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からまった毛糸をほぐす時。

こんにんは。

この記事は、昨年10月~11月にかけて書いて、下書き保存していたものです。

時系列を直してアップしようかと思いましたが、書いた時のまま、アップします。

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今日は、人生を、1つの毛糸に例えてnote。

私は今年、自分の人生の、家族との間の絡まった毛糸をひたすらに解いている。

もしかしたら、ほかの毛糸もほぐしていくことになるだろう。このために。

振り返る毛糸には、絡まった部分もあれば、絡まっていない場所もところどころに見え隠れする。

ほんとにただの毛糸なら、解かずに絡まったそこで切ってリセットすることも、新しい毛糸で編み直すことも容易に出来るだろうが、人生となるとそうもいかない。

絡まりすぎて、色んなものを混ぜて絡まった毛糸。ほどくことを諦めて、嫌がって、見ないようにしていたけれど、解くきっかけがたまたま起こった。どうにもこうにも、---タイミング---だったんだと思う。そこから一気にほぐしまくっている。

絡まった毛糸をほぐすために、私は第三者にお手伝いをお願いしている。それが自分メンテナンスだ。ほどくのも、見つめるのも自分自身だが、ほぐしやすくするために助けてくれる人がいるのは本当にありがたい。そして私がそれをほぐそうとする日---タイミング---が来るまで、気長に、折々に私の絡まった毛糸たちに問いかけながら、付き合ってくれているのが主治医だ。今までも、たぶん、これからも。

そんな主治医が、

僕は無神論者だけど、神様っているのかもしれない

と言ってくれたのが、今年の私に起こっていることだ。

毛糸は絡まったままでも生きていけると思ってた。し、多分、生きていける。

でもたぶん、絡まった毛糸は、どこかにテンションがずっとかかってて、絡まった場所があればあるほど、そのテンションも大きくなるんだと思う。

絡まったまま動こうとすると、その絡まり方によってはどんどん色んなものを巻き込んでしまって、ほぐす場所が増えてしまう。巻き込んでしまったものを外すのも、ものによっては時間がかかるかもしれない。

絡まった毛糸はたぶん、どこかのポイントで少しずつ無意識の間にほぐれていくこともあると思う。ただ、その転機は、本当に、人生に何度あるかわからない大きな転機ぐらいだと思う。結婚、離婚、人の生死、就職、退職、出会いと旅立ち、このぐらいだと思う。自分以外の人の毛糸が絡まったり、途中で誰かの毛糸が終わるタイミングだ。その糸の終わりで絡まってしまうこともあるだろう。

それでも自分の毛糸は続いていくから、やっぱり振り返ったメンテナンスはきっと折々に必要なんだろう。絡まった毛糸をそのままにしておくのは、いずれ扱うのが難しくなって、肩もこってしまうだろう。投げ出したくなる日もくるかもしれない。

その毛糸絡まってないかな?一緒にほどかない?

と声をかけてくれる人もいるだろうが、大方の人は、そこまで関与はしないと思う。なぜなら、そもそもそこまで心の内を見せられる相手も限られるだろうし、場合によってはその人との関係性すら壊してしまうからだ。

心理カウンセラーは、友人、家族など、既に人的関係のある人のカウンセリングはしてはならない。それが、心理カウンセラーの守らなければならない倫理だ。誰彼構わずできる話でも、していい話でも、ない。

ただ、その知識がないと、深く入ってしまう。

誰かの悩みを聞く時、そこに自分が深く肩入れしてしまうことがある時は、そこに自分の絡まった糸があるポイントだ。その時、ほぐすべき相手は、誰かの毛糸ではなく、まず自分の毛糸を見てみることが大切だ。自分の絡まったものをほぐしてからじゃないと、一緒に絡まってほどくのが大変になる。そこでまた、余計な毛糸を巻き込むかもしれない。もしかしたら、石ころや紙切れも巻き込んでいるかもしれない。

そしてもしその声をかけてくれた人がいたとして、その時に、その手を掴むかどうかもまた、本人次第だ。どんなに手を差し伸べても、掴んでもらえなかったらどうしようもない。絡まってるのに、一緒にほぐせない。でもそれもその人の---タイミング---なんだろう。

私が、その毛糸をほぐそうと思うまでに約20年もかかったように。

そしてそれまでにどんどん絡まった部分を増やしていったように。

絡まってない毛糸を持っていない人はいないと思う。誰だって、大なり小なり、多かれ少なかれ絡まった部分は持っていると思う。それが人生だ。絡まってない毛糸は、産まれたての赤ちゃんぐらいだろう。みんなどこかで傷つき、怪我をして生きてきた。絡まりの大小は、その怪我の仕方や大きさ、その時の癒され方にあると思う。瘡蓋を何度も外しては血を流してを繰り返していれば、傷も跡になって残るのと一緒だ。

絡まった毛糸がほぐれると、心が軽くなる。巻き込んでしまっていたものが、外れていくからだろう。

毛糸をほぐすかどうかは、自分次第だ。

でも、その毛糸をほぐすのもまた、

自分を大切にする

ということに繋がるのではないかなと、今年の私は思っている。

私は私でこれからも毛糸をほぐしていくんだろう。

それが私の---タイミング---なんだろう。


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〈 あとがき〉

ほぐしまくった毛糸は少し固くなったところもあるけれど、今、とても生きやすくなったなと思う。テンションがかかってたところを解したからだろう。そして毛糸を保管する場所も変えたからだろう。居心地のいい場所で、「その毛糸いいね!」と言ってくれる人達と過ごす日々はとても有難い。

たまに、「あー、この人毛糸絡まってる!」と思うこともあるけれど、「絡まってるなー」と眺めながら、カウンセラー資格を持った私の守るべき倫理を守って眺めてます。

今のところまだ、私の毛糸はほぐされたままを維持できているよう。それを確かめに行くのもまた、自分メンテナンスのひとつになってます。

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