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おはようございます!たろちゃんです!
マイノベルの詳細は最後に書いてます!

高校編最後の質問になります。

31個目の質問はズバリ!

大切な人との思い出はありますか?

恩師、親友、友達、彼氏、彼女、家族、

そんな中で大切な思い出を探して見てください

僕の場合だと・・・

祖父との別れです

この話は誰にも話せなかった、一人で抱えていたことを、この場で話したいと思います。今でも、思い出すだけで後悔、感謝、いろんな感情がぐるぐると交差し、涙が出てきます。

おじいちゃんは偉大です。

僕はおばあちゃんの顔は知らないのですが、おじいちゃんとは一緒に暮らしていたので仲が良かったです。

おじいちゃんはおばあちゃんを早くに亡くし、一人でずっと生きてきた偉大な人です。毎日仏壇に顔を合わせ、毎月神棚に挨拶する。そんな人でした。

腰が重く歩くのもやっとなはずなのに、ゆっくり歩いて畑仕事をしたり、冬は雪かきをしたり、ずっと何かしら仕事をしているような印象があります。

ぼくはそんなおじいちゃんの笑った顔が大好きでした。

でも、苦手でした。

正直な話、当時はおじいちゃんと話すのが苦手でした。そしてなにより、苦手なまま天国に行ってしまいました。僕は大切なことに気付くのがめちゃくちゃ遅かったです。

子供の時からおじいちゃんは、家の隣のプレハブのようなとこで生活していました。畑を観察したり、テレビで見るのはニュースか相撲でした。

そんなおじいちゃんと会うのは、ご飯を届けに行く時くらいで、その届けた時に少し話したりしてました。

あとは季節ごとに、薪割りを手伝ったり、漬物を一緒につけたり、畑、養蜂、草刈り、椎茸作りなど、普段できない体験ができたのは全部おじいちゃんのおかげです。

今はそんな経験を財産と感じます。

ただ、そう思えないのが子供の頃で。

逃げ出したり、断ったり、ちゃんと手伝わなかったり。
当時は迷惑ばっかかけてしまったなと思います。

そして何より後悔してるのは

おじいちゃんと会うのを避けてしまっていたことです。

本当にどうしようもない子供でした。そんな自分が本当に情けないです。

話すのが苦手だった。怒られるかもしれない。
その当時のことを思い出しても、なんでこんなに避けてしまっていたのだろうと思うばかりで、原因は自分でもよくわからないです。

高校になり、親元を離れ、僕は山から降り親戚の家に下宿して通っていました。

そんなある日。

おじいちゃんの調子が悪くなり、病院によく行くようになりました。

ついには老人ホームにお世話になることも。

ぼくは、その頃のことをよく知りません。
高校生になった喜び、楽しさで、実家にいるよりも友達と遊んでいた方が楽しいし、親との家族の時間も大切にできていませんでした。

正直、介護の手伝いもできなければ、お見舞いも全然いけてませんでした。

そこまでなっても僕は『死』というものを浅く考えていました。

時々顔を出したとき、おじいちゃんは笑顔で迎え入れてくれて、でも、苦しそうで。そんな姿をみることを避けていたのかもしれない。

次会ったときは、病院で寝そべっていて意識も遠いときでした。

そのとき、ぎゅっと手を握りしめて、想いを込めた時、少し反応してくれたことは、今でも鮮明に覚えています。

そして、その時が来てしまいました

いつも通り高校に行き、全校集会で体育館にいる時でした。

『亡くなった』その連絡がきました。

僕は高校を抜けて、電車に乗りすぐ向かいました。

しかし田舎すぎて、ついたのは1時間以上かかった気がします。

今思えば、そんな日くらい高校なんて休んでればよかったのにと思ってしまう。大切なものの優先順位すらわからなかった。

ついた頃には、みんなが泣いていて。
それでも、おじいちゃんの安らかな表情に安心したのか、泣きながら笑顔を見せていました。

僕はその時、おじいちゃんの手を触り、感謝を心の中で伝えました。
でも、泣けなかったし、なにより実感がなかった。

『死』というものに初めて直面し


言葉が出なかった。

そこから怒涛の3日間です。

葬式の手配を済ませ、連絡をしたり、準備で大忙しです。
多分親戚の人みんな寝てなかったと思います。

そして、すぐに行われたお葬式。

僕は内孫として手紙を読むという役目を与えていただきました。
僕は誰にも相談せず、その手紙を用意し、その場で読みました。

その第一声を発した時

今まで耐えていたものが全て流れ出るように

涙が止まらなくなりました。

話したのは、何もできなかった申し訳ない気持ちと心からの感謝。

あの日以上に泣いたことは、まだ僕の人生で一度もないです。

小さい頃からおじいちゃんに会うたびに言われていたことが2つあります。


『車には気をつけろ。』

『お金は大切にしなさい。』


どうしてこの言葉を言い続けていたのか、真実はもうわかりません。
そして、その当時は空返事で流していました。

ただ、ずっと言われていたことは鮮明に覚えています。

それだけ大切な意味があったんだと思います。


月日が経ち

僕は一人、仏壇の前にいました。

家に誰もいない時に、仏壇の前に行きたかったのです。

どうしても、謝りたかった。

僕が避けてしまっていたこと

介護を手伝えなかったこと

もっと話せばよかったと

なんども

なんども

なんども

なんども

ごめんの気持ちでいっぱいだった。

もっと話したかっただろうなって

もっと僕がどんな生活してるとか聞きたかっただろうなって

でも、僕は全然顔を出せなくて
ずっとずっと、子供みたいに嫌なことから避けていた。

そして今となってはおじいちゃんのことをもっと聞きたかった。

どんな人生だったのかとか、どんな想いなのかとか、どうしてほしいのかとか

なんで僕は勇気がなかったんだろう。

後悔と謝ることしかできない。

そしてそれを考えれば、考えるほど、
苦しかっただろうなって、
一人で寂しかっただろうなって気持ちが僕の心を苦しめます。

何度もその場で謝り、号泣しました。

それから今まで、帰った時はお線香をあげ、行けるなら御墓参りをします。

いつか僕も天国に行った時にちゃんと話せたら良いなと思います。

今でも思い出すたびに心が締まる想いですが、そこに押しつぶされず、今大切なものを大切にして行きたいです。

そしておじいちゃんの孫として立派な人生を送りたいです。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
僕の自分勝手な想いを打ち明けることができてよかったです。

だれでも、『死』ということを考え、向き合う時はあると思います。

それだけ大切なことだからこそ、あまり公に言わないことも大事だとは思います。

でも、今回はちゃんと自分の人生に向き合いたいと思いました。
この話しなしでは僕の人生は語りきれないため、1つの想いとして話させていただきました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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何も成し遂げてない人が書く自伝『マイノベル』開発
50の質問を答えるだけで、誰でも自伝が作れる。

これからは一人1つ自伝を書く、そんな時代がきたらおもしろいなと思いました。

そんな自伝を手軽に共有できるツールを作るため、まずnoteで始めました。
これが流行り、自分の過去から価値観や考えなどを共有しあえる

そんな『最強の自己紹介』ができたらいいなと思います。

50の質問は8つの編成で大きく分類されます。

1、生まれと育ち編

2、保育園、幼稚園編

3、小学校編

4、中学校編

5、高校編

6、専門、大学編

7、社会人

8、今の思い、未来

何も成し遂げてない人間が、これからどんどん成長していく様をリアルタイムで見ていただけるとすごく嬉しいです!

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