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【おねロリキャバクラ】だけが真の「幸せ」を与えてくれる。この救済は誰にも奪わせない

【おねロリキャバクラ】を知っているか、知っているだろうな。知らぬのであれば知るべきである。つい先日単行本も出た、きらら漫画期待の新星なのだからな。
私はきらら本誌は追っていない、単行本で追う派だ。なので単行本の発売を今か今かと待ち望んでいた。しかしその存在は公式ツイッターで目にすることで知っていた。

初めて見た日はついにこの日がきたかと思ったばかりだ。【ゆるキャン】を皮切りに爆発した所謂「おっさんの趣味を美少女」にやらせる系作品、その極地にある。
即ちそれはキャバクラ、あるいは風俗狂いである。それを題材にしたきららブランドの作品である。ついにここへ至ったかと。
きららではないがレズ風俗がどうのこうのとかキャバクラ嬢がなんだのとそういった漫画は存在する。
だがこときらら作品においては際立って特異性を放つ、非常に大胆で攻めた題材と設定である。

そんな目を引くファーストインパクトに対し、蓋を開けたらしっかりときらら作品らしい雰囲気に仕上がっていた。それでいつつ主人公が無からキャバクラにハマる過程や心境の変化、そして破滅的な設定と破壊と崩壊を孕んだ雲行きの不穏さは目を瞠るものがあった。
だから私はここにいる。2巻打ちきり、俗にいう2乙させたくはないという想いばかりがこの肉体を動かす。今、お前が行くべきは病院ではない、キャバクラだ。

王道の設定に覇道のスパイス

【おねロリキャバクラ】そのタイトルに相応しく、この作品における「おねロリ」は関係性の根幹となっている。だがタイトルの不穏さに対し、本筋は「くたびれたOLと天使のようなロリ」という非常に王道の組み合わせとなっている。

このストレートさは非常に素晴らしく、それでいて王道的救いの構図でもある。仕事に忙殺される限界OLが運命の出会いで人生が変わる、という展開自体に珍しさは無い。それこそきらら作品で言えばつい先日完結した【社畜さんと家出少女】など記憶に新しい。

だがそこの繋がりが金銭関係、更に言えば「キャバクラ」という限定的な空間での関係となると話が別だ。ここにこそ大いなる魅力は宿る。
なによりもまず「キャストと客」という関係性が切っても切れないものとなる。キャバクラという性質上キャストである「りんちゃん」はかえでだけのものではない。
そうなればどこかで「独占欲」が生まれるかも知れない。そうなった時にりんの心を繋ぎ止められるものはなにか。キャストであるりんちゃんと1人の少女であるりんの思考はどう揺れ動くのか。
考察は尽きない。それほどまでにこの関係性は無限の可能性を秘めている。

更にかえでが会いに行かなければ、会いに行こうと思わなければりんには会えない。という点も限界関係性オタクとして特筆せざるを得ない。そういった点で救われる側、客であるかえでが常に金を出す側という脆さが非常に目立ってくる。
ナンバーワンキャストであり、そうあり続ける覇道を歩むりん。そんなナンバーワンの一番の存在になるには何が必要なのか、そもそも一番になりたいとかえでは我を出すのか。
そしてりんもまた、他の客とは違うかえでに興味と好意を持ってきている。その事実に対して「キャスト」としてあるいは「1人の少女」としてどういったアンサーを出すのかという点も気になる要素である。

なによりも金銭のやり取りを前提とした関係であるため、内面的な繋がりが深くなればなるほどその関係性の脆さと歪さは浮き彫りになる。こういった常に崩壊の一面をチラつかされた儚さが見えるからこそ、2人の繋がりの深さは輝ける。そういった成分を吸引し、私という限界関係性オタクは生きている。

きらら作品らしいダークヒーローの在り方

1巻時点ではりんちゃんの在り方は王道のヒロインとは少し違っている。きらら風の「ダークヒーロー」である、私は強くそう考える。

そこはりんからかえでへの「幸せ」の供給、それに対する言葉から見て取れる。それが傍から見てどれだけ破滅的であろうとも本人には幸せを与え続ける。止めることが隣人を救うことになる正しい行いであろうと、正道から外れた幸せを奪わないで欲しいと願う。
そして何よりも自分は例えかえでが破滅に向かおうと求められたら求められる「りんちゃん」として幸せを与えるというのだ。
かえでの幸せを願うがその先が破滅であろうと止めはしない。真なる幸せではなく目先の幸せを供給する。でもそれは仕方がない、なぜならば彼女はロリだから。あくまでもロリの視点なのだから大人の考える破滅など分かるはずもない。
これこそが「おねロリキャバクラ」という設定の最奥であると私は強く考える。

こういった価値観、見え方の違いは後輩の向井と3人でキャバクラへ赴いたシーンから見て取ることができる。

後輩の向井はキャバクラにハマるかえでを見て心配する。今まで1人で黙々とご飯を食べるだけだったかえでが毎日楽しそうにお昼を食べるようになったのに、だ。そこにあるのはやはり前述した第一に金銭の関係があるからというものだ。
元気になることは良いことだ、お昼が楽しくなる生きがいを得ることも良いこと、人生の光だ。だが常に「キャバクラにハマる」ということによる破滅の影がチラつく。

【お金を払って癒やしてもらう】それは何かが良くないのではないか。そんな漠然とした疑問を抱く向井に対してりんは【かえでの幸せを奪わないでほしい】と願う。

この言葉の持つ真の意味とは前述の通り、ヒロインらしくなさである。りんは自身達がある種の必要悪だと理解しているように捉えることができる。
【自分たちを必要としている人がいる】りんのその言葉の通り、救われている人がいることは事実。かえでもそのうちの1人である。だがその救済は無償の愛ではない。あくまでも「キャストと客」この関係は揺るがない。
それらを理解し、自分たちが理解・必要とされないこともまた知った上で自分たちを必要としている人に力を奮うと言っている。本当は自分も自分のお話をしたい、でもお姉さん達がそれを望まないからしない。話を聞いてくれることを望まれるから、そうすることが好きであるように振る舞う。
絶対的な正義ではない、揺るがない献身でもない。
あくまでもキャバクラのキャストとして救いを求める人に救いを与える。
だというのにそれをこんなにも可愛くきららきららしているというその手腕に私は驚愕した、そしてこれこそがきらら作品らしいダークヒーローであると頬を伝う涙が教えてくれた。

こういった設定と世間の思い込みの活かし方が非常に素晴らしい。確かに傍から見たら破滅的かも知れない、正しくもないのかも知れない。だが確実に救われている人はいる。故に成り立つ、故に救われる。

歪でも俺達の「幸せ」はここにある

昔はキャバクラといえば男の楽しむものという印象。だが今は違う。そうだ、世界には【おねロリキャバクラ】が存在する。
今後の展開が非常に楽しみである。設定の面白さと儚さ脆さ、ストーリーの面白さ。アニメ化まで持っていけるポテンシャルは十分に持っている、私は強くそう思う。
何よりもやはりこの秀逸な関係性を生み出す設定を打ち切りで早々に殺してしまうのはあまりにも勿体ない。そんな世界の損失が許されるはずもない。

なによりも「おねロリ」というこの関係は「ロリ」だから成り立っている、時間制限のある短く儚い夢。その先には何があるのだろうか。どこまで行けるのであろうか。少女が大人を知る時、2人の関係性はどうなっているのだろうか。
またどんな風に成長し、どんな人間へと成っていくのだろうか。疑問は尽きない。

だから本当に末永く続きを読みたい、そればかりである。多くの人へ手にとってもらいたい、素直にそう思うばかりだ。1巻を読んでこんな気持ちになったのはかの名作【スローループ】以来である。ぜひこの作品にも同じようにアニメ化してもらいたい。
ぜひりんちゃんには指出毬亜さんに声帯を担当してもらい、どこぞのコンカフェの妹に狂い散らかした記憶を呼び覚まして欲しい。

キャバクラという題材上ハードルは高いのかも知れない、設定の重さから大衆人気は出にくいかも知れない。それでも救いを奪わないで欲しい。

我々にはりんちゃんたちが与えてくれる【幸せ】が必要なのだから。

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