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高校生と演劇教育 第2回レポート テーマ「演劇の授業ってどこから始まったの?」


高校生と演劇教育に関するイベント第2回を開催しました。
参加してくださったのは、主に第1回にも参加してくださった様々な背景を持つ演劇と教育(とくに高校生に関わる)に関心のある方々6名ほどでした。

この回の企画意図は、私自身が長年携わってきた「高校の演劇の授業」について、多くの人と語り合いたい、というのが一番にあります。
12月まで全8回の内の今日は第2回で、テーマは「歴史」です。最初にみなさんにもお話しましたが、テーマのラインナップの中では一番地味目なテーマです(笑)。

第二回のテーマは「演劇の授業はどこから始まったの?」でした。
なぜこのテーマにしたのか。
みなさん、意外と日本の高校で演劇の授業をやっている、ということも知らなかったり、どうしてその演劇の授業ができるようになったのか、という背景を知らないこともあるだろうな、と思ったからです。

私自身、自分が公立高校の演劇の授業を始めて何年も実践していましたが、最初はどうしてその授業が成り立っているのか、ということには関心を払っていませんでした(最初はそれよりも、授業をこなすことに精一杯だったから、ということもありますが(-_-;))

今日は最初にみなさんに一言ずつ自己紹介をしてもらいました。
大学教員でもあり高校生ともインプロをやっている方、教員養成の大学で教えている方、現在高校で授業を持っている方、現在大学院生でこれから高校教員になるという方、小、中、高校で多くのワークショップを行っている方、中高の演劇部インストラクターをやっている方など、演劇教育、教育に関わっている方たちです。

今日は、戦後の日本の高校生と演劇の授業に関わる出来事の一覧資料をもとに、その歩みを振り返りました。


本日の資料1

1955年の「全国高等学校演劇協議会の決議」が、当時の文部省に提出されたのが最初の動きです。このイベントの第一回は「授業と部活ってどう違うの?」でしたが、この決議が示すように、最初は高校の”演劇部”の顧問の先生たちの動きから始まったんですよね。

それ以降、私立の和光高校を除いて、20年間大きな動きはありませんでした。

1978年告示の学習指導要領で専門学科の設置基準の緩和により「演劇に関する学科」の設置が可能になったのが、国の政策としては大きな一歩となりました。
(この一歩の背景には、高校教育改革が関わっていますが、今日はそこまでお話できませんでした)

そして、今日のメイントピックとなる「実験授業」が、1979年から1982年3月まで、日本大学鶴ヶ丘高校で行われました。
実はその記録は公刊されることはありませんでしたので、わずかな資料が残っているのみです。

以下の本日の資料2はそのわずかな資料からの抜粋です。


本日の資料2

この「実験授業」は「普通科高校の芸術科目の多様化を目的とした実験」でした。つまり、芸術「演劇」ができるとしたら、どのような目的で、どのような内容で、どのような評価をするべきか、が実験されました。

結局、今まで芸術科目としての「演劇」の授業は、成立していないわけですが、この実験授業は、のちの演劇の専門学科高校の設立に寄与しました。

本日は、演劇の授業がどこから始まったのかを追いつつ、今日的視点でこの歴史を眺めてみたときに、何を議論できるか考え、次のような問いを考えました。


対話のテーマ

みなさんから続々と意見が寄せられました。
まず、現在公立高校で演劇の授業を担当している方からです。

「「美術」や「音楽」の授業も、やる気になれない時というのはあった。私は「やる気分にさせる」とか「なにか物事に向かう準備をする部分」を演劇でできるのではないか、と思う」

というご意見でした。ああなるほどなあと思いました。
演劇の身体を用いる、あるいは身体を動かす、という部分が、人を学習に向かわせることにつながるんだろうな、と想像できました。

チャットにもご意見いただきました。
大学教員の方からは「演劇そのものの教育と教育利用のための応用演劇の二種類ある気がしました」というご意見。
もうお一方からも「私もそう思いました。「〇〇を通して学ぶ」と「〇〇を学ぶ」は違いますよね」というご意見。

そうですね。「応用演劇」という分野はありますし、大きくは演劇教育というのは、演劇そのものをやるというよりも、それを教育に応用していると見なせそうです。

一方、芸術科目の中に演劇を、ということを求めてきた「歴史」は、間接的に今の演劇の専門学科高校に受け継がれています。専門学科高校では、芸術としての演劇を教える、演劇を学ぶ、ということが貫かれているように思います。

大学院生の方からもご意見いただきました。

「演劇の「総合芸術」という側面がある一方、竹内敏晴が「からだによるからだのドクサの吟味」といっているように、演劇をやることによって、からだを通して、自分を知る、自己理解とか他者理解ということをしているような気がします。」

というご意見でした。そうだなあと思いました。「総合芸術」と捉えると、たとえば「音響」「照明」「衣装」「舞台美術」といったことも含めて学ぶことができるわけですが、やっぱり演劇は「からだ」と共にあるという点が、演劇の芸術としての特徴、あるいは基盤にあるような気がします。

そんなお話が盛り上がってくると、あっという間に30分の時間が近づいてきました。

チャットにご意見が続けてあがりました。

「(私見ですが)日鶴の研究開発は、教科「芸術」の中の科目「演劇」であるという、意識がなかったのではないでしょうか? 美術や音楽の学習指導要領を読んだのだろうか、と。」

なるほど。美術や音楽の学習指導要領を紐解けば、芸術「演劇」のあり方が見えてくるのではないか。それが、実験授業ではできていなかったのではないか、というご意見。実際にどうだったかは、今となっては推測しかできませんが、もし本当に「芸術」の中の科目「演劇」を構想するならば、美術や音楽を本気で参考にして、導き出すことが必要ですね。

他に、最初の方の「やる気分にさせる」「物事に向かう準備をする部分」を演劇でできるのでは、というご意見を受けてのご意見もありました。

「「多様な他者と身体ごと関わりながら問題解決すること」が数学とか社会とかといった学校の各教科の最終的な目的だとすれば、その基盤に当たる部分が演劇に関わりそうに思います」

おおお、なるほどと思いました。他の教科の最終的な目的(=つまり学校教育の最終的な目的でしょうか)、その基盤部分に演劇が関わりそうだというご意見です。

そのように考えると、「演劇」というのは、教育にとってとても大切な部分を担えそうです。

本日はこのあたりで、終わりとなりました。
ご参加のみなさん、本当にありがとうございました。


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