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what’s the meaning of outdoor for me?

アウトドアとは、壮大な学問だ

・自然・不便・美しさ・大切なコト・恐怖・畏怖・総合力・達成感・一体感・充実感・やすらぎ・優越感・生きる術を教わる・生かされていると実感できる・疲れる・しんどい・楽しい・好奇心・言葉ですべてを語れない・just do it・孤独・経験値・男らしさ・etc

都会に生まれ育ち周りにあったのは、猫の額ほどの公園と校庭開放
川といえば汚れた荒川か隅田川、海もないしあるのは飛鳥山くらいで、森などもってのほか。

ただうっすらとキオクにあるのは、父と母とその友達家族で出かけたキャンプ。
行った場所も行った年も覚えてないケド、綺麗な川が流れ大人達が昼間っから飲み酔っ払い、年上の子たちに追いつこうとも追いつけない、トイレは地面をほってテントを張ったようなまったく不快なトコ。
アルコールは良く燃えると言い張って焚き火にビールをかけて火を弱めて大人達に笑われた。テントを張り火を熾し今さっき釣ってきた魚をさばいて料理する。テキパキと手慣れた様子でそれらをこなす大人達がカッコよかったそんなキオク。

父とは小4の時に別れ、それとともにボクを取り巻くアウトドア環境は終わった。
中高とアウトドアはまったく無関係に暮らし、夜遊びを覚えたての大学生になるとそのうっすらとしたキオクを感じてなのか友達とキャンプに行っていた。ケドまぁいわゆる大学生の騒ぎたいソレなんだけど。

大学生ってやつは本当に気楽で、人生の夏休みというものを4年間も勝ち取ったそんな心持ちなのである!
世の中のどれくらいの人が大学に行けてあんな生活を送れているかはわからないし、行っていない人からしたら人生ナメくさってるな、と一蹴されてしまうでしょうけどそんなんお構いなしですよ、ただ親にはめちゃくちゃ感謝しておりますが。

相変わらず授業に行こうともしないで、近くのコンビニで缶ビールを買って大学の中庭で日向ぼっこがてら友達とチルしたり、飲み過ぎた次の日に起きたら3時で、今日は大学行くのやーめた!って布団に体をガッチリ縛られたように寝ちゃったりネ。

そんなこんなな日常の中で、高校生の時からボヤッと考えていた海外移住について思い出して、これまで漠然とオレは海外で暮らすから!って啖呵を友達に切ってきたので、ここらでいっちょ真剣に動いてみっかってな調子で、行動に移したわけだが、、、、

まぁ、早い話、大学の留学枠にもれた。

というのも、応募した年が4年生の時だったので学校側は1−2年生に行かせたいとのことだった。確かにそうだ、
そんなわけで留学という夢は潰えたわけだが、1−2年生の時に行っとけばよかったなどという後悔は全くなかった。後悔できないくらい楽しく暮らしていたからだ。後悔したって何も変わらんしなぁと、まぁそんなこんなでその時分の英語教師にワーキングホリデーを薦められ、紆余曲折ありカナダの地をふんだ。
ありがとうマイク!多分先生の名前はマイク。たぶん

紆余曲折は説明すると長いがかいつまんで言えば、700円の貯金残高が次の瞬間70万700円になったり、自分がやっているブランドに30万円近く注ぎ込んだり、朝は八百屋、昼はアパレルってな感じで毎日行き帰り30kmも自転車をこいでバイトしたり、ワーキングホリデーの申請開始がめちゃくちゃ遅れていつまでたってもスタートしない日々にニッチモサッチモどうにもブルドッグ。
<この部分のヒストリーが気になる方は個人的に聞いてください笑>

カナダはバンクーバー。
大体の日本人がワーホリ先としてまず候補に挙げる街。
定番中の定番だけど横乗りが好きだし知り合いが何人かいたし、そこに決めた。

都会でありながら電車かバスで1時間以内に山にも海にも行けた。都会に育ったボクは日々の電車からソレらを見られることが幸せだった。通学途中、仕事終わり、いつも窓から自然を思ってすごした。
バンクーバーの電車は日本でいうところの舎人ライナーみたいな感じで運転手がいないモノレール的な乗り物で、奇しくも舎人ライナーに乗っているとその雰囲気を思い出して感傷的になるけど、ともかく舎人ライナーの車両をもっと増やせないのだろうか?足立区、荒川区の発展をこれ以上考慮していない設計だとしか思えん!


もちろん全ての都会に育った子がそうであるとは言わないが、子供の頃はゲームにあけくれ、夏でも一日中家にいたような白い肌のシティボーイはドロまみれになったり川に飛び込んだり、木の実をポイッと頂いたりそんな生活とは無縁だったワケだ。
きっとそんなインドアなキオクが反動となってセンセーショナルなアウトドアの世界に飛び込ませたんだと思う。
大きなきっかけは特になく、心の中に残っていたあのキャンプのキオクが漠然と残っていただけ。

ぼくは人生初めてテントをカナダで買った。大学時代一緒に働いていた友人のちょっとした話の中でMSRはすごいテントを作る会社なんだ!
という言葉を頼りに。

登山ぐつなど持ってきてはいなかったし、ましてやザックなど、、、
カヤッキング用の70L防水ザックに荷物を詰め込みリサイクルショップで買った14ドルのソレルブーツで地図も買わずに家を出たことを覚えている。
向かったのはインディアンアームという河、まったく無計画で行き当たりばったり、深夜12時に家を出て友達に借りたヘッドライトで夜道を照らして8時間歩き続けた。

本当にあの頃は自然をナメていたと深く反省している。さきにコレを伝えたかったのはこれから話すことが破天荒な武勇伝自慢と思って欲しくないからで、話すことも恥ずかしい限りである。
ただ一つ言える事は、馬鹿げた字面なことをやりたいといつも思っているのだ。


8時間かけてたどり着いたのは、鉄塔の真下。ケータイのマップだけあとはカンを頼りに、歩き続けた結果行き止まりにぶち当たり、あたりは鬱蒼とした林とその姿を見せてくれないまでも水が流れる音だけをくれたインディアンアーム。
きっと林を抜ければ見えるハズ。。。

ひとまずテントを張ると決め荷物をおろし一息つくとお腹がへったボクは、火を起こそうと持ってきた新聞紙数枚とライターで木に小さな火を移そうとしていた。
高を括ると何も良いコトはない。
前日雨が降っていたこともつゆ知らず夢中になって集めた木は全てビショビショに濡れていた。
1時間ほど ぶっ倒れそうになりながらフーフーと息を火に吹き続けた。
新聞紙はすぐになくなりトイレットペーパーまでも使った。
無理だ。
泣きながら地面を殴り、寝ることを決めた。
小説的な文面だがマジで殴ったw

まぁなぜそこまで気が狂ってしまったかというと、持参した食料がシェアハウスにあったフライパンと辛ラーメン3個のみだったからだ。湯がなければ何も食えない。
誠に恥ずかしい。
空腹と寒さに耐えた。薄いユニクロのダウンを着込んで、これまたリサイクルショップで5ドルで買ったコールマンの化繊夏用シュラフ。

まぁ初めてのテント泊は苦い思い出となったワケだ。

朝、鉄塔に電気が流れているであろうかわけのわからない、大きなバチバチッという音で恐怖と共に起きた。
空腹は断食の悟りとも似た心持ちであまり負担には感じなかったが、これからまた河をめがけて歩き始める気にもならなかった。

帰ろう。

諦めは肝心だ!そんな25年間を過ごして来たのでミレンもなかった。3〜4時間くらいだろうか、初めて人間の存在を感じた古ぼけすぎたグローサリーストアであったかいココアとなんだかよくわからないパイをむさぼっていた。
人生ナメずに舐める飴を舐めずともナメちゃいけない自然の脅威と自分の無力さを噛み締めた。

ボクの中にはドロだらけになって瀕死まがいの経験をしたことに対してのやってやった感、男前を上げられたかもしれないという間違った達成感も反省と同じくらい膨らんでいた。

カナダではいくつか山に登り、時にはカヤックで漕ぎだしキャンプをした。
ひとりだったり友人とだったり。

やはり男は、野を走り狩をするようなワイルドなものでなければならないというイメージは今もなお変わっていない。

子供のころから野山をかけめぐって育った方々に、ボクの体験を話したところで So What?ってなカンジだと思う。  重々承知である。
別に認めて欲しいとも思っちゃいない。

よくアウトドアが好きな方あるいは、登山が好きな方に多いと思うが冬山を登らないととか、高く険しい山に登らないと本当に山好き(登山が趣味)とは言えないなんておっしゃる方がいますが、そうではないと思いますネ。
ハイ。FUCK YOUってな調子。
深田久弥も山は全て素晴らしい!的なコトをおっしゃっていたとキオクしています。
アウトドアマン(アウトドア)=アルピニズムに繋がりやすいのは日本人の特徴の一つで、何かそこに窮屈な順位づけや判断の基準を感じて気持ちが悪い。

そんな時分に、芦沢一洋のアーバン・アウトドア・ライフを読んだ。
この本はぼくの中に住み着いていたモヤモヤとした感情を物の見事に追い出した。

自然という存在は誰の中にもあり人それぞれ違うと思う。
それで良い気がする。

要はアンテナだと思う。
自然に繰り出し活動することがアウトドアであるというのならば玄関を出て風を感じ、日の長さやタンポポの綿毛や金木犀の香りに季節を感じるコトもきっとアウトドア。

今の世の中、自然を無視して暮らすコトは容易い。

カナダの自然のベッドにふかふかと沁み入っていたボクは東京に帰ってきてかなりダウナーにキマっていた。
帰ってきた当初は、山手線で大塚から原宿に向かうのに2回または3回は気分が悪くなりプラットホームに降りるという状況だった。
また自分の中の自然レベル的なものがあり、それが規定値を下回るととても心がアンバランスな状態になっていた。
今は、かなり快方に向かっている。むしろ全快。

別に山に行かなくったって海に潜らなくったって自然はそこら中にあるのだろうとつくづく思う。


気づいている、知っている、感じているそのアンテナがあるかどうかはとても大きい。
そしてそのアンテナは、感受性を鍛え感覚を研ぎ澄ましてくれると思う。

アウトドアってものは幅が広い学問なカンジで、自然に向き合うということは、国語算数理科社会などなど全部を身につける総合力の必要なこと必要なことw
天気、動植物、地形などなど勉強するコトはアウトドアだけに山ほどある。

アウトドアから得られるものはなんだろう?

疲れ、不便さ、後片付け。

めちゃくちゃネガティブに思える3つ。
いわゆるのアウトドアアクティビティというヤツらにはこれが付いてまわるだろう。

がしかしめんどくさいの中に面白さがあると所ジョージも言っていた通りで。

この3つの表面はマイナスな響きを残しがちだが、その裏にあるものはとてもプラスなことばかり

疲れ:日常で感じる疲れ。
例えば、残業になって走って終電に乗った時の『あー疲れた』などとは全く違うのだ。
アウトドアの疲れは何か清々しさがあり全身筋肉痛になろうとも、痛がる自分に少しニヤついてしまったりする。
調子に乗ってまた歩き出せる気分になるのだ。

不便さ:今はとにかく何もかもが便利だ。ボクもそんな便利な時代に生まれ育った一人であるが、ケータイもなかった時代なんて本当に想像もつかない笑
こんな時代に生まれたからこそボクらの世代は不便を知ることが大切だと思う。
というのも不便なことをあえてやってみる いろいろなことが見えてくる。
例えば、ケータイのメールではなく手紙を送ってみる。
便箋選びから始まり、ペンの種類、文字の綺麗さ時には荒々しさなど用件を伝えるって命題は変わってないのに多くの手間と時間がかかる。
ケドその時間はきっととても有意義なものになるだろう。
アウトドアもそんなカンジにかなり不便なことばかりだ。
火起こしにしたって、家にいればすぐに火をつけられるし火力もカンタンにできる。フィールドに出てしまえばそうカンタンにはいかない。術が必要なのである。
ただ、自分の力で起こした火はとても気持ちがいい。

後片付け:どうやったって人生に付いて回るのがコレでしょう。
コレが一番めんどくさい笑

子供の時分からやりっぱなし坊やは、大人になってもどうしてなかなか片付けられないw
前回使ったまんまのBBQ道具をそのまま車に詰め込むことも朝飯前
しかしなんでかテントだけは絶対に洗ってしっかり綺麗に畳んでしまいたい。
当たり前だよって聞こえてきそうでやんなっちゃうケド、シワシワのテントを張ることだけはなんだか嫌なのである。

大切にすると愛着がわくなんて言葉耳にタコ飼えるレベルで聞かされてきたケド、実感に変えられるのは己のみですな。
男らしく荒っぽく使いたいアウトドアグッズたち、メンテナンスをするときなんかはだいたい家に誰もいないことを確認し、二人きりになるや否や長く連れ添った女性のように優しく扱ってしまう。
色なとこ一緒に行こうな、なんて思って口から発していなかったかハッとして確認する始末。
なんとも恥ずかしい。

母は子供3人を女手一つで育ててくれた。父は出張ばかりで一緒に住んでいた時も月に2〜3回会えればいい方かと記憶している。両親が別れてからも半年に1回ペースで会ってはいたが、いわゆるの父と本気でぶつかったり、悩みを相談したりという思い出などない。

僕の中の「男たるもの、男らしさ」がほとんどない。

ゼロではない。
母が時には父になり、育ててくれたからだ。大変に感謝している。

それでもやはり男にしかわからない悩みもあるだろうし、がっちりとした背中を見て育っていないコト
ボクの父親像(男というもの)という奴は霧がかかったようなカンジなのだ。

僕にとってのアウトドアとは、そんな「男たるもの、男らしさ」を身につけるための現場だろうと思う。

まだまだアウトドア初心者の私が偉そうに語るのも全く憚るが、コレまでもコレからも自然を近くに感じ、アウトドアに身を投じていたい。


そうだ早く隠居して奥多摩あたりにキャンプ場でもやろうなんて夢を、酒の肴に冷たいビールでも飲みたい気分だ。

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