【金融商品】結局誰が得するのか⁉

この記事を書くのはある意味「勇気がいる」アクションである。
何故なら、所謂「爆弾発言」に該当しかねない極めてセンシティブな内容だからだ。
というのも、ひろぴょんはFP(ファイナンシャル・プランナー)でもあり、一つ間違えば「自分で自分の首を絞める」状態となるからである。

にも拘らず、何故この記事を書くと決めたかというと、これから述べる「つみたてNISA」や元々の「NISA」、それに「iDeCo」といった幾つかの金融政策について「将来性が見通せなくなってきた」と感じているからである。

そのくらい、現在の世界の変化は「ドラスティック」なのである。

…これら「金融政策」はどれも「導入当時は華々しかった」けれど…

…今現在、これらに興味を持つ人は「少数派」になってしまったな…

…FP仲間で著名な人たちは各地で「セミナー」を展開していたけれど…

…それらも「鳴りを潜めてしまった」感が否めない…

…何故だろう⁉

ここで「つみたてNISA」と「NISA」を簡単におさらいすると、小額投資について一定期間「利益に対する課税を免除する」制度である。
また「iDeCo」は「個人型確定拠出年金」とも言い、簡単に言うと「自分で自分の退職金相当額を積み立てていくもの」である。

しかし、これら「金融商品」はいずれも「金融機関に管理を信託するタイプ」のものである。

ここまでの知識だけで判断するのなら、「遊休資金を金融機関に預けて運用してもらう」のは「自分で勉強する必要もない」し「自分で管理する必要もない」上、何しろ「リスクを直接自分で負う必要がない」から「悪くない金融商品」ということになるのだと思う。

だが、現在、コロナの関係で現金が必要になっている状況もあるといえばあるのだが、コロナ以前から既にこれら金融商品を「購入する人が居なくなってしまった」というのが正直なところである。

例えば、「iDeCo」の例でいくと、今回の様な緊急時においても「資金を取り崩せない」為に「困った人たちが山ほどいる」からだろうと思っている。

ひろぴょん自身はFP仲間との「勉強会」の時に「私はiDeCoを買わないと思いますし、人にも勧められないですね」と発言し、彼らから「失笑された」覚えがある。

ひろぴょんのコンセプトというか、どちらかと言えば「信念」として、「自分が買いたくない商品は人に勧めない」というのを「基本」としている。

だから「人に勧められない」と発言したのだが、「あんた、馬鹿じゃないの⁉」とからかわれてしまい、それ以降、その勉強会に参加するのを止めた経緯がある。

しかし、今、蓋を開けてみると、ひろぴょんが懸念していた通り、これら金融商品は既に下火になっている。

つまり、結論として「この金融商品の開発は失敗に終わった」ということだと理解している。

じゃあ、この「金融商品」を展開したことで「誰が得した」のか!?

そんな疑問が湧いてくる。

ひろぴょん自身は「これら金融商品を売らなかった」から当然、「損得0」である。
FP仲間は「金融商品を売った」だろうし、「セミナーで人を集めもした」だろうから、「少しは得した」のだろうと思う。

しかし、一番得したのは「金融機関」なんじゃないかと思っている。

これには理由がある。

先の「金融商品」は仕組み上、「投資信託に近いもの」であることを申し上げた。

投資信託というのは、金融機関或いは金融機関から業務委託を受けた資産運用会社(もしくは個人)が運用して利益を出す。

もちろん、資産運用は「リスクを伴うもの」なので、専門家であったとしても「100%利益を出せる保証がない世界」である。

で、そこで上がった利益を分配することになるのだが、まず「資産運用会社」がフィーを取り、それから「金融機関」がフィーを取る。後の残りが「個人の元に返ってくる」のである。

つまり、金融商品の購入者に利益が戻ってくるのは、資産運用会社が上げた利益のうちの1~2割程度がせいぜいなのである。

…だから「今どき利回り1.0%も出るんですよ⁉凄い商品でしょ⁉」みたいな展開が成り立っているというか…

…結局のところ「金融機関を食わせるための商品になっている」感が否めない…

そう感じるのだ。

本来ならば、ひろぴょんも「FPの一員」である以上、こんなこと言うのは「自殺行為」にもなりかねないのがお分かりいただけるだろうか!?

だが、一般の方にも気付いて欲しいことがある。

それは「商品というものは売る側が売りたいものを並べている」という「原理原則」である。

言い換えれば「買いたい側が買いたいものを買うためにはオーダーメイドするしかない」ということなのである。

だから、ひろぴょん的に、これからの世の中は「自分が欲しいものを自分で考えてオーダーメイドする時代になる」思っている。

もちろん、自分のイメージを超える既製品があればそれをチョイスするのも一つの方法である。

ただ、自分が真に欲しいものというのは基本的に「自分で作らなければ無い」ということなのだ。

…非常に手間の掛かる時代になった…

個人的にはそう感じているが、それと引き換えに「自分が本当に欲しいものが手に入れられる」時代でもある、ということになると思う。

長文、失礼。

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