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中年女性、感覚統合療法で身体を作る~「歩く」で気付く「学ぶ」ということ

昔から、靴底の減りが極端に減ってしまうような、地面から足の裏を浮かさない摺り足をしていたが、今日はふと

「二足歩行とは、足の裏の重心を変えることで進む技術?!」

という気になってきた。
図のような、かかとで地面を踏みつける勢いを反発力にして爪先に重心を持っていくような感覚。

むつきは数学や力学「も」壊滅してるから、違う気も…

元夫からずり足だと言われても
(彼は私のミリ単位の挙動にクレームをつけてきたので、今後頻繁に登場する)
じゃあ、どうやって歩いたり動作するのか、までは教えてくれない。
自分で考えてやってみろ。
それだけしか言わなかった。

言われてからできるのに20年近くかかるわ、歩きながら筋肉を使って歩くのが体感できるわでなんかすわりが悪いわ!

歩くって腹筋使いますね…

最終的に、30才前後の時、乳幼児が大人の模倣よって身体の動かし方を覚える時期、父親の歩き方を真似たから、まで理解したが
親がそうなら子どももそうなるだろうがよ。
そこまで突き止めさせなくても今が大事なんだから普通の歩き方教えろよ。
理解したの離婚後だぞ?
だいたい歩く姿を補正とか、誰に教わってやってもいいじゃん、歩き方教室とかカルチャースクールにあるんだし!
(自力でないと叱られるから入る勇気がなかった)

しかしこの、勉強で行き詰まって教えを乞うた相手に袖にされるとか、体育や運動で、講師ができない箇所へのアプローチをしない、逆に叱るとかってなんなんだろな。
できるように教えるのが役回りだろうに。

こうやって、授業に学校にネガティブなイメージを抱いてしまい、困りごとが始まったり悪化するお子さんがとても多い気がしてならない。

ちなみに私は月1回偏頭痛が起こり休んでいたが、あれは心の悲鳴が自分で感知できず、身体が悲鳴をあげて、ようやく学校という名の戦場に行かせないようにしていたのだと思う。

まだ不登校が登校拒否、学級崩壊という言葉がなかった時期の話だ。
小学校時代、忘れ物をしてしまい、担任に叱り飛ばされるのが嫌で保健室に行った。

次の時間に、授業が嫌だから来たみたいだと養護教諭がリークしたため、私以外が自習になり、私は担任に廊下に呼び出され
「そんなに学校が嫌なら今から帰りなさいよ!!」
と怒鳴られ、そんな言い方されて帰りたくないわい、と
「嫌です!!」
と叫び返したら
「何で反抗するときだけ素直なことを言うの?!」
と鬼のような面相で往復ビンタを食らった。

いやあ、書いてみるとすごいな、これ。
子どもや若者をを安心させるのも大人や先達の役割なのに、不安と恐怖しか与えてない。

今現在、ここまでの学校はないと思う。
けど、学びや教えって、信じないと頭に入らないとか、身体が覚えない、同じようにはできない。
信じられない人間が教えることを信じられる?
嫌いな人、怖い人から言われたこと、覚えられる?
そんなんさ、無理だよ。

私は結局、まだ摺り足ながらも、何とか体重の乗せ方が歩行の要だと、43才児さんで理解して、なんとか頑張っている。
でも、色んなことを、もっと信じられる…というか、人間的に尊敬できる人に教わりたかった、という寂しさも強い。
最近は子どもや保護者の方にモンスターが多いらしいけど。
大人だから教師だから、子どもだから保護者だから、と、互いを思いどおりにしようとするなんて、教育や学びじゃない。

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