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FROM EDO ERA TO NOW
ボクの田舎のおじさん
詳しくは母の姉の旦那さんなのだが、とにかくジョントラボルタに似ているのだ。
先日おばぁちゃんの米寿のお祝いの席にいとこが連れてきたオーストラリアから来たエマに対して、酔っ払ってはいたがグイグイとべらぼうな英語と常陸太田弁でエマの城へと攻め入っていた。
話は通じたり、そうでなかったりで途中英語が話せるいとこ達が通訳としてはいるのだが、結局のところ常陸太田弁のクセがあまりにも強すぎて日本人同士にも通訳が要るありさま笑
彼の訛りの例を挙げると、トラボルタがある時「東京にえっちゃんドMが出来たんだろ!」と何度も摩訶不思議なことを唱え出し、十数名の親族達がクエスチョンマークを頭に乗せて聞いてみるとそれは
H&M
のコトだった。
またある日は、ボクがトラボルタの電話を応答していると仕切りに「元気でやっているか?」と聞かれ、元気だよと答えるとこの押し問答を5〜6回続けられ困ったボクは、母に電話を渡すと彼は
「米はいるのか?」
と聞いていたというオチ。
常陸太田弁→標準語→英語
というプロセスで行われた会話、不思議なことにうまくいった。
うまくいった?
まぁ長々と話してきていったいボクが何を言いたいかというと
日本人の鎖国は、今もなお終わっていない。
日本人の大多数が母国語しか喋れず、英語を喋れないことに対して劣等感を持ち
日本人それ以外に興味はあるものの、日本人固有の人見知りが出しゃばる。
今もなお言葉に支配され続けここまで来ている。
言葉なんてあってないようなものだ
一番大切なコトというのは、何かを相手に対して伝えようとする気持ち。
相手のことを深く知ろうとするスタンスだろう。
カタコトでもぶつかって伝えあえ!
いつまでも人として発展途上、
こんな理屈をモヤモヤと抱いていたボクに、人と人が伝えあおうとぶつかる姿を眼前にあらわにし、立証し、絶え間無くこうであるべきだー!
というバイブスを感じさせてくれた常陸太田のジョントラボルタに幸あれ。
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