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父の本棚


 父の三回忌が終わった。

 二年前の二月、凍えるような寒い日に父は逝った。
 葬儀の日は雪が舞い散る空模様だった。心の奥に寒さよりもひんやりとした、どうしていいかわからないものが積もっていくのを、ただ見つめていた。

 長患いではなかった。それだけが私たちの中に言い訳のように残って、誰にともなくひたすら言い聞かせる伝言となった。

 父が苦しい息で私に告げたのは、まもなく故郷で開かれる同窓会に間に合うだろうかということで、今そんなこと、と苦笑してしまった。

 私の身を案ずることばかり何度も繰り返した。
 それが最後に交わした言葉になるなんて思わなかった、と周りに嘘を言った。
 本当はその時の私には、きっとこれが別れになるとわかっていた気がする。

 寒い日が命日なのに、寒がりの家族たちは春に一周忌を選び、三回忌もまだ桜が残るあたたかい日になった。
 駐車場に止めた車に桜の花びらが模様のような姿となって落ち、春の匂いと共に色を添えてくれた。

 お墓は高台にあって町の景色が一望できる。風が通り抜ける眺めのいい場所。ものすごい急な坂を上ることを考えずに選んでしまったんだ。年をとったら、歩いて登れるだろうか。墓参りも一苦労だよ。

 心の中でよく父に相談する。今日こんなことがあったよ。どうしたらいいの。
 いまだにそこにいるかのように思えるんだ。いつまでもね。

 また今日も、のほほんと煙草を吸っているみたいだ。
 のんきな父だった。少しずつ姿が空気と混ざって、景色となじんでいってしまうんだな。

 父が私に影響を与え、残したもの。それは、父の本棚にある。

 その日本文学全集は、渋めの臙脂色えんじいろだった。
 全部で五十冊くらいあるだろうか。なかなかの迫力。
 二段組みの細かい字で書かれた文章は、余程の本好きじゃないとすぐ閉じてしまうレベル。高校生の頃に相当読み耽った。

 最初に手に取ったのは、川端康成の「雪国」 だった。

 国境のトンネルを抜けると、ではじまる有名な冒頭部分。列車の中の窓に映る描写に震えた。
 真冬の雪景色の中、寒さに凍えて雪を従えながら読むかのように。毎晩、布団を被って少しずつ読んでいった。

 つめたい、せつない、はかない、無情、恋慕、熱い。

 そんな感情を、この一つの作品から一気に受け取った。私が冬のものがたりを好きなのは、きっとここからはじまっている。

 漱石、鴎外、谷崎、林芙美子、藤村、芥川、国木田。
 次々に、文豪を読んでいった。まだ全ては読み切れていない。

 父は、誰がすきだと言っていただろう。
 太宰や三島が嫌いだと言っていたのを覚えている。

 父は、いつこの全集を手に入れたのだろうか。ふと考えてみたら、聞いたことがなかった。
 今度、母にたずねてみようと思う。




『記憶の本棚』 
 2016年から書いていた私小説めいたエッセイです。
 季節に合わせてすこしずつここでも公開していきます。
 よろしくお願い致します。ぺこりーぬ。

「行き先のないノスタルジア」 第1話 父の本棚
*これを綴ってから更に四年が経ち、もう七回忌です。


> 第2話 乙女椿

「記憶の本棚」マガジン

本棚1



いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。