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第5話:「わたし」が幸せになるための時間の使い方 ~シャンプーからせっけんへ~

うちには思春期に片足をつっこんだ少年がいる。
こないだ産まれたと思ったのにぐんぐん大きくなり、
成長につれてサイズだけでなくまとう香りまでも変わってきた。
端的に言うと、くさい。

特に頭が、くさい。
いわゆるふつうのシャンプーを使っていたが、何としてもくさい。

シャンプーの思い出

わたしが小学生のころ、女子のあいだでは、どのブランドのシャンプーを使っているかはヒエラルキーを決定づける上での重要なひとつの要因だった。
最上位層の女子が徒党を組んで「シャンプーなに使ってる?」と突然の職務質問を始める。
このシャンプー警察は鼻が利き、嘘をついて別のブランド名を言おうものならすぐばれるから大変こわい。
ヒエラルキーの最上位層は「ラックス」、中間層は「スーパーマイルド」、最下位層に位置していたのは、確か「メリット」だった。
それが片田舎の小学校のトレンドだった。
単なるイメージの話で、メリットは何も悪くない。
(ちなみに日和見主義のわたしは、母に懇願してスーパーマイルドを買ってもらっていた。)

わたしの小学校のヒエラルキーはさておき、近年のCM戦略により、メリットは「家族のためのシャンプー」「子どもにもやさしい」というイメージを定着させることに成功した。
ママ友から「男子臭にはメリットがいい」という情報も入ってくるようになった。
かつてのメリットの立ち位置をなつかしく思い返しながら、メリットを購入した。

確かに子どもの頭のニオイには大変よく効いた。
ただし一度洗いではメリットでも太刀打ちできず、子どもに二度洗いをお願いしていた。

めんどうくさい、に勝てない

子ども用のメリットと大人用のシャンプー・トリートメントが並ぶ浴室は、実に雑然としていた。
日本語がずらずらと並ぶだけで、メッセージを一方的に伝え続けられているようで居心地が悪い。
掃除もめんどうくさかった。
それだけの理由で、大人もメリットを使うことにした。
花王の戦略はきっと成功である。
ヒエラルキーだの私の髪質だのなんだのは、めんどうくさいに勝てなかった。
数十年前のわたしに胸倉をつかまれそうである。


でもやっぱりいやだった

でもメリットを使うのは、消極的理由でしかなかった。
肌の弱い下の子の頭皮には強すぎるようだったし、
わたしは香りが好きになれなかった。
そしてそもそもシャンプーは、詰め替えなければならないのもめんどうだった。
詰め替え作業のたびに、ポンプの下側からだらしなくドロリともれるシャンプーは
もったいないと同時にグロテスクに思えた。

水が、地球が汚れていくことがいやだった。

せっけんで洗ってみた

「せっけんで頭を洗っている」という友人が3人いる。
聞くたびに「そんなの無理でしょ!キシキシしちゃうし。物好きなやつ。」と思っていた。
でも冷静に考えると、わたしの少ない友達のうち3人もがせっけんで洗っている。
そのうちのひとりの娘さんにいたっては、若さあふれるツヤツヤのロングヘア―だ。

思い立って、せっけんを買った。
「ドクターブロナー」のマジックソープバーだ。
ネットで調べ、環境にやさしいことを確認した。
https://www.drbronner.jp/
体や頭だけでなく、食器洗い等、「洗う」ためだったら何にでも使える。
パッケージも紙で、せっけんは天然由来の成分で作られているため生分解性が高く、水も汚れないらしい。
原材料はフェアトレードプロジェクトを通じて調達されている。


合わせて、パックスナチュロンのリンスを買ってきた。
子どもには不要だが、わたし用である。

試しに洗ってみた。
せっけんを手に取って、髪にすりつける。
新しい体験をしていた。
自分の頭なのに、犬を洗っているみたいな感覚だった。

1回ではよく泡立たず、2~3回せっけんを手にすりつけた。
シャンプーのようにモコモコの泡とはならないが、
その分流したときに泡が無くなるのも速く、髪も頭皮もしゃっきりした。

パックスナチュロンのリンスは、トゥルントゥルンには程遠いものの、ある程度キシキシ感をやわらげてくれた。

もともと広がりやすい髪質なので、メリット時代からアルガンオイルを髪につけてから乾かしている。
アルガンオイルをつけたら髪は全くキシキシしなくなり、
さらには翌朝の寝ぐせもつかなくなった。
完璧である。

次は、子どもである。
「今日からためしにせっけんで洗ってみて」と言うと、
何の疑問ももたず「ハーイ」と気のいい返事が返ってきた。
もっと抵抗されるかと思ったけれど、「頭=シャンプー」という等式は大人だけの思い込みかもしれない。

使用後に子どもに聞いてみると、
使用感には違和感がなく、しかも頭から顔、体まで全部一気に洗えるのが良かったらしい。

そーっと背後から近づき、頭のニオイをかいでみた。
くさくない。
翌日もくさくなかった。
いや、くさいはくさいのだが、メリットを使っている時と同レベルの臭気。
どうやらせっけんだと泡が立ちにくいので、
いつもよりしっかり洗うようになるらしい。

子どもが言うには、髪の乾きも速いと感じるのだそうだ。
「速乾プラスだ!」と喜んでいた。
言われてみれば、確かに速い気がする。

むりやりひとつ、せっけんの問題点を挙げるとしたら、
1回ではじゅうぶんなせっけんが手に取れないので、
何度か手にすりつけることになるのだが、
そうすると髪の毛が数本せっけんにくっついてしまうことがある。
でも、それだけだ。

子どものニオイ問題も、私の髪質問題も、浴室ちらかり問題も、
何だか全部解決してしまった。

(黒メッシュのせっけんは、足のニオイ取り専用。もちろん子ども用。)

なんでもっと早く始めなかったんだろう、と思った。

自分で決めてこなかった「わたしの時間」

それは、忙しかったからだ。
ちがう、忙しくさせていたからだ。
日々仕事と家事育児に追われるだけでなく、
ほんの少しできたスキマにも何かをむりやりぎゅうぎゅうに詰めて、
自転車通学する男子高校生のお弁当箱みたいにするのがいい、そうしないといけないような気がしていたからだ。
そのスキマに入れるものは、だいたい何も考えずにお金さえ払えば手に入れられるお手軽なものだ。
ママ友と雑誌で話題のレストランに行く、新しいモノを買う、ヨガの体験レッスンに行く、インスタで新しい情報をチェックする。

でもコロナでスキマだらけのスカスカな日々になったし、
新しいモノをお金を出して手に入れることが、いくらかしにくくなった。
それでわたしは、せっけんで頭を洗ったりし始めた。

何に時間を使うのかは自分で決められるし、自分で決めてきたつもりだった。
けれど実のところ、全然自分で決められていなかった。
自分の生活や人生を快適に、安全にするための時間の使い方ではなくて、
誰かから「いいね」と言ってもらうための時間の使い方だった。
だってわたしは、ママ友と一緒にレストランに行くことが好きではない。
しゃべってばかりで、おいしい食材に向き合えないからだ。
できればおいしいお店にはひとりで行きたい。(おしゃべりは別にしたい。)

新しいモノは、インスタにアップしてただ見せびらかしたかった。だからハッシュタグを見るとわたしなりのさもしい「自慢」がずらりと並んでいる。
ヨガは15年前から全然好きになれないのに、ヨガをしている自分に酔いたいだけだった。
「みんなが知っていることを自分が知らない」ことが受け入れがたくて、
ヒマさえあればインスタを開いていた。

「幸せ」になれない時間の使い方

いちばん最初の記事でも書いたが、「幸せ」にはなりたいが「幸せすぎ」にはならなくていいと思っている。
でもわたしのこれまでの時間の使い方は、「幸せ」にすらなれていなかった。
よけいなことをしてスキマを食いつぶし、忙しくして免疫力を下げていた。
モノという資源を搾取し、知らず知らずのうちに誰かを不幸せにしていたかもしれない。

仙人のような生活をしている人でない限り、
社会生活を送るうえでは、どうしても「自分だけと向き合う」ことが
しにくくなるのは仕方がない。
というか影響しあって生きるのが人間だし、そうやって文化も技術もあらゆるものが前に進んできた。
でも、その比率がおかしなことになっているような気がしている。

その原因はたくさんあると思う。
セーフティネットとしての「世間」が機能しなくなっているのに、世間の目ばかり気にすることだけが残っている、だとか
情報過多だとか情報リテラシーが身についていないだとか、
自己肯定感だとか、同調圧力だとか。

原因は、ちょっと考えてみたけれどわたしにはどうもよくわからない。
けれど自分の生活がうわすべりしていることだけは、わかる。

自粛生活が始まった頃は、早く友達に会いたかったし、仕事も元通りになることを待ち望んでいたし、休校が長引けば発狂するかもしれないと思っていた。
けれど今は、友達にはそれほど会わなくてもいいし、仕事のペースは今くらいでかまわないし(夫がずっと働き詰めに働いてくれているおかげだ)、ずっと子どもが家にいてもお互い良い距離感が保てるようになっている。
そして何より、自分がどうなったら幸せなのかを考えるようになった。
今までも考えていた。けれど全然フェーズも深度も角度もちがう。

「幸せ」になれる時間の使い方

これまでいいと思ってきたことの主語は、「誰か」だった。
自分がいいと思ってきた数々のことが、ちょっとだけアホらしく見えてきた。
スキマをせっせと埋める活動が人生なのではなくて、何でスキマを埋めるかが人生だ。
それは頭を使って考えなければならない。

わたしは、まぎれもない「わたし」が「幸せ」と思うと同時に「誰も悲しい思いをしない」ものでスキマを埋めたい。
シャンプーを卒業してせっけんにしたこと。これは間違いなくわたしを幸せにしてくれていると感じている。

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