私たちが、ただ静かに「坐る」がなかなかできない理由

静かに坐ることが苦手な人って
多いと思います。

私も以前はそうでした。

坐り始めた瞬間から、ソワソワ、ざわざわして、
携帯を見たくなったり、
動きだしたくなります、

私たちは
何かをしていないといられない生き物で、

「何もしない」を「する」ことが
とっても苦手な生きものなんだな、と
思います。


では、なぜ
「何もしない」ができないか。


それは「何もしない」時に
湧き上がってくる、
ソワソワ感、ざわざわ感、不安感、

周りとの結びつきを遮断されたかのように感じる
孤独感に
私たちは耐えられない生き物だからといえると思います。


携帯を忘れただけで1日中そわそわする、
1日メールを開かなかっただけで不安になる、

これは、
社会から切り離されたかのような気になる
孤独からくる
「欠乏感」が原因。


そもそも私たちの中には
生まれた時から
慢性的な欠乏感があって、
だからこそ
「もっともっと」と自分を成長させていくことができるのですが、

同時に、
何かを得たとしても、喜びは一瞬で、

次の瞬間には
また新しい何かを追ってしまう、という
常に「欠乏感」に追われている私たちが
いることにも気づきます。


どれだけ高価なものを手に入れても、
どれだけお金や権力を手に入れても、
どれだけ行きたかった学校に入っても、
どれだけ好きな人と結婚しても、

相変わらず
そこには欠乏感があって、

「もっともっと」としている自分や
周りの人たちを
私たちは日常の中で
たくさん見てきていると思います。


そうやって
自分を満たしてくれる「何か」が
「そこ」にはあるはず、と
信じているからこそ、それを追っているのですが

でも、こうして俯瞰して
全体をみてみると、

私たちの欠乏感を埋めてくれる
「何か」というのは
外側には存在しないことに気づきます。


では自分の中に常にある
この欠乏感を満たしてくれるものは何か。

それは、
静かに坐って、
すでに、今、満たされていることに「気づく」こと
なんだと思います。


すべて、もう、ここにあったんだ、という感覚、

何も得なくても、
ここに自分が存在していること自体が素晴らしいんだ、
という感覚。


言葉にすると難しいですが、
すでに満たされていた、
すでにあった、ということに気づく、ということ。

とはいえ、
ついつい自分を満たしてくれる何かを
外側に探してしまうのが私たちで

それもまた楽しみのひとつではありますから(笑)

そういったもので、
一瞬の満足感を楽しみつつも、

自分を本当に満たすものは
常に自分の内側にある、ということを
忘れないでおくと、

無駄に気持ちがすり減ったり、
誰かに嫉妬したり、
不安になることもなくなりますから、

過ごしやすくなると思います。

瞑想の習慣は、
私たちを本当の意味で満たしてくれる
そんな手伝いをしてくれると思います。


今日も涼しくて過ごしやすい1日でしたね、
気温差で疲れもでやすいときです、
いつも以上にしっかり睡眠を取ってくださいね。

明日も素敵な1日を!

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