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弟が障害者なのですが、


自閉症の弟がいる。

最も「自閉症」と診断されたのはそんなに過去ではなくて、彼が就職活動の際に受け取った障害者手帳に、そう記してあった。
それまでは彼が何者なのか、両親もわたしも分からなかった。コミュニケーションを取ることができない。会話が成立しない。本を読んでも理解ができない。テレビを見ても理解できない。よって彼が見るテレビ番組は、趣味の電車関連と、子ども向けのアニメーションのみだった。クレヨンしんちゃんがお尻を出すと、けらけらと笑う。

それ以外は至って普通の男の子だった。学校の成績に関して、運動はふつう。音楽もふつう。美術はふつう、より得意。外見もふつう。声がかっこいい、とわたしの友人が言っていた。そして性格は、極めて優しい。
学力はふつう、より少しよくない。
中でも国語はとても苦手、だが漢字は得意。数学も得意。特に数字に対して特殊な力を発揮するらしく、例えばぶあつい時刻表を暗記したり、西暦3000年の12月31日などどこにも記載されていない日付の「曜日」を、遥か過去未来問わず瞬時に言える。可能な限り調べたが、間違っていたことはない。

発達障害という概念は知っていたが、違う気がしていた。当時は発達障害も様々存在するということを知らなかったので、著しく勉強ができなかったり、授業中急に立ち上がってどこかへ行ってしまうなどの様子が伺えない限り、該当しないと思っていた。
それでも周りとなんか違うのは確かだ。弟が就職するために、彼の専門学校の担当者と両親は、障害者雇用枠を備えている会社を探した。そのために障害者手帳は必要だった。

弟の手帳を用意するために、わたしたちの母は走りまわっていた。美人で逞しい母は子どもの頃アレルギーマーチだったわたしを、正体不明の弟を、幼い頃から数多の病院に連れて行ってくれた。わたしたちが少しでも生きやすくなるために。
おかげで我が家には「診察券」と言われるものが、トランプの束のように大量にある。

わたしと弟は2歳差で、小学校のみ一緒だった。彼は小中高、そして専門学校と、普通学級で過ごした。
前述のとおり、クラスメイトと会話が成り立たない。他のみんなとなんか違う。でも何が違うのか分からない。先生はなんだか気にかけているし「ケイちゃん」などと呼んでいる。弟は小学2年生くらいから、いじめに遭うようになった。
内容としては、物を隠される、悪口を言われる、暴力を振るわれる、など。幼いゆえ、いじめっ子も思いつくのはこういったことなのだろう。成長すればするほど、発想や思考も育ち、その内容は残忍になるのだと想像すると、身震いがする。

弟は当時とても可愛い顔をしており、愛嬌もあった。彼の世話を焼きたがる女の子が何名かいてくれた。彼女たちは『サザエさん』の花沢さんのように男子に注意し、担任に報告をした。そしてわたしのクラスを訪ねて、わたしに教えてくれるコもいた。
今となっては信じ難いが、当時わたしは「児童会長」を務めていた。集会や学校行事などで度々全校児童の前に立つ機会があり、よって顔やクラスは知られていて、名前から姉だとわかる。弟と一緒にいる所も見られている。
上級生のクラスを覗きに行くのはとても勇気がいることだっただろうに。ケイちゃんが暴力をふるわれていますと教えてくれた。

ちなみにわたし自身も自分のクラスメイトから、おまえの弟ってなんなの?と聞かれたことが何度もある。おしゃべりが苦手なの、と答えていた気がする。
障害がある、とは言わなかった。だってなんの障害なのか、そもそも障害なのか、分からなかったから。

機会があり、弟をいじめていたクラスメイトたちと話すことができた。
聞くと弟も悪かった。仲良くなりたいが故に、名前をもじって呼んでみたり、鬱陶しい絡み方をしていたようだ。苛々して殴ったりしてしまったとのこと。
暴力はだめだと伝え、以後そのようなことは聞かなくなった。しかしそのうちの1名から、今度はわたしが何かと絡まれるようになった。そしてわたしの卒業が近づいた頃、放課後に校門で友人たちと話していると、突然その子から、おまえの弟いじめてやるからなー!と校庭の端っこから叫ばれた。

いま思うと、わざわざそんなことをわたしに言ってくる理由があったのかもしれない。知っている限りだけれど、実際にいじめは起こらなかったそう。けれどその時、あぁ「いじめ」という認識は、あったのだなと感じた。
そして6年間を通して、弟本人の口からいじめの件が出ることは、なかった。

弟は区立の中学校へ進学した。
こちらでも健常者クラス。わたしは違う中学だったけれど、この学校にはわたしの小学校の頃の友人が数名いて、また弟の学年・クラスにも、その友人の弟妹たちがいた。そのうちの1名から、弟がいじめられている情報を聞いた。相手はなんと、教師。
弟は陸上部に所属していた。団体競技は厳しいけれど何かスポーツを…と考えた両親の選択だった。その顧問から、体罰のような行為を受けたり、悪意ある言葉を浴びせられているとのこと。「おまえなんか◯◯行っちまえ」と言われたらしい。◯◯とは、その中学校にある障害者クラスの名称だ。

わたしは母に報告をし、母は学校に報告をした。弟の担任はことなかれ主義…ではなく理解のある方で、非常に驚き、ブチ切れ、校内は炎上したらしい。
聞いたところによると、その顧問は弟に限らず、思いどおりにならない生徒に向かって誰彼構わずそういう行為や言葉を飛ばしていたらしい。非常勤講師だったらしく解雇になったと聞いたが、卒業アルバムに載っていた。今でも顔を覚えている。
そして今回も、この件に関して弟の口から発せられることはなかった。

弟が次にいじめに遭うのは、社会人になった時だった。弟が会社の指導担当から暴力を振るわれていると、匿名の手紙が人事に送られてきたらしい。
両親も会社も調べたが、まもなくして雇用契約条件が変わり、弟は転職した。いじめに関して事実は最後まで分からなかったが、今回も彼は何も言わなかった。指導担当者のことをどんな人?と聞いても「優しい」と答えるのみだった。


長々と書いてしまったけれど、高校や専門学校でも、知らないだけでそういった行為に遭っていたかもしれない。
知れたのは、周囲が教えてくれたからだ。障害者は自分がいじめられていることを他人に漏らすことはないだろうと、いじめっ子は考えるのだと思う。

わたしも中学生の頃いじめに遭った。ジュースを買うよう要求されたり、教科書に罵詈雑言を落書きされたり、声や話し方を悪意を込めてマネされたりした。
誰にも言わなかった。恥ずかしいと思ってしまったのだ。いじめられている、弱い自分を。
けれど言おうと思えば言うことができたと思う。勇気を出してやめてと言うことも、可能といえば可能だ。行為として。
しかし弟は、言うことができなかった。言うことを躊躇うとかではなく、行為としてできないのだ。「やめて」「いやだ」という言葉の使い方がわからない。誰かに伝えるという行為がわからない。言葉を教えても、定型文的な使い方しかできない。自分から言葉を選んで組み立て、伝えるということが、できない。

ふと、障害者いじめの話を聞くたびに、
このいじめている人も、明日には障害者になっているかもしれないのにと思う。
事故などに遭い、運悪く身体が不自由になったり、脳が壊れる可能性は、生きていれば常にあるはずだ。自分がそうなることもありえるのに、よくできるなと思う。

弟に苛々してしまうことはある。何度もあった。数えきれないくらい。
けれど彼自身は、自分の考えや感情を伝えられず、苦しいはず。何も言わないからって何も感じていないなんてことは、ありえない。
わたしは実家を出てから、会話の機会が減ったぶん彼とよくLINEをするようになった。実家の様子や、みたテレビ番組の内容や感想を教えてくれる。彼はスタンプや絵文字を多用する。言葉にできない彼の心を、文字以外のこういった方法で伝えられるのだなぁと感動した。

彼と接するうえで心掛けていることは、普通に接することだ。
わたしは「あなたの弟ってどんな人?」と聞かれたとき、子どもの頃はおしゃべりが苦手と答えていたが、今は「ちょっと個性的」と答えている。それを知った両親は、ふふっと笑っていた。


…ここ数日に「障害者いじめ」という言葉を目にすることが多かったので、過去を思い出しながら、弟のことを書き出してみました。
きょうだいという身近な存在に障害者がいるわたしとしては、怒りというより不思議な印象です。前述した理由で、そんなことがよくできるなと思います。もちろん障害者に限らずいじめなんて言語道断だけれど。

そして…
昨日解任になった方に関して、明日また書きます。たぶんお笑いや演劇に関わったことのある方だけじゃなく、多くの方が思い入れがあり、尊敬している方だと思うので。ネット上も様々な言葉があふれていた。
居た堪れない。

長文を読んでくださり、ありがとうございます❤︎

いつも本当にありがとう。これからもどうか見てください(*´◒`*)ノ