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002:HSP気質なくせに、自分の体調には鈍感すぎる件について

 
こんにちは‼︎まひろです💃
今日は私が鬱になるまでの経緯をお話しますね。
(今日は長くなるかも…💭)

本題の前にほんの少しだけ自己紹介を💁‍♀️
性別:🚺
出身:北海道
年齢:23歳
前職:ウェブ系の広告代理店(営業)
現職:プロの自宅療養者


さて本題に入ります☝️

私は大学生まで北海道の実家でぬくぬくと過ごしていました。
ちょうど1年前、就職のために上京し初めての一人暮らし、初めての道外生活、学生から社会人という身分変化、という三大環境変化を一気に経験しました。
努力家、言い方を変えると頑張り屋さんや頑固者とも言われますが、そんな私はその変化にすぐにでも適応しようと上手くやっているつもりでした。

4月、入社して1ヶ月間は同期約60人と研修の日々で、仕事というよりかは与えられた課題をこなすことに必死でした。
グループワークもあり、自分がリーダーを務めるなどかなりやる気に満ちていた新卒でした。
生活面でも毎朝お弁当を作って持って行ったり夕食も大体手作りで、週末は友達と遊んだり、ラジオを聴きながら家事をしたりと休むことなく充実した日々を過ごしていました。

5月、配属が決まったのですが、私の配属はまさかの子会社出向。
ほぼ皆が本社配属なのに数少ない子会社出向が言い渡され、少し動揺はしましたが強がりなもんで、「がんばります」の一点張りで動揺を隠しました。
今思い返すと内心
「いや子会社出向っていう配属なんかあったんかーい‼︎」
とか、
「なんで私が〜⁉︎⁉︎」
とか、
色々思ってはいたわけですが何かしら理由があってだろうと思い、5月からは都内だけど本社とは全然別のところへの通勤となり、社員数も同期の数より少ないオフィスへ…。
こちらでも1ヶ月ほど、一緒に出向で来た新卒や向こうの会社に属している新卒と共に研修を受ける日々でした。

6月、ついにこちらでも配属がなされ、同じく親会社から出向で来ている先輩たちが割りかし多くいる営業部署へと配属された私はこの月から毎週泣いていました。

最近になって自分はHSP気質だと気がついたのですが、この頃はまだそんなことも知らず、とにかく何でかわからないけど涙が止まりませんでした。
6月最終週には、親から祖父が危篤状態にあるという連絡が来、毎日泣いていました。

7月、たまたま用があって帰省していた期間に祖父が亡くなり、運良く死に目にもあい、私の精神は限界突破しました。
仕事に戻っても全然集中できない、誰のため何のために頑張れば良いのかビジョンが全く見えないけどこれが新卒の定めと言い聞かせてがむしゃらに仕事をしていたこと、人の生死の瞬間を初めて目の当たりにしたショックが自分でも計り知れないくらい精神的ダメージをきたしていたこと、とにかくメンタルは崩壊していました。

にも関わらず、私は昔から自分の身体に異常が出るまで自分の傷に気づかない鈍感者だったので、一気に身体にガタが来た9月30日(月)まで、ほぼ毎日泣きながら、でも泣き姿を人にはなるべく見せないように、「元気で明るい変わり者のまひろちゃん」というキャラで必死に生きていました。

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