えました。
前回「龍神考(27) ー春日大社創建の時代背景ー」では、48代称徳天皇の御代に弓削道鏡が女性天皇の寵愛を利用して皇位簒奪を図った企みが春日大社創建翌年(769)に頓挫、それでも道鏡への寵愛を続けられた称徳天皇は、神々の祟りによるものか、その翌年(770)三月に病に倒れ、八月に崩御されたことに触れました。
病に倒れられた旧暦三月の具体的な日付は不勉強で知りませんが、崩御の日付は旧暦八月四日(新暦8月28日)、仲秋の名月(旧暦八月十五日)の11日前です。
病に倒れられた旧暦三月を新暦4月とすると、新暦4月初めは七十二候では春分の末候「雷乃発声」であり、崩御された新暦8月28日は処暑の初候「綿柎開(めんぷひらく)」=「綿を包む萼が開く」の頃で、秋分の「雷乃収声」より約1ヶ月早い時期になります。
称徳天皇の発病〜崩御は雷が発生する雷神の季節でもあったことになります。
尤も二十四節気や七十二候の名称はあくまで目安であり、現代日本では季節感も変わってきており、特に今年の春分の日、3月20日の報道では「冬の嵐」という表現もあったように、全国的に寒い荒天に見舞われました。福岡は晴天ではありましたが、午後まで風が非常に強かったです。
しかし関東地方は午後から落雷もあり、天孫邇邇芸命の降臨と猿田彦神の道案内を自然崇拝の観点から「春の日」と「春雷」による生命保護の神助とも位置付けてきた者として、感慨深いものがありました。
前回は、祈りを「云う」私たちに、神々も「云」を昇らせ「雲」をもたらすことで何事かを「云って」くださっているのではないかという旨を述べましたが、自然崇拝の観点からは、神々は雲以外の形でも私たちにメッセージを送ってくださっていると考えられてきました。
私たちの先祖はさまざまな自然現象に神慮を感じ取って、考え方や行動の指針としてきました。
前述の「神護景雲」もそうですが、自然崇拝の日本では、「奇瑞」とされる自然現象がしばしば改元のきっかけになりました。
それらは科学が未発達な昔の人々の「迷信」と現代では考えがちですが、今よりはるかに自然環境に左右されながら生涯を送っていた昔の人たちが「迷信」だけで生き延びてきたとはとても思えません。
自分自身の体験からは、海や山で天気の急変や体力の消耗、危険な場所など予想外の状況に直面し、その危機をなんとか乗り越えようとする時、安心・安全な普段より五感がはるかに鋭敏になり、思考や判断はぐっと現実的になると思いますが、いかがでしょうか?
そこで最善を尽くし、それでも危機を脱することができない時に、はじめて神仏に祈ったことでしょう。現代の信心深い人々も同じでしょう。
誰もが得られる神仏の感応
史上有名な高僧が海外留学の途中で遭難しかけたところ、神仏に祈りを捧げると嵐が止んだという話や、長雨や旱魃、疫病が止み、その他の奇跡が起きた話が現代に伝わっていますが、高僧の験力が認められた背景には、高僧や偉人、映画などのヒーローだけでなく、人間誰でも祈りが神仏に通じる自然と祈りの仕組みに普遍性が認められていたからだと思います。
高僧たちの伝説の中には、文献資料からしてあり得ない時代や場所を舞台としたものもあります。
しかしそのような伝説は、各地の無名な庶民が体験した奇跡を、ある宗派の布教の目的で、宗祖の伝説として仮託したものである可能性が考えられます。
無名や組織内での地位の低い人が成し遂げた仕事の手柄を、別の有名人や地位の高い人の功績として尾鰭背鰭を付けることは、科学偏重の現代でもよくあります。
これはまた、神仏の感応は修行を積んだからこそ得られたり、人格や霊格などに応じて奇跡の度合いが変わるものではないことも示唆しています。
それこそ伝説的な験力の持ち主として有名な、天台宗中興の祖とも評される良源(慈慧大師)が遺した、悟りを開くのに修行の年数は無関係であるとの言葉を目にしたことがあります(お寺の名称は記憶が曖昧ですが)。
神仏の感応は例えば祈祷料を弾めば必ず霊験も大きくなるというものでもなく、祈祷料の金額とご利益の大小に明確な比例関係はありません。お賽銭箱もご利益の自動販売機ではありません。
このような明瞭な比例性や再現性のない点が、科学の視点から「迷信」の烙印を押される理由のようですが、今回のテーマは別ですので、この問題は後日に改めて取り上げます。
自然の摂理を表す言霊と字霊
ここまで話が本題から逸れたのは、神々は雲以外の形でも私たちにメッセージを送ってくださっており、先祖たちはさまざまな自然現象に神慮を感じ取って、考え方や行動の指針としてきたという話からですが、自然崇拝の神話や社寺にまつわる伝承や民話は、精緻な自然観察に基づく先祖たちの自然観の発露として受け止める必要があることを言いたかったからです。
それは日本古来の言葉の用い方や外来の漢字の受け止め方にも認められます。
雷神武甕槌命の春日までの旅の出発点は茨城県鹿島市の鹿島神宮でした。
その境内には「要石(かなめいし)」という磐座があり、鹿島大明神(武甕槌命)は地震を起こす大鯰を抑えておられる場所と信じられてきました。
「要」は女性の腰の象形文字であることを知りました。
「足腰が弱い」と、確かに姿勢を維持し、安定した歩行、行動が難しく、不安定で揺れてしまいます。
地震の際に立っているのも難しくなるのは、大地の揺れが足腰に伝わって、足腰が不安定になるからです。
そこで、地震を抑えるために用いられるのが腰の象形「要」を冠した「要石」となるのでしょう。すると、「要石」は「腰石」と言い換えることもできます。
どこで読んだか聞いたか忘れましたが、医師か整体師の話だったと思いますが、腰痛は不安や心配が原因だそうです。
心の揺れが身体の要である腰の痛みにつながるという腰痛研究の結果と鹿島神宮の地震を抑える「要石」の信仰思想には、相通じるものがあると思います。
地震の「震」もその由来を調べてみると、「震」には「ふるえる」「地震」などの他に「雷(かみなり)」の意味があるのです。
「震」=「雷」とは初めて知りましたが、これまでの考察から、「震」=「雷」=「申」となり、地震を抑える雷神武甕槌命が、雷神猿田彦神が先住する春日に来臨されたことの背景にある自然崇拝思想が今少し明らかになってくるようです。
鹿島の地において「大地の雷(地震)を抑える」雷神武甕槌命が春日に来られたということになります。
「震」の成り立ちは「雨+辰」で、「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「2枚貝が殻から足を出している」象形で、「ふるえる」の意味から、「雷雨が人をふるえあがらせる」のが原義とされます。
こうしてみると、雷神と地震には密接な関係があることが窺えます。
しかもその関係性は、「雷が地震を抑える」という御由緒を文字通り受け止めた対立関係ではなく、むしろ「雷」=「震」という共通性である点が意味深長です。
「雷」と「震」の見た目の共通点は「雨」ですが、すると「田」=「辰」の関係性も成り立つのでしょうか?
中国由来の音読みは「でん」と「しん」、日本の訓読みは「た」と「たつ」で、日本語の言霊の方が「田」と「辰」の共通性を暗示しているようでもあります。
「辰」と同じ読み、同じ意味にもなる「竜」の下部は、「田」の真ん中の縦線を下に伸ばして右に曲げて跳ね上げたようにも見えます。
しかし「竜」の構成を改めて調べてみると、「立+日+乚」だと知りました。
「乚」は「乙」や「隠す」の意味で、「いつ、おつ、いん、おん」と読みます。
「乚」=「乙」とすると、「乙」は陰陽五行思想の「甲(きのえ)」の次の「きのと」、「二番目」、「つばめ」、「幼い、若い」、その他の意味があります。
ならば、「日+乚」=「幼い・若い太陽、隠れた太陽」と考えられます。
これまで天孫降臨について、天孫=太陽神天照大御神の御孫=春の日=「春日」と考えてきましたので、「春日」=「天孫」=「幼い、若い太陽」=「日+乚」とも言えるでしょう。
すると、「日+乚」は、「太陽の幼い、若い孫」が神々に囲まれ、つまり隠れた状態(=乚)で降臨されたことにも通じます。
天孫邇邇芸命は地上への降臨の際に「五伴緒(いつとものを)」と呼ばれる五柱の神々(天児屋根命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命)に囲まれて高天原を出発され、途中で出迎えた雷雲(猿田彦神)によって地上へ案内されます。
「緒」は「細い紐」を意味しますので、「五伴緒」は「春の太陽に随伴する五本の細い紐」となりますが、この場合の「緒=細い紐」は太陽にまとわりつく細長い雲や太陽を囲む五色の細い輪=日光環の喩えでしょうか?
「竜」の上部の「立」にも多くの意味があり、「位につく」つまり「即位」の意味もあります。
以上を整理すると「竜」=「立+日+乚」には次の暗示が見て取れます:
・「日+乚(若い太陽=初春の太陽=春の日=春日=天孫)」が神々や雷雲に囲まれ(隠れて=乚)地上に降臨し、地上の統治者の地位に「立つ(即位)」
・天孫降臨→「日+乚=天孫=歴代天皇」の「即位」→「竜」
「龍神考」でこれまで広義の「天孫降臨」は「歴代天皇の即位」としてきたことが「竜」の一字に表現されるのです。
ここに天皇のご尊顔を「竜顔」とも表現する信仰思想上の背景も窺えます。
しかし「日+乚」が用いられる「電気」の「電」を調べると、「日+乚」の部分は「稲妻」の象形。つまり「日+乚」=「申」となります。
すると「竜」は「稲妻(「申」=「日+乚」)が立つ」となり、雲から地上に稲妻が降り立つ様を示していることにもなります。
しかしこれも、猿田彦神が示す雷光に沿って天孫が降臨されると考えれば、雷光は天孫降臨(=歴代天皇の即位=皇位継承)の道筋や天皇のお身体そのものとも捉えられ、つい先ほど「天孫降臨」=「竜」と結論したことと矛盾はしません。
そして皇位を継承された天皇=「竜」とすれば、天皇のお身体を「宸儀」、天皇の御心を「宸襟」など、「竜」と同義にもなる「辰」が入る「宸」が入る点にも少し理解が深まりました。
竜顔の天孫と桜の女神
今回は「震」が「雷」=「申」でもあり、「竜」の「立+申」や「立+日+乚」の構成が「天孫降臨」につながり、「天孫」=歴代天皇のご尊顔を「竜顔」、天皇の御心を「宸襟」とも申し上げてきた信仰思想上の背景に想い到りました。
ではここで「天孫降臨」を「竜=立+申(雷)」とする視点から、「竜顔の天孫」=落雷が雷火をもたらし得る意味を自然崇拝の観点から考えてみましょう。
「雷火」は落雷による火。落雷は人類が火を獲得した最初のきっかけとされます。
火山の噴火による火もそうですが、噴火の際に火山雷も発生、地震も起きます。
そこで噴火がなくとも、地鳴りを伴う「地震」は地中から雷が発生した現象だと考えられたのでしょう。
落雷の場合と火山雷を伴う噴火の場合のどちらが火の獲得においてリスクが低いかは知りませんが、「落雷=竜=天孫降臨」の発想からすると、太陽の居場所でもある空からの落雷によって獲得する火が尊ばれたことが考えられます。
火の獲得によって、人類は他の動物と決定的に異なる存在となりました。
すなわち自然崇拝の観点からは、落雷=「竜顔の天孫」は人類を人類たらしめた存在でもあります。
人間が落雷から火を獲得するには、雷火がある程度の時間燃え続けるように木に落雷する必要があります。
つまり「天孫降臨(落雷=竜)」は木に向かって行なわれる様相がイメージされていたと思われます。
「木への天孫降臨(落雷=竜)」は、天孫邇邇芸命の降臨先が「日向」の「高千穂」だったという点に暗示されています。
「高千穂」は、たくさんの高い木々が穂先のように並んでいる状態を指すものだと思います。
その伏線は、高天原で天孫降臨の準備が諮られていた時に、天照大御神(太陽神)と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、別名「高木神(たかぎのかみ)」とが一緒に登場される記述にあります。
例えば古事記の中の天孫降臨の記述を順に追っていくと次の表現が出てきます:
「…高御産巣日神天照大御神の命(みこと)以(も)ちて、天安河(あめのやすのかは)の河原に、八百萬の神を神集(かむつどへ)に集へて…」
「…高御産巣日神天照大御神、亦諸々の神等(かみたち)に問ひたまはく…」
「…天照大御神高御産巣日神、亦諸々の神等(かみたち)に問ひたまはく…」
「…天安河の河原に坐(ま)します、天照大御神、高木神の御所(みもと)に逮(いた)りき。是(こ)の高木神は、高御産巣日神の別名(またのみな)なり。…」
「…天照大御神高木神の命以ちて、問ひに使はせり…」
「…天照大御神高木神の命以ちて、太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)に詔(の)りたまはく…」
「…天照大御神高木神の命以ちて、天宇受賣神に、汝(いまし)は手弱女(たわやめ)に有れども…」
以上、天孫降臨の始まりまでに合計7回も天照大御神と高御産巣日神(高木神)が天孫降臨の諮問の共同主体として登場されます。
この間に太陽神天照大御神の長男の天忍穂耳命は高木神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろづはたとよあきづしひめのみこと)と結ばれて、天孫邇邇芸命がご誕生。
天孫ご自身が太陽神と高木神を祖とされていたのでした。
はたして、天孫は高木を暗示する「高千穂」に降臨されますが、地上で結ばれたお相手は大山津見神の娘である木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)という、やはり樹木を暗示する女神。この女神は何よりも桜の象徴と考えられています。
そして天孫と桜の女神が結ばれた結果、火明命(ほあかりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと)の三柱の男神がご誕生。
いずれの神の御名にも「火」が入っていますが、「…佐久夜毘賣、一宿(ひとよ)にや妊(はら)める」と、一夜で妊娠した点を天孫に訝しがられた桜の女神が、自らの貞節を証明すべく、産屋に火を放った上で、三つ子をお産みになったことに因ります。
これは、桜が雷の一撃を受けて燃え出して、やがて三本の火柱に分かれていった自然現象の喩えとも解釈することができるでしょう。
ここまで、天孫が雷神猿田彦神の示す竜のように蛇行する道筋=雷光に沿って地上に降臨されることを「竜」=落雷に重ね合わせてきました。
しかし太陽神の御孫である天孫が春の陽光とすると、天孫と桜の女神が結ばれたことは、地上への影響を増してくる春の太陽に感応した桜の木の樹皮や枝が赤みを帯びていき、まず蝋燭の灯明のような形に蕾が膨らみ、次に花弁が勢いよく開き、それから花弁が火花のように遠くに飛んでいく様相に喩えることもできましょう。
春分に入る直前までは福岡の桜(ソメイヨシノ)の開花は今月23日と予想されていましたが、今日24日なっても開花予想日は「3月23日」のまま……
今日の夕方の地元テレビ局テレQ九州放送の報道でも、福岡市中央区の福岡管区気象台のソメイヨシノの標本木は一輪も咲いていない状態でしたが、同じ中央区の舞鶴公園(福岡城址)ではすでにソメイヨシノの開花が散見され、またある別種の桜は満開だったそうです。
その満開の桜の名は…「陽光」。天孫を連想させる名前が印象的でした。
神話の表現の象意は多義重層的ですので、天孫と桜の女神が結ばれて三柱の御子をご出産になる過程は、桜の生態のまた別の側面に喩えることもできそうですが、その前に次回は猿田彦神の雷光に導かれる天孫(春の太陽)の降臨の様を表す「竜」のお姿に浮かび上がる、日本の建国前史について考えてみます。
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