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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(7)民衆を苦しめた?③ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業③「詔」を無視する

 続けて2時間目を見てみる。

二時間目
①前時の復習。
②大仏を実際につくった農民たちの苦労や犠牲について話し合う。さらに、犠牲となった知人や阿足が死んでいったときの気持ち、大仏をみたときの真仁の気持ちを想像して話し合う。
③大仏をつくらせた聖武天皇や貴族たちはどんな生活をしていたか話し合う。
④聖武天皇がなぜ大仏をつくらせたのか話し合う。そのなかで、農民の逃亡についても話し合う。
⑤天皇はほんとうに仏教の力で政治のたて直しができると信じていたのか、について意見を出させる。
⑥大仏が完成したあと、農民の生活がどうなったとおもうか、予測させる。

 二時間目は話し合う→話し合う→話し合う→話し合う→意見を出させる→予測させると続く。意見を出すと予測させるも話し合うとほぼ同義と考えると、この45分間は延々と話し合っていることになる。一般的にはやや想像しにくい展開だ。

 ②の「知人や阿足」「真仁」という人名は先の物語「奈良のみやこ」に出てくる登場人物である。ということは二時間目もあの物語に強く依存していることがわかる。③は②の農民の気持ちに対応させる意図で設定されているようだ。ここも物語「奈良のみやこ」に以下の該当箇所がちゃんと記述されている。

 貴族のなかには、こんないい時代にうまれて、じぶんはほんとうに幸福だと、歌によむものもいました。
 しかし、それは、ほんの100人ぐらいしかいない貴族たちだけのことでした。おなじみやこのなかには、国ぐにから集められたまずしい民衆が、たてあなのようなそまつな家で、苦しい生活にあえいでいました。

 いわゆる人民闘争史観=貴族対民衆という図式である。ここまでセッティングすれば大仏を憎むようになるのもうなずけるというものだ。

 ところで④でようやく聖武天皇が学習課題にあがってくるのだが、山下氏は次のように「指導上の留意点」を書いている。

 聖武天皇が大仏などの建立を命じた理由は、子どもにとってはかなり抽象的でわかりにくいのであっさりとりあげたい。

 すでに『続日本紀』の「廬舎那仏造営の詔」をお読みになった皆さんは不思議に思わないだろうか。「詔」の内容はじつに具体的でしかも簡明でわかりやすい文章である。現代語訳すれば小学生にもわかる。抽象的でもないし、わかりにくくもない。これを読めば聖武天皇が「建立を命じた理由」は「あっさり」理解できる。にもかかわらず、なぜわざわざこんな「指導上の留意点」を書く必要があるのか理解できない。

  先に紹介した金沢嘉市氏の授業に比べても「詔」の扱いが大きく後退してしまっている。金沢氏の授業では教材として「詔」のほんの一部しか提示していないことに大きな欠点があると指摘したが、山下氏は完全に「詔」を無視してしまっている。奈良の大仏の学習においては大仏建立の理由を探るのは何よりも大事な教育内容のはずだが、これは大きな失策と言わねばならない。

 山下氏は「詔」を意図的に教材から外し、無理やりに「大仏造営は民衆を苦しめた」というストーリーにしているように見受けられる。そのための主教材が「お話」になっている。「お話」教材の活用は歴史授業において有効な手法である。だからこそ、史実に基づいた内容になっているか?内容のバランスはとれているか?教育的に正しいものになっているか?などの吟味が重要になる。

 だが、山下氏の作成したお話・物語「奈良のみやこ」は史実の反映、バランス感覚、教育的な価値のどれもが失格である。

 

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