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鈴木誠『皇土防衛の軍民防空陣』・鑑賞編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑩

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ



(4)鈴木誠「皇土防衛の軍民防空陣」・鑑賞編ー戦争画を使った「戦争」の授業案

鈴木誠『皇土防衛の軍民防空陣』1945

 『皇土防衛の軍民防空陣』は見てわかるように空襲をテーマにした戦争画である。

 絵にはたくさんの人が書き込まれていて、ドラマの一シーンのような迫力ある群像表現になっている。

 女性はみんな防空頭巾をかぶり、モンペをはいている。男性は軍服の人が多い。女性が描かれているので日本国内のようすだとわかる。これらの人たちは一見すると逃げまどっているかのように見えるが、逃げているのではない。よく見ると懸命に消化活動をしているのがわかる。人物たちの足はどれも躍動的で足の表現だけで必死さが伝わる

 正面の女性はバケツで水を運んでいる。その後ろの軍服を来ている男性も同じだ。バケツリレーでここまで水が運ばれているようだ。左の2名の女性は鳥羽口を使って火の延焼を防ぐために目の前の建物を倒そうとしているのか。それとも棒状のもので叩いて火を消しているのか。右の男性はむしろを持っている。むしろで火を叩いて消そうとしているのかもしれない。

 そして、人混みの後方は赤々と火が燃えさかっている。空襲による被害がそこまで来ているのがわかる。しかも、バックは暗く塗られていて暗闇であることが空襲の恐怖を倍増させている。この暗闇の中にいくつもの光線が上空へと伸びている。地上からのサーチライトで敵・B29爆撃機を見つけようとしているのである。なお、サーチライトが形づくる三角形がこの絵に安定感をもたらし、そして地上と上空の敵との関係を引き立たせている。

 つまり、この絵には空襲の恐怖感とそれに立ち向かう勇気ある人々の姿が描かれているのである。しかも、絵の中心は銃後の女性たちだ。戦場に向かったのは男性だが、女性もこの戦争を「戦っている」のである。

 しかし、不思議に思わないだろうか。

 敵の爆撃機が空から爆撃するということは爆弾を落とすということだ。ところが、この絵には爆発しているシーンもないし、ものが吹き飛んでるところもない。絵の中に描かれているのは燃えさかる火とそれを消火しようとする人たちの姿だ。

 アメリカ軍は日本本土の爆撃には主に焼夷弾というものを使った。当初アメリカは軍需工場のみをねらう爆弾を使った精密爆撃を敢行していたが命中率が悪く思うような成果が得られなかった。そこで、一般住民さえもねらう焼夷弾による無差別爆撃に切り替えたのである。

 焼夷弾とは、地上で爆発するのではない。投下された細長い棒状のものの後端から尾っぽのようにひらひらしたリボンが飛び出し、そこに火が付く。空中で火がついたものがそのまま家屋や地面に突き刺さり、油脂をまき散らして周囲のものを焼く尽くすという兵器である。その恐ろしさを早乙女勝元『東京大空襲 昭和20年3月10日の記録』(岩波新書)から引用する。

 「あ、落ちてくる!」
 私の一歩前にいた男は、顔をのけぞらしてさけんだ。ごしっ!と耳の破れたような音。地底にひきこまれそうな爆音。あわてて閉じたまぶたの裏に、金色の閃光がはしる。焼夷弾は落ちてくる-とさけんだ男ののど首に、火をふいてつきささった。その横を走ってきた女の左肩をかすって、電柱にささりこみ、あっというまに、あたり一面を地獄絵図変えてしまった。
 B29が、ガソリンをまきちらしたのは、その後です。爆音が耳をかすめて、頭に、ほおに、さあーッとつめたいものがふれる。はっと気がついてみると、水です。それもへんににおう、とろとろした水、液体です。はじめ雨かと思いましたけど、そのにおいで、すぐガソリンとわかりました。ああ、これで私ら焼き殺されるんだ。死ぬのかな、って思いました。けど、そのとたん、畜生、死んでなるもんかと思い、必死で起き上がろうとしたんですけど、ダメなんです。私の上は、死体だらけ。その死体がつみかさなって、みんなまっくろこげの棒みたいになっているんです。

 アメリカ軍は、当時の日本の家屋のほとんどが木造であるところに目をつけた。アリゾナの砂漠に木造の日本家屋のモデルを作り、これに火をつけたらどれぐらいの時間で燃え尽きるか実験をしている。結果は20分で全焼。この実験結果を受けて、M69焼夷弾が開発された。

 M69焼夷弾は日本家屋の屋根を突き破り、天井裏で横倒しになって火がまわるように設計されていたと言う。鋼鉄製で長さ51センチ、直径8センチ。断面が六角形の筒状のものに高温で燃えるゼリー状の薬品を入れた布袋を詰めている。これを計38本束ねた状態で投下し、上空700メートルでバラバラになりあちこちに散らばる。しかも、火の付いた油脂はへばりついて消えにくいものだった。

 それだけではない。アメリカ軍は江戸時代の大火や関東大震災を検証して、さまざな要素(風向き等)を詳細に分析しての指針を作っていた。そして、燃えやすいかどうかで区画を3段階に分け、さらには住宅地や商業地に集中的に投下した。

 さらに、あの東京大空襲では周囲部から爆撃して避難経路を絶ち、その後その区域内を十字を描くように爆撃した。都民を焼き殺したのである。この時、人の燃えるにおいが上空のB29内部にまで充満した言われている。

「焼夷弾は、地面に当たった瞬間、沢山のマッチを擦ったように見え、何秒もしないうちに、その小さな焔の群れが集まって、単一の大きな火焔の塊になるのだった。(中略)燃えさかる火で起こった下からの熱風による強烈な上昇気流に機体が持ち上げられ、極度に大きいGのために座席に引きつけられて身動き一つできなくなった。(中略)私たちは、焼ける人肉やがらくたの異臭に息の詰まる思いをしていたので、ようやく煙から脱して本当にホッとし溜息を大きく吐いた」(チェスター・マーシャル著・高木晃治訳『B-29日本爆撃30回の実録』ネコ・パブリッシング p213~214)

 死者約8~10万人、負傷者4万~11万人。行方不明者10万人以上。これは非軍事的施設や一般民間人を標的にした無差別爆撃だ。完全に戦時国際法違反である。広島・長崎への原爆投下も併せていわゆるジェノサイドと言っても過言ではない。

 ちなみにだが、あのゴジラが映画の中で日本の都市を襲うシーンは戦時中の空襲のイメージだと言う。たしかに1954年に公開された第1作を見るとゴジラが東京を襲うシーンは夜。闇の中で目を光らせ、口から火(放射能)を吹くゴジラは、当時の観客にとって爆撃機B29の恐怖そのものだったのかもしれない。


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