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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(17)オールジャパン・プロジェクト①ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業①ここまでの小括と私の授業

 ここまで金沢嘉市、山下國幸、向山洋一、米山和男と先達四氏の「奈良の大仏」の授業を見てきた。

 金沢氏は大きな問題をはらみながらではあるが聖武天皇を取り上げて「詔」を教材としている。山下氏は「詔」は無視しているが聖武天皇は取り上げている。向山氏は「詔」も聖武天皇も取り上げていない。米山氏の授業でも「詔」も聖武天皇も重視されていない。

 それぞれの時代の思想背景というものが大きいが、徐々にマルクス主義史観の色合いは薄まってきている。だが、不思議なことにそれと反比例するように「奈良の大仏」の授業から「詔」と聖武天皇が消え始めている。

 民衆対天皇・貴族というマルクス主義史観の図式を際立たせるために聖武天皇と「詔」が悪用されていた時期から、聖武天皇が消えていくことである意味では「奈良の大仏」の授業は健全になってきているとも言える。だが、奈良の大仏が加古氏の言う「まぎれもなく人間の意志、行動、考えの結果」であるならば、建立の「動機」を述べている聖武天皇の「詔」を取り上げないのは間違っている。当時の大仏建立の動機がはっきりと確認できる史料はこれしかないからだ。

 同時に加古氏の「大仏は特定の個人や、少数の権力者だけの力によって建てられたのでも、造られたのでもなく、そこにはさまざまな人たちの願いや思いや努力や知恵や汗や涙があった」ことも学習内容として重視するべきだろう。つまり、奈良の大仏造営は聖武天皇をリーダーとするオールジャパンで進められたプロジェクトだ、というコンセプトで学習されるべきである。

 さらに大事なのはそのコンセプトが当時の奈良時代の人々の目で検討されることである。子どもたちが当時の人に「なってみて」同列目線で考えてみることが重要だ。

 では以下、私が実践した上記のコンセプトによる授業展開を紹介したい。

 一時間目は奈良時代の導入である。

 まず平城京の上から見た地図を見せながらいまの奈良県に平城京という大きな都ができたことを説明する。「気づくことはありませんか?」と問うと、「縦横があって四角くなっている」「お寺が多い」等の気づきが出てくる。右京・左京などの構成や唐の長安を手本にして作ったことを話す。次にこの平城京の東端の外京に東大寺があることに着目させ、ここに世界最大の金銅製の大仏があることを教える。ここではさまざまな画像で大仏と大仏殿を見せる。

 奈良の大仏に興味を持ったところで調べ学習をする。教科書・資料集等で東大寺の大仏について調べてノートに箇条書きで書き出す。その後、自分がつかんだ情報を発表させる。最後に大仏開眼式の画像を見せて、国際的な規模で行われたことを教える。

 この一時間目で大仏や大仏づくりに関わるいろいろな情報を得ることになる。子どもたちは自分で調べる学習を通して大仏の材質や伝染病の流行、行基などの人物についても知ることになる。

 メインは次の二時間目である。


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