斜線堂有紀「回樹」(『新しい世界を生きるための14のSF』より)
※ネタバレあり
今作は私が(私だけが)定義する<部分SF>であり、読み終わった私は、こういうのが書きてええ〜〜〜〜、あるいは、死ぬ気になれば書けるかもしれな〜〜〜〜い!!と心のなかで叫ぶ。
SFゲンロン創作講座で実作にエピグラフを置いたのは拙作だけで、ちょっと恥ずかしくもなったが、今作の素敵なフィッツジェラルドからの引用にまず嬉しくなる。エピグラフを置きたくて、小説を書いてるんだ!と思う。
冒頭で主たる登場人物二人とその関係(と遷移)を提示する機能的に美しい一文でありながら、キャッチーで素晴らしい。二人の馴れ初め→取調室+「恋人の(遺体を)盗んだ」というフック→二人の最初の出会い+墓不足の設定提示→告白シーン→取調室、ここまでで24/54ページ。ここまでは「律はどうして初露の死体を盗んだのか?」「そもそも何故初露は死んだのか?」といったサスペンスと二人の関係性の変化が物語を駆動しており、この時点でSF感はない。
この後ようやく「回樹」(解呪!)というSF的ギミックが登場する。だけど、その前に。ふたつ、考えたことがある。
①どうして時系列を撹乱する必要があるのか?
私が時系列にしか書かない、書けない、ので、想像なのだけど。時系列を撹乱する書き方は、時系列通りに書いて(撮影)→時系列をばらばらにする(編集)、というプロセスを経てる、と思う。回想シーンを挿入するのではなく、時系列をせわしなく動かすのは、それは、馬鹿みたいな言い方だが、文学っぽい、効果がある。小説に有利な書き方であり、小説的な説得力が増す。
その非ロジカル=非リニアな時間の流れが、「回樹」についてのリニアな説明の非・文学性を希薄化する、役割を果たしている。それが非常に巧みだなぁ、と。SF小説という形式において、場面や描写よりも説明をいかに扱うかが遥かにキモである(『異常論文』みたく奇形化、先鋭化するぐらいに)と確信を深めるに至る。
説明をいかに自然に、スムーズに済ませるか。もしくは過剰に不自然に済ませるか。もしくは、説明しないか。
②「これはSFである」と知らされている読者は何を(どんなロジックを)期待しながら読み進めるのか?
先日の講義で宮内悠介先生が「ジャンルごとの勘所を押さえる必要がある」と仰っていました。私なりのその金言を解釈すると以下のようになる。
フィクションのロジックは無限であり、それを有限化する枠組みがジャンルである
ミステリのロジックは、テキスト内に書かれていることから推論、である。で、今作の謎である「遺体を盗む」はどう考えてもトンデモであり、いわゆる本格ミステリではないだろう、と私は考える。つまり謎が要求しているのは、超常的なロジック、または、超常的な設定。(SFとトンデモミステリは=で結ばれる。『ディスコ探偵水曜日』を読みたまえ)SFのロジックの有限は、相当に遠く広く設定されており、けれど純文学の透明さに比較するとはるかに強固である。
煮込み料理を作るのが好きだ。圧力鍋でスープを作るのが好きだ。冷蔵庫でタッパーに一晩置くのが好きだ。私は、そういうのが好き。経過はしらないけれど、蓋を開けたら美味しそうなものが出来上がってるんだもん。純文学も同じ理由で、私は好き。
純文学の強度や、麗しき妄想は、そういった経過=ロジックの欠如や省略、時には矛盾に宿るのではないか、と時々思う。ある種の文芸批評は作品に精神分析を施し、その空白に幻のロジック=作者の無意識を浮かび上がらせることに腐心していた、のではないか。(それとは違うアプローチも多数あるでしょう、その極北のひとつが蓮實重彦大先生♡ですね。)
SFはそれを許さない。絶対に許さない。それだけは許さない。そこが分水嶺なのだ。嘘でも、ハッタリでもいいから、経過を提示すること。その経過の渦中に人間や社会を投機すると、果たして何が起きるかを考えること、をSF小説は要請する、私は要請されている。
今作に戻ろう。「回樹」の設定が白眉だ。素晴らしい。このアイディアだけで買ったも当然である。私たちが生きる”いまここの世界”に「回樹」という奇妙なものがたったひとつ屹立している。社会や人間は否定神学的にその穴の周囲をぐるぐると回るように蠢いて、穴の暗闇から世界が逆照射される。こういったものが、私は書きたい。
主人公たちの愛をめぐる七転八倒は愛おしい。愛という、厄介な呪い。回樹の存在のおかげで、愛について観念的な袋小路に陥らずに彼女たちは済むのだ。それを痛快と呼ばずに、なんと呼ぼう。愛を定量測定する。勝ちか、負けか。本当か、嘘か。それが愛をジャッジする。測定結果は作中にはもちろん書かれない。どうしてか?だって、なぜなら、これは小説だからだ。どこまでいっても。小説はそんな無粋なことはしない、してはならない。
愛とは不可解であると知ること。それはすべての小説が守るべき慎み深さである。
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