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暴力と等しいほどの圧倒的な優しさ

竹原ピストルという歌手の存在は昔から知っていたが、ちゃんと聴いたことはなかった。
有名な曲はラジオで流れたりするから、「よー、そこの若いの 俺の言うことをきいてくれ」の一節くらいしか知らなかった。
ただ、ずっとちゃんと聴いてみたいと思っていた。というのもCreepy NutsやNakamuraEmiなど、私の好きなアーティストが、軒並み竹原ピストルはすごいと言っていたからだ。
しかしこういうのにはタイミングがある。他にも聴きたい音楽は数え切れないほどあるし、その時の自分の気分や体調など、様々なものが噛み合わないとなかなか本腰を入れて聴く気になれない。

数週間前だと思う、どういう流れかは分からないが、竹原ピストルをきちんと聴こうと思った。
とりあえずSpotifyで竹原ピストルを検索し、ずっと流しっぱなしにした。
何曲か聴き続けると、ある曲で私は完全に竹原ピストルの弾丸に撃ち抜かれ、身動きが取れなくなった。それは「LIVE IN 和歌山」という曲だった。

その後も「狼煙」「カモメ」「カウント10」「例えばヒロ、お前がそうであったように」「ママさんそう言った〜hokkaido days〜」など、次々と打ちのめされた。
歌詞の一言一句にすべて共感した。

何という説得力だろう。
私はまだ敢えて竹原ピストルの生い立ちや、曲が生まれた経緯などを調べてない。
しかしそんなもの知らなくていいくらい、竹原ピストルの歌は、両手を上げて参りましたと言うしかないほど、すざましいことは明らかなのだ。

NakamuraEmiの曲に、竹原ピストルのことを歌った「痛ぇ」という曲がある。

「もっと頑張れ」なんて一言も「大丈夫だ」なんて一言も
言われてないけど腹の底から涙が溢れる
拳で殴られる痛みを知ってる人だ
拳で殴る痛みも知ってる人だ
痛ぇ

まさにその通りだ。

竹原ピストルの歌は男臭くマッチョだと思う。しかしそれと同じくらい優しすぎる。嘘偽りない、綺麗事なんかじゃない、本物の優しさだ。その優しさは暴力と同じくらい圧倒的だ。

私は元気がない時に竹原ピストルの曲を聴く。それはにんにく注射みたいな効果がある。
優しく「頑張らなくていいよ」とか「泣いてもいいんだよ」と言われるより、圧倒的な説得力の拳で殴られたいのだ。

同じように元気がない時、中田敦彦の動画を観る。
竹原ピストルも中田敦彦も、泥の中で這いずりまわり、何度でも転んでは立ち上がり、みっともない姿を晒け出しながら、それでもやってやるという気持ちは絶対に折れない。その行動力に圧倒されるし、生命そのものを見ているようだ。
その他、矢沢永吉や漢a.k.aGAMIなども私にとっては同じ薬のようなもので、やはり私はマッチョ思想が好きなのだと思う。

その中で竹原ピストルを特筆するとすれば、彼の歌詞は聖書のようだし、その優しさは私の他にどれだけの人を救ってるのだろうと、神のようにも感じる。

あなたを見てると自分が情けなくて あなたを見てると疲れちゃうんだけど
あなたを見た後はいい目をしてて あなたに出会えて良かったと思って  
痛ぇ

NakamuraEmiがこのように言ってるように、確かにこんな歌を聴いたら疲れて身が持たないとも思う。でも聴き続けたい、聴かなければならないと思う。聴かないという選択は逃げることだ。

先日竹原ピストルのライブのチケットを取った。
恐らくライブ後は打ちのめされてしばらく動けないだろう。しかし生きてるうちに絶対に生で観ておかねばならないという、使命のようなものを感じているから私は行く。

私は自分の言葉に絶対的な責任を持っている。果たせそうにないことは口にしない。
今まで私に上っ面の優しい言葉をかけてきて、結局面倒になったとかで、私が本当に困った時には見放すということがたくさんあった。一方今でも仲良くしてる友達は、下手に優しい言葉や出来ないことは口にしない。その方が優しい人だと思えるし、信頼出来る。

最後に私の力の源になる、竹原ピストルの歌詞を幾つか紹介して、この記事を終わりにする。

薬づけでも生きろ
どうせ人間 誰もがなんらかづけで生きているんだ 大差ねぇよ

俺は来年も再来年もその先もずっと
和歌山に歌いに来るからよ
おまえも来年も再来年もその先もずっと
俺のライブを観に来いよ
LIVE IN 和歌山
死なせないために歌った歌で
殺しちまったことがあるんだよ

まともなわけねーだろが
まともなわけねーだろが
誰かと間違ってねーか?
俺がまともなわけねーだろが
隠岐手紙
確かに誰に頼んで鳴らしてもらったゴングじゃない。
例えば季節のように、いつの間にか始まっていた戦いなのかもしれない。
しかも運やら縁やら才能やらといったふわついた、
しかし、絶対的に強大な事柄がどこまでも付き纏う、
ちっともフェアじゃない戦いなのかもしれない。
だからと言って、不貞腐れて、もがきもせず、あがきもせず、
例えば季節のように、
いつの間にか終わるのだけはまっぴらごめんなんだ。
誰かが言ってた。人生に勝ち負けなんてないんだと。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、人生との戦いにおける勝ち負け、二アリーイコール、
自分との戦いにおける勝ち負けはやっぱりあると思う。
ぼくは絶対に負けたくないから、どんなに打ちのめされようとも、
また立ち上がって、またどこまでも拳を伸ばす。
ちなみに話は変わらないようで変わりますが、
ぼくは“人生勝ち負けなんてないんだ”という人の人生に
心を動かされたことは、一度たりとも、無い。
カウント10
俺もやってみたいんですけど、余ってるギターありますか?って言ってきたお前と、
やってみろよって、余ってたギターをあげた俺。
あの時の俺とお前以上に暇で愚かな人間っつったら、軽々しいことこの上なく、サークルのりでお祭り騒ぎ、
例えば原発賛成反対云々かんぬんケンケンガクガクわーわーきゃーきゃーやってるやつらぐらいのもんだろうな。
哀しいかな、消えてなくなって欲しいやつっているな。俺も誰かにそう思われていることだろう。
そこへいくとヒロ、お前はあくまで俺的には、ギリギリ、あくまでほんとにギリッギリ、
消えてなくなって欲しくない、まあ、そーだな。。友達だったぜー。

お前のライブ、見てみたかったなぁ。最前列でヤジってやったのになぁ。お前のライブ、見てみたかったなぁ。
お前も歌うたいになればよかったのになぁ。
持ち時間30分なら30分。1時間なら1時間。3時間なら3時間。それが歌うたいの寿命なんだ。
わざわざ自ら、わざわざ永遠にくたばるまでもなく、
毎日、毎回くたばることができて、そして何より、毎日、毎回生まれ変わることができる、
なんとも自分勝手で都合のいい存在なんだ。
例えばヒロ、お前がそうだったように
横綱じゃねーやつの勘違い横綱相撲、横綱によるクソ順当なかったるい横綱相撲
身の丈も知らねーで固定ギャラひったくって、"打ち上げするためにライブしてる"って?デコピンで泣かすぞこのやろー
全道各地、お世話になった全ての小屋の、全てのマスター、ママさん、ちょっよてこずってしまってるけど、
必ずチャンピオンになって帰ります。
どうかどうかいつまでもお元気で。東京から第二の故郷、北海道の恩人達へ、
今日の日は、ぴーすあうと、竹原ピストル れぺぜん 野狐禅
ママさんそう言った

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