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第6話:苦手×苦手=夢中 ~ランニングという瞑想~

小さなころからランニングは苦手だった。
脇腹が痛くなってしまうのだ。
ふくらはぎにずんとくる重みも好きになれなかった。
走ったあとに口にひろがる血の味も、鼻血がつぅっと口に下りてきて得られるあれよりもよほど毒々しくて、何となく死を予感させた。
100mをぶっちぎりで疾走するときの、あの一瞬何も聞こえなくなるような感覚の方が好きだった。

新習慣

そのわたしが、うまれて初めて走っている。
近所をぐるり一周、約30分。
それを3週間、毎日続けている。

発端は実に単純。自粛生活で肥えたことだった。
エレベーターを使わずに階段を使っても、晩ごはんを減らしても、おやつを減らしても、何ならビールを不本意ながらローカロリーのものにしてみても、全然体重は減らなかった。
着々とその数値を上げていく。

日常に変化が欲しかったし、その余裕もあったから、いままでやったことのないことにチャレンジしてみようと考えた。
で、走った。

3日目くらいまではすぐに疲れてしまい、自己嫌悪だった。
それがだんだん、続けて走れる距離が伸びてきた。
なぜかもう脇腹も痛くならないし、血の味もしない。

苦しくて何も考えられない

それでもだいぶ苦しい。

苦しくて、走っている時には何も考えられない。
ひたすらリズミカルな呼吸。無心で動く手足。
行き交う人と目も合わせない。
途中「花がきれいだな」とか「この家デカっ」とかは実は思っているのだが、脳みその表面をつぅっと伝っていく程度にしか考えていない。
考えていないのだ、感じているだけ。

これは瞑想なのか?

これは、瞑想なのだと思った。
頭を空っぽにしなければならない瞑想も、ずっと苦手だった。
横たわるそばから待ってましたとばかりに、あれこれ考えが俊敏に脳内を巡る。
考え事をするためにごろ寝しているような状態におちいる。
けれどもランニングの時にはもはや何も考えることができないくらいの
ギリギリボディ&ギリギリブレインだ。


頭が働かないほどに体を動かす。
瞑想に似たその時間ができたことで、自分の本心と向き合うための体の“向き“がととのうような感覚がある。
わたしがnoteをこうやって書いている時期と、ランニングの時期はほぼ重なっている。

ちなみに薬物中毒の更生施設では筋トレをする人が多いのだと、本で読んだ。
筋トレをしている最中は、麻薬に毒されている時と同じ脳内快楽物質が出るので、その時間は麻薬のことを頭から追い出せるのだそう。
わからないでもない自分が、ちょっとこわい。

苦手×苦手=夢中

ランニングも瞑想も、苦手だった。
だけどランニングに瞑想の要素を見出したとき、夢中になった。
こんなことってあるのねと自分で驚いている。

ちなみに体重は、びくともしない。

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