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何がなんやら怒涛の3週間。母、入院する。

やっとnoteを見る余裕が。3週間を振り返って、書き留めていた覚書きを加筆修正した日記です。

11月21日、日曜日の朝、母から電話がかかってきた。悪い予感。「腰が痛くて動けないのに、お父さんが助けてくれない。どうしたらいいんやろう。」と悲壮な声。

ベッドから起き上がれない、たまたま父が来て起こしてくれても立ち上がれない、もちろん歩けない。一番困るのはトイレだから、今晩泊まりに来てくれないかと言う。
母は、県外に住む私の妹と前日電話で話したから、さっき妹にも電話をしたというので、LINEで連絡を取り合い、急いで用意をして実家へ向かった。
私が都合が悪ければ、妹も今仕事が忙しいのだが一晩だけ新幹線で帰って来ようかと思ったそうだ。

11月16日にいつもの買い出しのために実家へ行くと、顔を洗ってる時に腰をひねって痛くなってきたと母が言っていたが、それがさらに酷くなったようだ。

母は3年ほど前に腰椎(4番、5番)を圧迫骨折している。それは時間の経過で固まってまた動けるようになる、という治し方しかできないそうで、少し良くなったかなという今、またやっちまったわけだ。

21日に実家へ行ってみると、父は一生懸命世話をしているつもりのようなのだが、起こす時に力が強すぎる、呼んでも聞こえていない(耳が遠くなった!)、母が困っているのに父はのんびり一杯飲んでいる、その状況に母が声を荒げるなどなど、老老介護の現実を目の当たりにして、「このままでは母が寝たきりになる」と、迷うことなく翌日、かかりつけの整形外科に私一人で相談に行った。

11月22日(月)
かかりつけの先生に状況を説明し、母が自力で動けるように入院してリハビリとかはできないものか、父もかなりストレスが溜まっているので少しの間でも二人を離した方がいい、といった要望を伝えた。先生が
「今は急性期でないと入院できなくて、どの病院もベッドがあまり空いていない。提携病院なら入院しやすいかもしれないから紹介状は書く。そのために、レントゲンを撮るからお母さんを連れてきて。」と言う。一旦実家に戻り、父と母に説明し、24日に病院へ連れて行くことにした。

11月24日(水)
レントゲンを見る限り、新たな圧迫骨折は見られないけど、MRI検査をするともう少し詳しくわかるというので、提携病院に紹介状を書いてもらった。22日に私が相談した内容を踏まえて先生が「検査をして状態がよくなければ少し入院してリハビリをしたほうがいい」と説明してくれたが、私の横で聞いていた母は、理解できていなかったようだ。私もこの時点では、検査はできても入院はダメかもしれないと思っていた。

11月25日(木)
検査がすぐにできるかどうかもわからなかったのに、提携病院のベッドに空きが出て29日(月)に検査入院ができると仕事中に連絡があり、即予約。ラッキー。とりあえず父にメールで伝えた。

11月26日(金)
実家へ行き、「きのうメールしたMRI検査と入院の件だけど~」と話し始める前に、父も母もすでに深刻な顔。なぜ検査結果も見ていないのに入院なのか、と言い出した。確かに私が泊まりに行った21日頃に比べれば動けるようになったのかもしれないが、人の手を借りなければ何もできないレベルだ。自分たちの状況が全く分かっていない。
また一から説明。

そして一番驚いたこと。
そもそもこの検査入院の話は母が「腰が痛くて動けないのに、お父さんが助けてくれない。どうしたらいいんやろう。」と訴えてきたことから始まっているのに、「そんなこと言ってない!」と逆ギレされたのだ(-_-;)

また一から説明し、説得し、29日から入院するつもりで用意しておくように言って、実家を出た。疲れた。

11月29日(月)
MRI検査、骨粗しょう症の検査、心電図取ったり血液検査したり、この際、いろいろ検査をしてもらい、新たに胸椎(12番)の複雑な圧迫骨折が判明し、入院決定。

かかりつけの先生が紹介状に「骨折ない場合も、起座動作ができるところまで治療、リハビリをお願いします。」と書き添えてくれていたので助かった。ちょっと天然のおじいちゃん先生だが私の話は通じていたのね。私も提携病院の看護師さんと二人になった時に家の事情を説明して、入院の方向で念を押しておいた。

11月30日(火)
入院2日目。出先から母の病院へ着替えなどを持っていく予定だったのだが、朝父から「乗せていってほしい。都合悪ければタクシーで行きます。」とメール。玄関全開でも平気で出かけようとする父が一人でタクシーに乗って来るなんてやめていただきたい。実家へ迎えに行くと「お母さんが可哀想でなあ。うまく馴染んでやっていけてるか、心配で心配できのうは寝られなかった。」と言う。
それ本心か?と思わせるほど、謎にオーバーな発言が多い父。可哀想、可哀想、言うな、と私も心の中で半ギレ。

「早く退院させて、自分が面倒をみてやりたい。」と言うから、「そういう気持ちを持つのはいいことで、お父さんも頑張ってるとは思うけど、手をかけすぎることがお母さんの自立を邪魔することにもなるんだよ。」と言うのだけど、今ひとつ伝わらない。

神経質でちょっとした一言にすぐ傷つく母は、早速入院の不安や不満を父に訴えていたが、かつてそれをうまくなだめていた父も、もうその力がない。トイレに間に合わないことが心配な母が「トイレはどこやろう?」と尋ねると、病室の入り口にあるのに何を勘違いしたか、「それが廊下を歩いて行ったずっと向こうにあってなあ…」と母の不安を煽る言葉が出てくる、出てくる。

12月1日(水)
入院3日目。仕事の帰りに病院へ寄る。今日は父も言うことを聞いて家にいてくれた。ごはんが美味しくない、硬い、薬のことで看護師さんが怖い言い方をした、と相変わらずの母だったが、一つよかったことは、入浴がとても気持ちよかったこと。

最初は体を拭くだけでいいと言ったらしいが、「まあ、そう言わず。気持ちいいよ~」と、力持ちのおばさんが寝た状態の母に二人でお湯をバサ―ッとかけてくれて、とても気持ちよかったと。知らない人に自分の裸を見せるなんて、母にとってはとんでもないことだが、病院の雰囲気に慣れてきたのか?ベッドを起こしたり、ナースコールを押したりといったこともだんだん慣れてきたという。(男性患者も女性患者も行き交う、近距離での入浴が母にはショックだったこともあとから判明。しかし、どの程度近距離なのかは謎)

やはり、近くに父がいるとすぐ頼ってしまい、父は父ですぐに手を出してしまうことが結果的に母のためになっていないこともある。父には何度もそう言っているが、自分のやり方は間違っていない、長年夫婦で暮らしてきたんだから自分たちのやり方がある(そんなん、ないわ~、と母は言う)、入院して本当によくなるんだろうか、自分の姉が急にリハビリしだしてそのあとすぐ亡くなったからお母さんが心配、と話はすぐにネガティブな方向へ。

今回の入院は、外部の人や介護サービスを全拒否する母に介護の仕組みを知ってもらうことも私の中では大きな目的。リハビリにもなる日常的な動作も自分からしようとしない、父を頼り過ぎる、父も母のことを可哀想可哀想と言って手を出し過ぎる、かと思えば(聞こえていないのか)知らん顔をして母がブチ切れる。
こんなことをいつまでもやっているわけにはいかないのだ。

12月1日に病院を訪ねた帰り際、「明日は来なくていいよ。お父さんに家のことをちゃんとするように伝えておいて~。」といった母にホッとしたのも束の間、このあと何がなんやらの事態が勃発するとは、この時の私は予想もしていなかった。

(つづく)




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