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ショートストーリー | 私たちは金星を片手に

人は多ければ多いほど、無色透明になる。
そう気付いたのは、つい最近のことだ。

「ふっ、なんか哲学の先生みたいだね」
初めて食事をしたとき、柊さんにそう言われた。
普段考えていることは、気を抜くと口をついて出るものなのだろう。

「あっ、ごめんなさい……私つい」
「いや、いいんだよ」

パスタを水で流し込んで、こっそりと彼を盗み見た。その表情には一切の曇りもなくて、ほっと胸を撫で下ろす。

そんな彼と今日は、何度目かの待ち合わせだ。


約束の時間まであと10分。
彼の姿はまだ見えない。早く着きすぎてしまったようだ。
赤く点っていた信号がパチッと青に変わり、みんな一斉に歩き出す。

顔、服装、歩き方。
そのどれひとつを取っても、同じ人は決していない。
みんな誰かの家族、友達、恋人。
誰ひとり、特別じゃない人はいない。

けれど。
私には、街を行き交う人達、全てが同じに見えた。

「その他大勢」
それ以上でもそれ以下でもない、無色透明な人達ーー



駅前には、プラネタリウムのポスターがいくつか貼られている。
この街には、駅の近くに大きな科学館があるのだ。
小さい頃は私も、何度か行ったことがある。
初めて見た時は本物の星空のようで、すごくびっくりした。
でも、私はどちらかと言えば、プラネタリウムの方が好きだ。
それは確か、小学3年生くらいの時。


夜の山は、夏なのに涼しかった。
肌を掠る風が心地よくて、父の繋いでくれる右手だけが少し熱い。
私はふくらはぎの痒みに気付いて、やっぱり虫除けスプレーをしてくれば良かった、と思った。

「綺麗だなあ」
父の呟きで、目的地に到着したことを知る。
顔を上げると、空には沢山のちいさな星が散らばっていた。

ほんと綺麗だなあ。なあ?

何故かそのとき急に、何か得体の知れないモヤモヤしたものが、喉の奥を圧迫した。
私は返事ができないまま、父の手をぎゅっと握った。

果てのない空に、名前も知らない星たち。
形も色もきっと違う。
けれど私には、どれも同じに見えるーー



時計を見ると5分、時間が進んでいた。
信号が青に変わり、みんな一斉に歩き出す。
今日ここに立ってから、何度目かの無色透明な景色。
名も知らない星空のような。

けど、この瞬間確かに違ったのは、果てしなく広がる空に、ぽっかりと浮かぶ光があったことだ。
柊さんは人混みのなかで私の姿を見つけると、微笑んで小さく片手を上げた。


「満点の星空が、苦手なんです」
信号を渡りながら、そんな風に話した。
彼は面白そうにクスクス笑った。
「どうして?」

「1人ぼっちになったような気がする、んですかね。空には果てが無いし、見知った星も無い。初めて遊びに行った大都会の真ん中で、迷子になったみたいに心細くなって」

私は言葉を選んで、ぽつりと話した。
今まで感じたことや、考えたことも。
自分の感受性をさらけ出すのには勇気がいる。
けれど、彼の前では話してもいいような気がする。

彼は何度か頷くと、うーん、と唸って一言
「僕は、金星が好きだよ」
と、やさしく笑った。



すれ違う人の群れの中に、光はない、と改めて思う。
向こうから見たら、私もそうなのだろう。
「大勢の中の1人」ではなく、「大勢」止まり。
そこには何も見えないし、見ようともしない。

けれど私にとって彼は、「大勢」じゃなくて良かった、と思う。大切な「大勢の中の1人」。

そう、恐れる必要なんて、最初から無かったのかもしれない。
彼の言葉を借りるならばーー

「金星……」
「うん?」
「あの、人混みの中で、どんなにたくさんの人がいたとしても、大切な人がそこに立てば、その存在が空に一際輝く金星みたいに、特別な意味を持って大きく浮かび上がるんです」

大切な人。特別な人。
人生の中で、何か意味を持たせられる人たち。
地球に何十億人といる、星の数ほどの人数を分母にすれば、たったかこれぽっち。
確率にすれば1%にも満たないと気付く。

奇跡、と言えばありきたりな言葉かもしれないけれど、その確率の中に、互いが立っている。
そして今はそれを、互いが望んでいる。

それは何て素敵で、幸せなことなんだろう。


「そうだ。今日待ち合わせ場所に来た時、君も浮かび上がって見えたよ」
「本当?」
「ああ」


君は僕の金星だ。


そのセリフは少し小さくて、掠れていた。
初めて繋いだ彼の手は、温かかった。


家族、友達、恋人。
見渡してみれば、みんな誰かと手を繋いでいることに気付いた。
もう不安なことは、何もなかった。

私たちは金星を片手に、この人生を歩いている。


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