移住のススメ
色々な問題が起きて、それに対して毎回解決の道を考えて行動を起こす。
移住をするにせよしないにせよ、人生にはそんな日々が続くことは間違いない。
しかし移住後の日々に待っている問題の山は、エベレストのごとく山積みにされている。
人生は、飛び込むか飛び込まないかだ!
コレは、僕の人生訓というか座右の銘というのか。
若い頃に何かのイベントや飲み会に誘われた時、若い時分の彼らがよく口にする言葉は「行けたら、行く」
コレは僕が一番くらいに嫌いな言葉。
行けたら行くと言うやつは大体にして、来ない。
行きたいのであれば行くと伝えるし、微妙だったら行かないと言うか、曖昧な答えは言えないので考えさせて欲しいと伝えるべきだし、行きたくない又は行けないのであれば、行けないと伝えるべき。
なぜかと言う理由は分かりきっているけど、曖昧な言葉は相手の時間を奪っている。
例えばイベンターが集客のために多くの人に声をかけるとして、曖昧な答えばある分来客の予測が立てられないだろうし、最終来るのかの確認のメールを打つ必要があるし、何かと無駄が発生して時間を消耗させてしまう。
また行くか悩んでいる本人も断ることも面倒だし、行くのも面倒だしとグダグダと考える時間が発生するし、行かなかったとしてイベンターから届いたメールに「やっぱり行けないや、ごめん」という本来いらない誤りの返信をする必要も出てくる。
誤りのメール自体しない人は、そもそも次に誘われないから一番損している。
まぁなんにせよ判断を悩んだとき、先ほどの人生訓を思い出すようにしている。
そして即時に判断をするクセをつけている。
飛び込むべきか、飛び込まないべきか
瞬時に自問して、瞬時に自答する。
話は最初のバースに戻るが、移住もそれと同じ決断だった。
移住するか、しないか。
多くの人は安定を求めるし、慣れ親しんだ土地を去ろうとはしない。
日本人であれば、根っからの縄文人なルーツの持ち主は抜きとして本来、農耕民族で場所を点々とせず一つの場所を守って生きるのが性分としてある。
とどまることに、安心を求めてしまう気持ちもわかる。
家族がいるし、友達もいる、信頼している美容師もいるし、歯医者もいるかもしれない。
場所を動かずにいれば慣れと安定は見込めるが、その安定を手に入れた分だけ刺激と発展が失われている可能性もある。
困難が多い分人は成長というチャンスを得るし、新しい人に出会うこともできる。
人間は何かを失ったり手放したとき、本当に大切な物の価値がわかるはずだ。
さぁ、今いる心地よい場所の全ての安定を手放して、別の土地に行こう。
未開の土地に。
ジプシーのように、縄文人のように誇り高く未開の土地へと歩みを進めよう。
まぁ僕に関しては、移住先が嫁の地元だから全然未開の土地じゃないんだけどw
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