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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

マーセル・セロー『極北』の紹介

 ネタバレ込みの感想を書くつもりなんだけど、これはできるだけ多くの人に読んでもらいたい作品でもあるから、前半は未読の人が読んでも問題がないように書くことにする。ネタバレする時にはちゃんと引き返せるように警告入れるから、安心して読み進めてね。

 どういう理由でこの本を買ったかは覚えていない。翻訳は、有名なあいつ、村上春樹で、この人の文章は分かりやすくて読みやすく、趣味も結構信頼できるところがあるので、おそらく、特に深いことを考えず、本屋で何ページか読んで面白そうだと思ったから買ったのだと思う。それか、単に父が買ってきた本を勝手に持ち出して読んでいたという可能性もあるが、ともあれ私はこの本との出会いのことはあまり覚えていない。

 私はこの作品の前半を、一か月ほどかけて読んだ。殺伐とした雰囲気で、殺伐とした物語が進んでいくから、どうにも苦しくて本を閉じてしまうことが多かったし、集中力が途切れて話が分からなくなって、何ページも戻って読み直したりしてたから、なかなか進まなかったのだ。
 だが今日、両親と温泉に行って、柔らかいソファに座ってこの本を開いて読み進めて行ったのだが、残りの半分を四時間かけてほとんど休憩もなく一気に読み終えてしまった。
 周りの雑音なんて少しも気にならなかったし、ページをめくる手も止まらなかった。(いや、ペットボトルに入ったカルピスを飲んだ時、湯上りのイケメンと目が合って、その時はちょっと物語に意識を戻すのに数分の時間を要したのだが、それはノーカンということで)

 この物語の舞台を一言で言うならば、ポストアポカリプス、文明が崩壊したあとの世界の話だ。
 そういう系の話はこの時代いくらでもあるのだが、この物語が他の作品と一線を画する部分があるとすると、自然と、自然状態における人間に対する深い理解があげられると思う。重みがあるともいえるし、リアリティがあるともいえる。読んでいる最中も、読んだ後も、内臓にずっしりと来るものがある。
 もちろん主人公の性格や生き様も魅力的ではあるのだが、しかしタフな主人公というのは、厳しい世界で生き抜いていく物語では割と普通だから、その点は特筆すべき部分ではないと思う。ただその主人公が歩んでいく道が、予測不能であるにもかかわらず、現実特有の、あの、過程も結果も奇妙でありながら、有無を言わせないほどの説得力があるという点は、見逃せないと思う。
 こう、問答無用で読者を唸らせるものが、この作品にはある。それははっきりと言えることだと思う。

 この物語には都合のいい感動はないし、見ていてスカッとするような気持ちのいいシーンもほとんどない。全体的に薄暗くて冷たく、読んでいて息苦しくなってくるような作品だ。だが、それは決して意味もなく読者を苦しめるような意地悪からそのようになっているのではなく、むしろそれが必要だからそうであるのだということがちゃんと伝わってくるので、私はそれをこの作品の短所だとはみなさないし、むしろ優れている点としてはっきりと称賛したい。

 どういう人に勧めたいか、と問われたら。
 悲惨な物語を、単なるフィクションではなく「起こりうること」として認識できるくらいには、人生の中で酸いも甘いも経験している人に。そういう人の感想を聞けたら面白いだろうな、と思う。
 それとは別に、単純に、精神が芯から揺さぶられるような体験をしたい、という人にも勧められる。多分この作品は、特別繊細な感性を持っていなくても楽しめるし、感じられる。言い換えれば、読書の才能がない人でも、この作品の良さは理解できる、と思う。

 ただ、前半は世界観が分かりづらいというか、イギリスの作家の作品なので、前提となっている知識レベルが現代日本人と異なっている部分もあって、読み進めるのには多少の根気が必要だと思う。慣れるまでに、多少の苦労が必要だと思う。
 もちろん、海外文学によく触れている人なら何の問題もないけれど、そうでない人からすると、前半はなかなかに苦しいかもしれない。
 つまらないわけではない。しっかり理解しながら読み進めるのには多少難儀するかもしれない、程度だ。

 ともあれ、私が最近読んだ現代の物語作品の中ではかなり優れた作品だと思うので、もし興味がある人は読んでみて欲しい。



 ネタバレ込みの感想書こうと思ったけど、まだ一回しか読んでないし、考えもまとまってないのにまた今度にしようと思う。

 と、思ったんだけど、ちょっと時間経ったら書きたくなったから、書いた。ネタバレ嫌な人は飛ばしてねー。








以下ネタバレ感想


 この作品を読んでいて何度も考えたのは「もし私なら?」ということだった。
「もしこのような世界になったとき、私がその場に居合わせていたら? 私が、この主人公のような立場に置かれていたら?」

 そのような問いに対して「なってみないと分からない」と言ってそれ以上考えないのは、愚者のやることだ。たとえ間違っていても、仮説を立て、それが妥当な考えであるかしっかり検討してみること。私はそういう風に生きてきたから、読んでいる途中も、読み終えた後も、しばらくそのように考えていた。

 知識でどうこうできるような状況ではない、というのはこの作品で作者が表現したかったことの一つであると思う。科学的知識も、教養も、信仰も、生きるのには少しも役立たない。
 そんなことよりも、冷酷さや、本当の意味での合理性が重視される。あとは……人間の本能、肉体への理解や、人の心を操るだけの知恵、あとは動植物についての知識や、天候を大まかに予測し、危険を感知する直感など……そういう部分が重要になってくる。

 私は性格上、もし文明が崩壊して、インラフや行政を維持することができず、外敵から身を守ることが必要になるような状況になれば、まず真っ先に武装することを考えると思う。積極的に意見を言うだろうけど、決して男たちのプライドを傷つけないように、あくまで女の立場から……いや、そういう風なことをするよりも、一番優秀な男の愛人にでもなって、彼に助言をすることによって、少しでも自分と自分の愛する人々の生活を守ろうとするかもしれない。古代アテナイのアスパシアみたいに。
 でも実際にはそんな根性もなく、物語の中で特に目立つことのなかった、男にとっての財産としての「女」のひとりとして大人しくしているかもしれないし、運悪く奴隷に身を落とし、悲惨な日々を送るかもしれない。あるいは、売春婦みたいになって、命を繋ぐことだけに集中するかもしれない。

 理知ならどうするだろうか。彼女は、多分こういう世界では長く生きられないし、長く生きていて欲しくない。もし長く生きるなら、強く美しく、彼女に相応しい場所で、誇らしく、能動的に動いていて欲しい。そうできないなら、さっさと死んでほしい。誰かのために犠牲になって、死んでほしい。
 彼女が美しく生きられない世界は、それがどんな世界でも、私にとっては厭わしい世界だ。


 主人公のメイクピースは、決して人の心がない人間ではなかったし、当たり前のことだが、作者が優れた知性を持つ男性である以上、主人公のやっていることと主人公の語っていることの間には明らかな乖離がある。つまり、主人公は「自分は父や他の知識人とは違う無知で愚かな野蛮人」と自分のことを何度も表現していたが、彼女の行動自体も見ようによってはそのように見えるが、彼女の心象風景や、行動理念、知恵などは、彼女が決して野蛮な人間ではないことを示していたし、そういう意味での……共感は容易であった。
 というか最後に明らかになることだが、この物語自体が彼女の娘(最後の一行にある名が「ピング」であることから、そう察せられる。息子であったなら「シャムスディン」か、あるいは「ジェームズ」であったことだろう)に宛てた自伝的な書き物のつもりであったということであるならば、彼女が子供を産み、育てるにあたって、実際に行動していた時よりも知性的な人間になっていたことも想像もされるし、それは決して物語としての欠陥として指摘すべきことであるとは思わない。

 村上春樹があとがきで東日本大震災うんぬんと言ったが、私はそもそもあの大災害のことを、あまり大きなものとして見ていない。
 勘違いしないで欲しいのだが、私の親戚のひとりはあの震災で亡くなったし(お年寄りだったけど)色々と影響を受けているのは事実だ。
 しかし、それがどのような規模であるにしろ、災害というのはどのような時代、どのような地域でも起こりうるものであるし、それによってたくさんの人が死ぬのも、いつどこで起こってもおかしくないことだと私は思っているし……あと、年齢のタイミングというのもあったと思う。つまり、ものごころが付き始めたころというのは、どんな現実であってもそれを現実として、素直に受け入れることができるから、周りの大人たちがどれだけ驚いたり、非現実感を感じていたとしても、私はその騒ぎを、いわゆる「日常的な現実のひとつ」として受け入れていたし、そのようなものだと認識していたのだ。
 そしてこれは、私と同世代の子たちも同じであったと思う。
 「大変だなぁと思う」以上のことを、思わないのである。それは目の前で交通事故が起きたようなものであり、ショッキングな出来事ではあるが、しかしそれは現実に「もうすでに起こったこと」であり「驚くべき現実」ではなかったのだ。驚くべきことは、他にたくさんあったのだ。


 あと、人間の獣性について。私はこれが、吐くほど嫌いだ。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなくて……多分、こういう人間と長い時間一緒にいなくてはならなくなるなら、死を選ぶというくらいに、嫌いだ。
 というか、私はこういう人間と敵対して、殺し合うことにはあまり抵抗がない。奪い、奪われる世界、そういう原始的な世界で生きるなら、私は多分……躊躇なく奪う側に与すると思う。
 結局、奪うか奪われるかは、その人間の冷酷さと賢さによって決まる。私は自分がいざという時に冷酷になれる人間であることを知っているし……もし自分と同じような感覚で生きている男性がいるなら、彼と協力して、どのような手段を使ってでも人々をまとめあげ、うまく状況をコントロールしようと試みると思う。
 古代エジプトや、スパルタなどのような繁栄した古代の国家を見習って、さっさと奴隷制を復活させて、安定して文明を守っていけるような状況を作ろうと画策すると思う。
 作中で出てくるような、過去の遺産がなければ維持できないような国家運営(それも己の利益のための嘘である可能性が示唆されているが)ははっきりいって欠陥があるし、できるだけ自分たちだけで回していけるように、人々の生活と健康には気を回すべきだと思う。どう考えても人権は守れないが、命と食料、そして知的な遺産は守るべきだと思う。(人権というのは、生活の豊かさが前提になければそもそも無意味なことなのだ。ある程度の余力のある世界においてしか、意味をなさない観念なのだ)

 私は人の命や豊かな生活よりも、先人たちから受け継いできた人間の知の結晶はできる限り守らなくてはならないと思っているし、そのためなら、無知な人間や、利己的すぎる人間は、うまく利用しなくてはならないと思う。場合によってはそれに巻き込まれて、知的な人(この物語でいう「シャムスディン」のような)も犠牲になるかもしれないが、それも、諦めて受け入れなくてはならないと思う。

 古代ローマの奴隷制は非常にうまく回っていたし、それに倣って、奴隷にも最低限の権利を認めたうえで、奴隷同士にある程度自由な恋愛、結婚は認め、できるだけ多く子を産ませ、育て、健康な大人たちをしっかり働かせることによって、ある程度の文明は維持できると思う。
 もちろん軍隊は、強く、厳しく、男らしくなくてはならない。そういう世界においては。
 宗教で人の心を縛り付けるのも。

 そして、そのような体制を維持するためには、ある程度の人種的結託や、特権的な階級も……必要になってくると思う。残酷だし、できるだけ避けたいことだが、でもそのように私たち人類の文明が進歩してきたのが事実である以上、もしはじめからやり直すしかなくなったのなら、そのように進めていくしかないのだ。
 もし私たちが、人類という種に希望を抱き、またかつてのような豊かな生活を取り戻したいと本気で願うなら……

 こういう思考実験は実態に即していないし、実際よりも単純に考えるしかないので、どうしても馬鹿みたいなことになってしまうけれど、でもこういう思考自体も決して無意味なものではないと私は思う。


 ともあれ、現実的に考えて、これから私たち人類がどこに向かっていくのか、私には分からないし、私がどれだけ考えても、私がどのように行動しても、世界がそれで変わるわけではないのは痛いほどよく分かっている。
 私は世界の止められない動きの中で、私らしく判断し、私らしく行動していくしかない。

 このような悲観的な未来についての物語は、不思議と私の気持ちを明るくしてくれる。
 自分がどうしようもないほど小さい存在であることと、小さい存在でありながら、私にも多少、自分で自分の人生を選ぶことができるということを自覚するからだと思う。

 あとそれとは別に、優れた作品を読むと、少しだけ嫉妬する。私にはこのような作品は絶対に書けないのに、私はこの作品には価値があると思うから、嫉妬する。
 こういう作品を書けるくらいの経験と知識、情熱と根気、そして才知があるということに、私は嫉妬する。この嫉妬は、膿にならない、いい嫉妬だ。尊敬に近い嫉妬だ。
 多分それは、そのすぐれた作品が私に利してくれているからだと思う。私をいい気分にさせ、私の精神を成長させてくれたからだと思う。

 とりあえずはこれくらいにしておこうと思う。多分、何年か経ってからまた読み直すことになるだろうし、その時にもっと詳しい感想書くかも。

 その間に、私自身がどんな経験をして、どんなふうに世界を見るようになっているのか、それが少し楽しみだ。

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