私達は変わっていくと知りながら永遠を願う
こんばんは、Susanです。
今日は、何を語るかと言いますと!!!
変化と永遠について、語ってみようと思います。
人は変化していく。そのことを知らない人はいない。
私達は、人が変化していくことを知っているはずなのだ。
私達は生きていく中で、いろんな人に出会い、いろんなものに触れ、いろんな感情の色や考えを知り、それを栄養のように吸収して、自分の一部にしながら成長していく。
その時に、もともとの持っていた自分の考えと触れた "何か" によって起こった化学反応のことを、私達は "変化" と呼ぶのだろう。
触れるものが増えていけばいくほど、出会う人が増えれば増えるほど、きっと変化を遂げるタイミングはたくさんある。同じ場所にいれば、変化も起こりにくい。
いつもとは環境の違う場所に足を運んだ時。いつもなら巡り会うことのない人達と出会った時。
思ってもみなかった考えに触れ、今まで感じたことのなかった感情の色に出会い、私達は変化していくのではないだろうか。
そして、変化していくのは私達だけではない。
私達の周りにいる人も、そして画面の向こうにいる彼らも、みんな同じように変化していく。
"変化" は悪なのだろうか?
その答えは、ノーだと私は思う。
変化がなければ、ずっと何も変わらないまま、一生同じ毎日を繰り返すことになってしまうからだ。
もし今が100%幸せな状態で、幸せの天井を越えていると感じている人は、これ以上の変化がなくて良いかもしれない。ただ、この世の中に今が最上級、これ以上のことはもうない、というものは存在しないと思う。
X(旧:Twitter)をやっていて、出会った素敵な言葉がある。
宇野昌磨選手の「また言葉が変わったら、それは成長と見てほしい」という言葉。
画面の向こうのあなたも生きている。
そして、私たちと同じように変化していく。
そのことを知っているはずなのに、なぜかオタクという生き物は、自分が応援しているグループが解散・脱退・無期限活動休止になった時、どうしても簡単に受け入れられない。
あの時「このグループで世界目指すって言ったのに、それは嘘だったの?」と言ったように、裏切られた気持ちになってしまうのだ。
10年前と今の考えが全く同じ人はいないと分かっていても、受け入れられないのは何故か。
それはきっと「これだけは "永遠" であってほしい」という希望と願いがあるからなんだろう。
変化を望みながらも、変化を恐れ、"永遠" というものがあって欲しい、と願うのが私達なのかもしれない。
永遠という言葉は不思議だと思う。
この世の中に不老不死の人間はいないし、私達の命はいつか終わりを告げる日が必ず来る。
それでも "永遠"という言葉があるのは、一種の祈りなのではないだろうか。
私達は変わっていくと知っているからこそ、永遠を願うのだろう。
今回のnoteを書きながら、私が応援しているBE:FIRSTのことを考えたのですが、彼らはGrow Upという楽曲の中で「僕らは何も変わってない、その為に変わっていく」と歌うんです。
この歌詞を初めて読んだ時、変化を知りながら永遠を願う人間の揺れる心をよく表しているなぁと思いました。
僕らは変わっていくけれども、何も変わってないと歌う。
今日で最終公演を迎える Mainstream ARENA TOUR で、流れた映像の中でレオくんが「これだけは変わっちゃいけないと思う目標は、死ぬまで僕達はBE:FIRSTであるということ」って話してたんですよね。
この言葉を聞いて「いろんなことが変わっていったとしても、これだけは永遠であってほしいと願うもの」が私の中にも確かにあることを感じました。
そして、レオくんが「死ぬまでBE:FIRSTだ」ということをこうやって言葉にしたのも一種の祈りなんだろうなと感じました。
"永遠" を誓うために言葉にして、未来に希望を繋いでいくんだと思います。
ではまた明日!!!
2024.02.24.
Susan
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